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第六話

 ティオの背を見送ったウェルチは、目を伏せた。
「ティオさん……!」
 どうか、無事で。
「……なぜ……」
 レティシアのか細い声が、ウェルチの耳に届く。振り返ったウェルチの視線の先で、レティシアが肩を震わせていた。
「なぜ……なぜ、ウェルチは助けに行こうとしたんです……。わたくしも侍女たちも誰も動けなかったのに……あなたは、無関係の人なのに……」
「……わたしは、薬師です。火事に行き当たったのは初めてですが、緊急事態には慣れてます。あの時はわたしが救助に向かうのが最善だと思ったから、助けに行こうとしたんです。人を助けるのがわたしの仕事ですから」
 レティシアが混乱しているのは、震える声からも分かった。だからウェルチは冷静に淡々と返事を返す。
「……ならば、なぜ、ティオ様に……」
「エレンさんの救出を託したか? ……ですか?」
 ウェルチは別荘に視線を向けたままそう問うと、レティシアが頷いた気配がした。
「それは、ティオ様が救出に向かった方が、エレンさんを助けられると思ったからです」
 最初、エレンがいないと分かった時は一番冷静なウェルチが救出に向かうことが最善だと思った。けれど、ウェルチには足の不自由なエレンを背負って歩くような力はない。脱出に手間取れば、二人して命を失う可能性がある。
 その分男性のティオならば、エレンを背負って脱出することも可能だろう。エレンの救出率も格段に上がる。そう判断したから、ティオを止めるようなことはしなかった。
「でも、なぜ……! なぜ、よりにもよってティオ様自ら……! あの方は領主様のご子息ですよ!? エレンは、ただの使用人です! なのに……!」
 確かに、貴族の者が一般人を自ら助けにいくことは、おかしいのかもしれない。
 ティオに何かあったらどうするんだと問われたら、ウェルチに返す言葉はない。けれど、迷わずに別荘内へと駆けて行ったティオの判断を間違っているとは、ウェルチは思わない。
「レティシア様。……命に貴賤はありませんよ。目の前で困っている人がいて、自分が助けられると思ったら、貴族でも一般人でも関係なく、手を差し伸べる。ティオ様……いえ、ティオさんはそういう方です」
 レティシアの視線を感じながら、ウェルチは背筋を伸ばして、はっきりとそう言った。
 ティオはよく己のことを情けないだとか臆病だと言う。確かに、男らしさはないし、頼りない雰囲気のある人ではある。
 けれど、ウェルチは知っている。ティオの優しさを。そのまっすぐさを。そして、大切な時は勇気を出して立ち向かう強さを持っていることを。
 彼の優しさを思うと、自分も優しくなれる。少し頼りないところは助けたいと思う。そんな人だからこそ、わたしは――……。
 ウェルチははっと我に返る。場にそぐわない思考に陥りかけた気がする。
「……大丈夫です。エレンさんは、ティオさんがちゃんと助けてくれます。……信じましょう」
 そう言って微笑むと、レティシアは不安そうな顔をぐしゃりと歪めた。
 その時、侍女の一人があっと声を上げる。
「お二人が……!」
 ウェルチとレティシアがはっとして別荘に視線を向けると、煙の中からエレンを背負ったティオが飛び出す。
「……まるで」
 ぱっと顔を輝かせ、駆け寄ろうとしたウェルチはレティシアの声に足を止め、振り返った。静かな声なのに、力のこもった声だった。
「まるで、惚気話を聞いているようでした。あなたはティオ様が好きなのですね」
「……え」
 周りは騒がしく、その声は小さい。なのに、レティシアの声ははっきりとウェルチの耳に届く。
「……命に貴賤はない。それは素晴らしい考え方だと思います。けれど、身分というものは決して蔑ろにされていいものでもないのですよ」
 あの方は貴族で、あなたはただの薬師です。
 そう言ってレティシアはエレンの元へと駆けだす。ウェルチは、動けなかった。

 ティオの尽力の甲斐あって、エレンは多少煙を吸いこみ軽度の火傷を負ってはいたものの、命に別状はない状態だった。
 アルバート伯爵家の別荘の火事は、ほどなくして到着した消防団によって消し止められ、全焼は避けられた。しかし、とても使用できる状態ではないので、レティシアはそこより少し離れた場所にあるもう一つの別荘に移ったという。
 怪我も何もないウェルチは、さすがに火事の当日は断念したものの、翌日はいつも通り広場でお茶などを売っている。
 けれど、その表情はどこかぼんやりとして、精彩を欠いている。
 ――あなたはティオ様が好きなのですね。
 レティシアの妙に静かなその言葉から離れない。ジーナから同じ言葉を言われてもここまで気にかからなかっただろう。
 ウェルチのこともティオのこともほとんど知らない第三者から言われたからこそ、心に響いたのかもしれない。
 もしかしてこれは恋なのだろうかと思う要素はたくさんあった。そして、第三者から見たらそう見えるのかと思ったら、すとんと納得してしまった。
 自覚しただけならよかったのに、レティシアの言葉がウェルチの心に影を落とす。
 最後の言葉は、暗に身分違いの想いを牽制するものだった。
「あ、ウェルチ! あんた、昨日のアルバート家の火事の事、聞いた? あそこのお嬢様、何でか知らないけど、滞在期間を伸ばして冬まで滞在する予定になったって、噂で聞いて――……ウェルチ?」
 ジーナの言葉に、ウェルチは凍りつく。今は風の冷たさも気にならないほど、呆然としていた。
 それが何を示しているのか、ウェルチには見当がついた。ティオは、アルバート伯爵家の有力な婿候補になったのだ。

 

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