BACK INDEX NEXT

    記憶のうた 後日譚:EVER AFTER  〜Beginning Place(5)〜

     ウィルの声は魔力の放出音の合間を縫って、きちんとソフィアに届いたらしい。仄かに微笑んでいたソフィアだったが、その表情が不思議なものを見るようなものから、やがてゆるゆると驚愕のものへと変わる。
    「……え? ほ、本物!? 嘘っ!?」
     緊迫した状態の割には何だか間の抜けた言葉に、ウィルは反射的に怒鳴り返していた。
    「第一声がそれか!? ちゃんと本物だ!! 嘘じゃねぇ!」
    「えええっ!? な、何でっ!?」
    「何で!? じゃねえっ!! どっかの馬鹿が何も言わずに勝手に消えたりするからだろうが、この大馬鹿者!!」
    「す、すみませんっ」
     反射的に謝ったソフィアだったが、ウィルが一歩踏み出すのを見て、顔色を変えた。
    「だめです! ウィルさん! 近づかないで!! 逃げてくだっ……!」
     ソフィアは途中で言葉を詰まらせた。痛みに耐えているのだろう。眉をしかめ、唇を強く噛んでいるのがウィルの位置からでもよく分かる。
     同時に可視化した魔力の渦が強まり、大きな放電音と光が走った。その光が真横に走り、細い木の枝が地面にばさりと落ちたのを視界の片隅に捉えた。
     思っていた以上の力に、ウィルの背に冷たい汗が流れ落ちる。これほどまでに大きな力をソフィアは抱え込んでいたのか、とウィルは唇を噛み締めた。
     そのまま、もう一歩踏み出す。
     放電音が激しいせいで、ソフィアの声はウィルには届かない。けれどソフィアが懸命に首を横に振っているのは分かる。その口が来るなと動いているのも。
     危険なことくらい、ウィルにも分かっている。
     だからといってじゃあ帰りますとあっさり帰るわけにはいかない。それではウィルがここに来た意味がない。ウィルはそっと上着のポケットに触れて、一瞬だけ目を伏せると、制止の声を無視して歩を進める。
     ふと、一瞬だけ魔力の放電音が途切れた。それを縫って、ソフィアの泣きそうな声が森に響く。
    「ウィルさん! 来ないでっ……くぅっ!」
     堪えきれない苦悶の声がソフィアの口から漏れた。同時に放たれた光がウィルの真横を通り過ぎる。その光が微かに左頬を掠めて痛みが走り、じわりと生暖かいものが頬を伝う。本当に少し掠めただけでこれほどの威力なのかと思いながらも、ウィルはそのまま歩を進めた。
     ソフィアの薄紫の瞳が、泣きそうに歪んだ。
    「お願いだから、逃げて下さい! あなたを、殺してしまう!」
     ソフィアの涙の滲んだ懇願も、聞くわけにはいかない。背を向けて逃げるのは簡単だが、そうしたらソフィアの命がないことは明白だ。
     あっさりと見捨てられるならば、とっくの昔にそうしている。
     散々悩んで、迷って。それでも諦め切れなくて、ぎりぎりまで足掻こうとこの前の旅で決めた。それを、今回覆すつもりは、ウィルにはない。
     あの時と違って周囲に仲間は誰一人いないけれど、その代わりに託されたものがウィルにはあるのだ。
     ふっと、魔力の放出音がやんだ。魔力の暴走には波があるらしい。可視化した魔力の渦は相変わらずソフィアを取り巻いているけれど、先程よりは僅かに弱い。放電現象も今は止んでいる。
     ウィルは、その魔力の渦に足を踏み入れた。その瞬間、物凄い圧力が全身にかかる。
    「……っ!」
     ウィルは唇を強く噛み締めつつ、更に足を踏み出す。
     強い圧力のせいで全身に痛みが走るが、耐えられないほどではない。放電現象さえ起きなければ、何とかソフィアに近づけそうだ。
     少しでも気を抜けば前に進めなくなりそうで、ウィルは足に全神経を集中させる。ウィルの翠の瞳は、まっすぐにソフィアを見据えたままだ。
    「……ウィル、さんっ!」
     その悲痛な呼び声も無視して、ウィルは痛みに耐えたまま歩き続け、左手を伸ばした。そうしてソフィアの右手を掴み、ぐいっと引っ張る。
     魔力の暴走による苦痛に耐えることで精一杯だったのだろう。ソフィアはたたらを踏みつつ、あっさりと引き寄せられた。
     ウィルは右手を上着のポケットに突っ込んで、中に入っているものを取り出す。それは、銀に輝く大振りの指輪だった。太陽の光が変わった反射の仕方をするのは、それの外側と内側の両方に刻まれた細かい文字のせいだ。
     その指輪を、ウィルはソフィアの右手中指に通した。
     以前、ソフィアの翼と記憶を封じた指輪が嵌っていた、その位置に。
     そうして、ソフィアに不似合いのぶかぶかな指輪が落ちないように気を配りつつ、ウィルは左頬の血を右手の親指で拭った。
     ――考えようによっては、こうして怪我をしたのだって好都合だ。
     そんなことを考えつつ、血に濡れた親指で指輪に刻まれた文字をなぞり、ウィルは何度も諳んじてきた言葉を紡ぐ。
    『我、ウィリアム=オルコット=ラディスラス=ガジェストの血と名をもって命ず!』
     ウィルの口から流れ出た流暢な古代語に、ソフィアが大きく目を見開いた。
    『指輪に封じられた効力よ! 速やかに発動せよ!!』
    「……っ!?」
     ソフィアが小さく息を呑む。詠唱とともに小さな静電気が起こった時のような音がして、指輪がソフィアの指にぴたりと収まる。同時に、あれほど強く渦巻いていた魔力の渦が、驚くほどあっさりと霧散したのだった。 

    BACK INDEX NEXT

    Designed by TENKIYA
    inserted by FC2 system