どれくらいの時間を走り続けたのだろうか。
ソフィアは足を動かし続けながら、ちらりと頭上を振り仰ぐ。しかし、この森はまともに日の差し込む場所を探すほうが難しいほど、うっそうとしていて薄暗い。
ずっと上を見ていたら木の根に躓くか木の幹に激突しそうで、ソフィアはすぐに視線を前に戻した。
正確な時間は分からないが、もしも日が沈むような時間になっていれば、この森は薄暗いどころか真っ暗になるだろう。ならばまだ薄暗いだけの今は、日が出ている時間であることは確かなのだけれど。
本当に身一つで飛び出してきたソフィアには、日の高さ以外で時間を知る術などあるはずもない。
城を発ってどれくらいの時間が過ぎたのか。城からどれくらい離れることが出来たのか。
それだけが、今のソフィアの気がかりだ。
魔力の暴走がどれほどの被害を及ぼすのかは、ソフィアにも分からない。
けれど、この森に入ってからそれなりの時間が経過しているはずなのに、一度も魔物がソフィアに襲い掛かってこない。もし、魔物が本能的に危険を感じて襲ってこないのだとしたら。魔力の暴走がどれほどの威力なのかは押して知るべしである。
魔物が恐れるほどの威力があるならば、やはり少しでも城から離れなければいけないと焦りを感じる。
身体は、走り続けていることと暴走し始めた魔力の負荷による疲労を感じているが、ソフィアには休憩を取ろうという思考はなかった。
自分の身に起こっていることを考えれば、身体を休めることに何の意味もない。
休む時間があるのならば、一歩でも遠くに行きたい。それほどに、時間が惜しい。
そのまま休まずに走り続けていると、ふと視界が開けた。
溢れんばかりの日の光に、薄暗さに慣れた視界が一瞬霞む。これにはさすがに足を止め、目を閉じてやり過ごした後、ソフィアはそっと目を開いた。
そして、視界に映った見覚えのある――ありすぎる光景に、小さく息を呑む。
深いこの森の奥には、木が一本も生えない、開けた場所がある。『魔力の吹き溜まり』に宿る魔力の影響である。そうして、ソフィアはここの魔力と相性がいいらしい。引き寄せられるようにこの地を訪れること、三度目。もう偶然では片付けられない回数だろう。
この場所は、ソフィアにとってとても大切な場所だ。
強い決意に満ちていたソフィアの薄紫の瞳が、一瞬揺れる。そうして、視線が辺りを彷徨い――真ん中から真っ二つに割れて炭化した木で止まった。
記憶が、想いが。ソフィアの胸に過ぎる。
この場所で、ウィルが手を差し伸べてくれた。
ソフィアにとって何よりも大事なあの旅の、始まりと終わりの場所だ。
「……っ」
数歩だけその場所を歩いて。思わず立ち止まった、その時だった。
「っ!?」
どくんと心臓が大きく鳴った。同時に強い痛みが身体を駆け巡り、ソフィアは息を詰めて目を見開くと、思わず両手で自分の身体を抱える。膝から力が抜けて崩れ落ちそうになったのは、何とか堪えた。
ばちっという強い放電音とともに、ソフィアの身体から可視化した魔力の渦と青白い稲妻のような光が放出される。その一筋が地面に落ちて大地をあっさりと削ったのを見て、ソフィアは顔色を変えた。けれど同時に、心のどこかで安堵もしていた。
自分がどうなってしまうのか、恐ろしい気持ちはあるけれど。それでも、最期の最期で自分は間違えなかったのだと安心する。
やはり、あの城に、あの人の傍から離れたのは正解だったのだと。
それでも少しでも離れようと、足を数歩前に進める。
けれど再び激痛がソフィアを襲い、噛み殺せなかった呻きとともに足を止めた。両腕で身体を抱きしめたまま力をこめて、痛みに必死に耐える。
その時だ。激しい魔力の放出音の合間に、エンジンが止まるような音を聞いた気がしたのは。
緩慢な動作で顔を上げると、そこにいるはずのない人物と目が合って、ソフィアは小さく息を呑む。
目の前に、城にいるはずのウィルがどこか呆然とした表情で立っていた。
幻だと思った。最期に会いたいと願った自分が、魔力で創り上げた、幻。
呆然としているのに、エアバイクのハンドルに装着していたゴーグルを引っ掛けるのを忘れずに行っているのは、習慣になっているがゆえの無意識の行動なのだろう。幻だというのにその辺りがしっかり再現されている辺りが、本物のウィルに近いなと思う。
そんなことを思ったら、ふわりと笑みが零れた。
幻でも何でも会えて嬉しいだなんて、自分も大概どうかしていると思いながら、名前を呼ぶ。
声が詰まって思っていた以上に掠れてしまったけれど、それでも。
「……ウィル、さん」
激しい魔力の放出音が、森に響く。その中を縫うように届いた声にソフィアは思わず目を見開いた。
「――……ソフィア!」
それは夢でも幻でもなく。彼は現実に、この場所に立っていたのだ。