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    記憶のうた 第七章:真実の扉(5)


     ソフィアの言葉が示すひとつの真実に気付きながら、ウィルが口に出来たのは別の事だった。
    「……思い出した、のか……?」
     ウィルのどこか呆然とした小さな呟きは、雑踏に紛れて消える。
     けれど、その言葉は確かにソフィアに届いたらしい。ソフィアは困ったように微笑み、首を傾げる。
    「ぼんやりと、です。これを思い出したって言うのは……微妙な気がします。私、魔跡で記憶を取り戻しましたよね? あの時より、断片的で、曖昧で……。けど、確かなのは……」
     前を見て歩くソフィアの薄紫の瞳が、切ない色を帯びた。
    「私……人間じゃなかったみたいです」
     ウィルも気付いていたが口に出せなかった事実を、ソフィアはあっさりと口にした。
     地上の人間が二十年に一度しか立ち入れないこの天上の国でソフィアが何がしかの罪を犯したというのなら、彼女の正体はこの国の住人――つまり、天使ということになる。
     小さく呟いたソフィアの手が、微かに震えている。そのことに気付いたウィルは、握る手に微かな力を込めた。
     賑わいを見せる街並み。けれど、喧騒がいやに遠い。
    「……記憶を封じられる前に私が何をしたのかは、思い出せていません。天使のはずの私に……何故、翼がないのかも。……けど、私は何か罪を犯しました。そして、基本的に死刑のないエアリアルにおいて、追放刑は……最重罰のはずです。そんな私が戻って来てしまったから……彼らは私を追っているんでしょう」
     そう言うソフィアの瞳に、すでに切ない色はなかった。ただ、事実だけを淡々と語る。だが、押し殺している感情は繋いだ手から伝わってくる。
     そして、ソフィアは言葉を切った。一度だけ、息を吸って。強い決意に染まった瞳を、ウィルに向ける。
    「とても、嫌な予感がするんです。……だから、ウィルさん。ここでお別れしましょう。ウィルさんは私から離れて下さい。あなたまで危険な目に遭う必要なんて、ないんです」
     ソフィアの目は真剣だった。
     敵意や悪意、殺気には鋭いソフィアだ。ソフィアが嫌な予感がするというなら、きっと何かが起こるのだろう。ウィルはソフィアの能力をよく知っているし、信頼している。……けれど。
    「嫌だね。……そんな仮定の話で逃げてたまるか」
     ソフィアが数度、目を瞬く。
    「それに、この状態でお前を一人放置したら、俺が他の連中に責められるだろ?」
     そう言いつつ歩調を速めれば、ソフィアがでも、と食い下がる。
    「それでも、危険な目に遭うよりいいはずです! 命の危険があるかもしれないんですよ? 逃げて下さい」
     逃げて、と言うソフィアの手に力が篭る。離したくない、一人は怖い。そう言うように。
     どちらも、ソフィアの本音なのだろう。
     だが、ウィルにこの手を離すという選択肢はない。だから、強く握り返す。
    「それに……」
     ソフィアが小さく呟いた。
    「私、重罪人なんですっ。ウィルさんは……そんな人と一緒にいちゃ、だめですっ……」
     搾り出すような、泣きそうな声だった。ウィルは小さく息を吐いて肩を竦める。
    「馬鹿。お前がそんな大層な犯罪出来る訳ねーだろ。考えすぎだ」
     ウィルの言葉に、ソフィアの瞳が大きく揺れた。
    「分からないですよ、そんなのっ。記憶を封じられる前は極悪人物で、悪行の限りを尽くしてたのかもしれないじゃないですか」
     必死に言い募るソフィアを見て、ウィルは思わず吹いた。
     そんな場合ではないのだが、悪行の限りを尽くすソフィアというのがあまりに想像がつかなかったのだ。
    「それはない。……リュカの身長が今すぐティアを越えるくらいありえない」
     ウィルは何気に酷いことを言いながら、あっさりと切って捨てる。
     よく分からない例えに、ソフィアは何となく納得してしまいそうになる。けれど、ここで引いてはいけないとさらに食い下がった。
    「で、でも……それなら、私、どんな罪を犯したっていうんですか? 追放刑が最重罰のひとつなのは間違いないんです。私、そんな刑を執行されるような罪を犯しているはずなんですよ」
    「そんなの俺が知るか! 魔力暴発させてお偉い人の髭焦がしたとか、迷子になった子供助けようとしたら一緒くたに迷子になって誘拐犯扱いとか、国宝級の代物をドジって次々に破壊したとか、そんなんじゃねーの!?」
     適当に並べた割りにどれもありそうな気がして、ウィルは複雑に眉をしかめた。
     それはソフィアも同様らしい。微かにそっぽを向いた顔には、そうかもと書かれている。
    「……あー、つまり、だな」
     ウィルは困ったように呟いて、空いている手で頬を掻いた。
    「……短い期間だったけど、一緒に旅してきただろ? ……だから、知ってる。お前は、ドジだし、天然入ってるし、感情的になると周りが見えなくなるけど……誰かを傷つけて喜ぶような奴じゃねーって」
     むしろ、自分が傷つくのは厭わないくせに、他人が傷つくことをよしとしないような少女だ。巻き込みたくない、迷惑をかけたくないと、一歩引いてしまうような、そんな少女だ。
     そう、知っている。たぶん、根拠はそれだけで十分だ。
     ウィルの言葉に、ソフィアが顔を上げてウィルを見つめる。
    「ウィル、さん……」
    「それでも、もしお前が誰かを傷つけるようなことをしたんだとしたら……何か事情があったんだろ」
     この国で認められているかどうかは知らないが、世の中には正当防衛というものもあるのだから。
    「俺が言ったことで、間違ってたことって今まであったか?」
    「……ない、です」
    「じゃあ、信じろ」
     強く言えば。ソフィアが泣きそうな、それでも穏やかな笑みを見せた。
    「……ありがとうございます。ウィルさん」
     その時だ。背後から声がかかったのは。
    「もういいでしょ? お二人さん。見せつけてくれちゃってさ! こっちは休日返上で仕事だってのに!」
     かかったと言うよりは、彼らもこの機会を待っていたのだろう。
     彼らが街を出て、周囲に人気がなくなる、この機会を。
     そう思いながらウィルはソフィアの手を引っ張り自分の後ろに回しながら、振り返った。

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