記憶のうた 第七章:真実の扉(4)
ウィルとソフィアは二人きりで、街の外へと向かって歩いていた。だが。
「わひゃっ、す、すみませんっ。……ウィルさーんっ! ま、待って下さい〜」
星祭本番の時期となり、街中は人と天使で溢れかえっている。ソフィアはあっさり人の波に溺れた。
「……何やってんだ、お前は」
流されそうになっていたソフィアの腕を掴み、彼女を自分の方に引き寄せて人の少ない場所に避難し、ウィルは呆れた視線を向ける。
「うう、だってぇ。人、多すぎですよぉ。ぶつかっちゃいます。ウィルさんこそ、何でそんな普通に歩けるんですか……?」
困ったように眉を寄せるソフィアを見て、ウィルはしばし考え込む。
「……前を見て歩いてるから?」
「わ、私が前見て歩いてないみたいじゃないですか。ちゃんと見てますよ!」
「見ててあれかよ。めちゃくちゃ人にぶつかってたじゃねーか。……お前って鋭い時と鈍い時の落差が激しいよな」
気配や敵意には物凄く鋭いくせに、普段の行動はどちらかというと鈍臭い。
先ほどの状態も、ウィルを見失わないようにしていたら周囲への注意が疎かになって、人の波に流されそうになっていたのだろう。
こういう時こそ人の気配を敏感に察知して避けるとか出来ないものなのだろうか。
そんなことを考えるウィルだが、実際のところ人ごみを悠々と歩くソフィアというものが想像し辛いのも事実だ。
「……何か、失礼なことを考えてません?」
鋭い。しかしウィルは白を切った。
「気のせいじゃないか? ……さて、行くぞ。いつまでもここでじっとしてる訳にもいかねーし」
ウィルの言葉にソフィアは抜け出してきたばかりの人ごみを眺め、肩を落としてため息をついた。この人ごみの中に戻りたくないのは、分かる。確かに、物凄い人だ。
ウィルは小さく息を吐いて、自分の左側に立つソフィアにちらりと視線を向けた。
「ほら、ぼけっとすんな」
そう言って、ソフィアの右手を左手で掴み、そのまま人ごみの中に戻る。
「えっ!? あ、ウィ、ウィルさんっ!?」
微かに上擦った声が斜め後ろから聞こえるが、ウィルは前を見たまま言葉を返す。そうでなければ、ウィルだって人の流れに呑まれてしまいそうだ。
「これなら、はぐれる心配はないだろ? ちゃんと前見て歩けよ」
「あ、そ、そそそそうですねっ! すみません。……ありがとう、ございます」
気配だけだが、ソフィアが仄かに微笑んだのが分かる。ウィルは別に、と小さく呟いてから、再度息を吐いた。
「……にしても、何でこの組み合わせなんだか」
二人一組で分かれて行動し、尾行者の標的をある程度特定する。そして、尾行者と尾行者がついたペアを残り二組がさらに尾行し、街を出て挟み撃ち、というのが今回取ることとなった作戦の概要である。リアの何気ない一言で決まったこの作戦のペアを決めたのも、何故かリアだった。
「俺らなんて二人とも後方支援型だぞ。バランス悪すぎ」
リュカちゃんとティアちゃんは、聞くまでもないよね。じゃあ、後はー、あたしとユートちゃん。ウィルちゃんとソフィアちゃんでけってーい、といった軽い調子で決められた組み合わせは、戦力的なバランスは悪いことこの上ない。
このペアの中で一番バランスがいいのは剣士のユートと召喚士のリアのペアだろう。
リュカとティアは二人とも近接戦闘タイプだが、二人旅の期間が長いだけありコンビネーションが抜群だから、数値的なバランスはともかく最良のペアなのかもしれない。二人とも相当な実力者でもあるのだし、そうそう引けを取ることはないだろう。
しかし、ウィルとソフィアは二人とも後方支援タイプの上、ソフィアに至っては魔力コントロール力皆無なのだ。このペアだけ、何とも不安が残る組み合わせである。
こと戦闘に関しては、ウィルは自身が一番弱いだろうことを自覚しているから、なおさらだ。
そう思った時、ウィルの手の中のソフィアの手がぴくりと小さく動いた。
「……いるのか?」
表情には出さず、前を向いたまま尋ねる。ソフィアが、小さく頷いた。
「はい。……視線を、感じます。……ということは、標的は……ウィルさんか、私?」
なるべく表情に出さないようにしつつも、ソフィアが首を傾げる。
「……そうかもな。尾行してんのは三人って言ってたよな。全員いそうか?」
「……。はい」
そっと気配を探ったソフィアが、こくりと頷いた。
だが、振り返るようなことはしない。尾行に気づいていることを、尾行者に気取られてはいけない。
手のひらを通して、ソフィアの緊張が伝わってくるようだ。ウィルはほんの少しだけ、握る手に力をこめる。
「行くぞ。……外までおびき出す。作戦通りにな」
「はい」
平然とした表情のままそう告げると、ソフィアは真剣な顔で小さく頷く。
そして、なるべく普通を装うべく、出店を冷やかしたりしながらも街の外に向けて歩いていたのだが。
「……あの、ウィルさん」
ソフィアの遠慮がちな声がしたのは、街のはずれに差し掛かった時だった。ここも人は多いが、街の中心部ほどではない。手を繋がなくともはぐれることはないだろう。
「どうした? ……何か、あったか?」
微かに声を潜めるウィルに、ソフィアは小さく首を横に振る。
「違うんです。あの……」
そう言って、しばらく言葉に出すことを躊躇っていたソフィアだったが、やがて意を決したように口を開いた。
「追われているのは……きっと、私です」
きっと、といいつつも妙に確信めいた口調と声に、ウィルは一瞬、目を見開く。
表情に出すことはなかったけれど、隠しきれなかった動揺が、離すタイミングを見失って繋がれたままのウィルの手をぴくりと震わせた。
「私は……この地では重罪人だから」
そう言ってソフィアは複雑そうな表情で、微笑んだ。
ウィルはユスノア国のアスタール近郊の魔跡で、ソフィアが一時的に記憶を取り戻した時、罪を犯したような事を呟いていたのを思い出し、小さく息を呑んだ。