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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:雨の記憶(2)


     魔跡で熱を出し倒れたソフィアだったが、リアとユートが貰ってきた薬のおかげで、熱は完全に引いている。
     しかし、大事をとったほうがいいだろうと、アスタールの街を出発するのは明後日以降ということに決まっていた。
     今も、ソフィアは宿屋の二階で眠っているはずだ。
     ウィルは宿の一階にある食堂の窓際の席で、コーヒーカップを傾けつつ、ノートパソコンと向き合っている。窓から見える空は、鼠色の雲に覆われており、いつ雨が降り出してもおかしくなさそうだ。
     今は昼時から少し外れた時間ではあるが、食堂は大勢の客で賑わっている。この宿は食事処としても商売をしているし、軽食系のメニューもかなり充実しているので、客の入りは結構多いのだ。
     そんなとりとめのないことを考えながら、小さく息をつく。
     パソコンに表示されているのは、天上国エアリアルのデータだ。半鎖国しておよそ五百年の天使たちが住むとされる国。国家の上層部ではやりとりはあるものの、それだけだ。ウィルの兄であり、ガジェストールの次期国王である人も、天使に会ったことがあるのはあるのは片手で数えるほどだという。
     もちろん、ウィルも天使と会ったことなどない。民衆と違う点といえば、天使が伝説の存在ではないということを知っているという点くらいだ。
     だが、ソフィアが魔跡で天使像に反応を示した以上、記憶の手がかりをエアリアルに求めないわけにはいかない。魔跡に天使像があったのだから、少なくとも古代術に関しての手がかりはクラフトシェイドよりもエアリアルの方があるだろう。
     エアリアルに行かなければならない。
     しかし、エアリアルの入国など、一介の旅人達に出来るはずがない。――……通常ならば。
    三十年に一度、エアリアルの大地を生んだという彗星が空に見える周期で、エアリアルが地上の人々に対して門戸を開く祭りがあるのだ。エアリアル側の要請によりこの祭りの大体的な告知は禁じられているため、一部の貴族や為政者しか知らない祭りではあるのだが。
     問題点は、二つ。エアリアル入国の手続きがかなり複雑かつ相当の金額が必要であること。そして、エアリアル入国の道が開かれるのがガジェストールかクラフトシェイドの二国かどちらかのみという点だ。
    その祭りが、三ヵ月後に一週間、開催されるのだ。
    「……ガジェストールに戻るしかないか……」
     アスタールはガジェストールとクラフトシェイドのおよそ中間地点だ。距離が同じならば融通の利くガジェストールの方がいい。
    「……タイミングが良すぎるような気はするが……」
     何か作為的なものを感じるのはさすがに穿ちすぎなのだろうけれど、三十年に一度の機会に恵まれた上に、仲間内に祭りの情報を知ることが出来る立場のウィルがいるのだ。
     ソフィアは相当な運の持ち主ではないのかと思う。
    「……熱心だな」
     気配も感じさせずいきなり声をかけられて、ウィルはびくりと肩を震わせた。危うく出しかけた悲鳴を懸命に飲み込む。
    「……っティアか」
     そこには白髪と赤い瞳が印象的な長身の美女が立っていた。片手にはバナナチョコパフェを持っている。
    「店内が混んでいてな。……そこに座っても構わないか?」
     そう言って、視線だけでウィルの向かいの席を指し示す。
    「いいけど。……お前、うっすい気配で人の背後に立つなよ。俺、そんなに鋭くねーんだから」
    「悪い。癖でな」
    「……嫌な癖だな」
     だが、彼女の経歴を考えれば当然の事なのかもしれない。ウィルの目の前でバナナチョコパフェを無表情で頬張る大の甘党は、『白のヴァルキュリア』の二つ名をもつ元・裏の世界の人間だ。
     ヴァルキュリアは戦の女神の名であると共に、死を司る神でもある。その名を冠するほどの能力を持った彼女は、およそ一年半ほど前、自身が所属していた組織を壊滅させたという。
     そうなるに至った経緯を、ウィルは正確には知らない。情報を通して見えてくることもあるけれど、それが正しいことなのかどうなのかは、実際に見て確認するまでは分からない。情報が全ての世界で生きてきたウィルにとっては、それは新しい発見だ。情報として頭の中にあることと、知ることは違うのだと。
    「……驚いたぞ」
     いきなり口を開いたティアに、ウィルは眉をしかめた。
    「……何がだよ」
    「お前の、正体のことだ」
     短く告げられ、ウィルは小さく苦笑した。
     この街で出会った当初は、誰にも自分の身元を明かしていなかったのだと、今更ながらに思い返す。
    「そりゃ悪かったな。……で、どうする?」
     ティアがウィルに同行を申し出たのは、ウィルがティアの正体を握っていたからだ。だが、ウィルの正体がばれた以上、条件は五分五分だ。
    「……私は、お前たちのことが気に入っている」
     それが、ティアの答えだった。
    「……当てにしてる」
     珍しく笑みを浮かべるウィルに、ティアは小さく頷き、チョコのたっぷりかかったバナナを口に放り込む。
    「大した情報収集力だな。……ティールズのブラント家のことまで辿れる者がいるとは正直思ってもみなかった」
     ティアの声に滲む感嘆の音色に、ウィルは苦笑した。
    「……言っただろ、得意だって。……けど」
     ウィルはコーヒーを一口だけ飲んで、息をつく。
    「情報から、全てが分かるわけじゃないだろ。……何を思っていたかなんて、画面からじゃ分からないからな」
     ティアが視線を上げると、ウィルは窓の外に視線を移していた。窓に水滴が当たる音が聞こえ始める。
    「……雨、降ってきたな」
    「……そうだな」
     ティアは頷きつつ、何かを思い起こすように軽く目を伏せた。
     雨は、ティアに様々な記憶を思い起こさせるものだ。自分が捨てられた日も。自分の運命が変わった日も。全部、雨だった――。

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