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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:雨の記憶(1)


     風が日に日に冷たくなり、冬の気配が近付いてくるある日のことだった。その日の空はどんよりと曇り、冷たい雨が降っていた。
     その雨音を縫うように、赤子の泣き声が聞こえる。
    「……なんだぁ? ……こりゃ、捨て子か」
     人通りのない街を傘も差さずにふらふらとしていた漆黒の髪の男は、泣き声の方向に足を向ける。その泣き声の主は、やはり人気のない馬車の発着所にいた。上等なゆりかごの中に、やはり上等な織物で包まれた赤子が泣いている。生後一月ほどだろうか。屋根のある発着所であるため、ゆりかごはに濡れたような様子はない。
    「いーい布だな。……こりゃ、ティールズのか。おいおい、国一つ越えてんじゃねぇか」
     頭まで布に包まれ、固く目を閉じて泣き続ける赤子を見下ろし、男は息をつく。
     この赤子は立派な家柄に生まれたのだろう。布一つとっても一般人では手が出せないような高価なものだ。間違いない。そんな身分の者がこんな日に子供を捨てる。
    「……何考えてんだ。金持ちってやつぁ……」
     漆黒の髪をぐしゃぐしゃと掻き回し、呆れたように呟いていた男だが、途中でその言葉を呑んだ。変わりに、薄く笑う。
    「……はっ。なるほどな」
     男の視線の先には、身体を動かしたのだろう。頭を覆っていた布が落ち、瞳を瞬かせる赤子の姿があった。その白い髪も印象に残るが、何よりも強烈なのは瞳の色だ。
     涙に濡れたその瞳は、まるで血を塗りこめたように赤い。
    「なるほどな。……不吉だから、か」
     不吉な色を宿すものは、嫌われる。それは矜持の高い高貴な身分になればなるほど顕著になるという。不吉な色が家の繁栄を絶つのではないかと恐れられ、捨てられるのだ。
     男の目が、細められる。まるで獲物を狙う獣のようだ。
    「勝手だな。……貴族ってやつぁよ」
     小さく呟き、ゆりかごを片手で持ち上げる。
    「気に入ったぜ、ガキ。お前のその不吉な瞳の色もな。……お前が俺の死神になれるかどうか、試してやるよ」
     その時、布の隙間から紙が一枚落ちる。地面に落ちたそれを男は拾い上げ、苦笑した。
    「あーあ。濡れちまった。……ほっとんど読めねぇな。……Cと……T……ティア? 名前とかかね、こりゃ……」
     男は自分をきょとんと見上げる赤子に笑いかける。
    「じゃあ、お前に名前をくれてやろう。クレール=エディンティア=エッジワース、だ。クレールは俺の相棒……武器から、ティアはこの紙と……後は昔の言葉で引き裂くって意味があるらしいぜ? 裏の世界じゃ名高いバリー様の娘に相応しい名前だろ?」
     男――バリーが低く呟く。
     これが、後に『白のバルキュリア』の二つ名を与えられる者の誕生の瞬間だった。

     夏のある日の出来事だった。
     その日は季節に合わず、冷たい雨が降る日だった。その雨の中、幼いながらも整った顔立ちをした金髪碧眼の少年は、その顔に絶望を滲ませ、がくりと地面に膝を付いた。
     彼の目の前に広がるのは、見慣れた村が焼け落ちた姿だった。今だ煙のくすぶっている家を、冷たい雨が叩く。壁に刺さった矢が冷たい風を受けて揺れている。それだけで、この村の惨状が人為的なものだとわかった。
     生きているものの気配は、ない。
    「な……んで……?」
     絶望にかられた彼の口から零れたのは、掠れた呟きだけだ。
     目の前の光景が、理解できない。
     今朝までは平和で、少し退屈な日常の光景が広がっていたはずなのだ。
     自分が出かけていた間に何が起こったというのか。こんな山間に埋もれるようにひっそりと暮らす、滅びゆく一族に、何が。
    「何が……誰がっ、一体何のためにっ……」
     血を吐くような思いで吐き出した言葉は、怒りと復讐心に彩られていた。
     滅ぶ運命だったのだ。それを静かに受け入れ、この大きな力が歴史を歪めないようにと山奥に引きこもり、必要最低限以外の外界との接触を絶った一族だった。
     古より受け継ぐソールの血脈を、穏やかな場所で穏やかに絶とうと。
     だが、受け入れていたのはもっと穏やかな終わりで、こんな結末を望んでいたのではない。誰かに強制的に下された終わりなど、許容できるはずがない。
     彼はゆっくりと立ち上がった。雨に濡れて額に張り付いた髪を掻き上げる。目元が濡れているのは、雨のせいだ。自分に泣いている時間はない。
     彼は、最早沈黙しか返さない彼の村に背を向けた。
    「……殺してやる。……太陽の一族最後の一人……リュカ=ソール=グレヴィの名にかけて!」
     リュカは声に殺気を滲ませて、二度と帰ることはないだろう故郷を旅立ったのだ。
     その時に持っていたものは、剣と復讐心だけだった。

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