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    蒼穹の狭間で  2.目覚めの時(6)


    「雅!?」
     どこか怪我でもしたのかと、慧は慌てて駆け寄り雅の顔を覗き込む。だが、雅の目はどこも見ていなかった。
    「あた、あたし……人をっ……殺し……!」
     その言葉に、慧ははっと息を呑んだ。今まで争いのない世界で生きていた少女が、命のやり取りをすることなどあったはずがない。
     それが、間近に死を感じるような体験をして、そして人の形をしたものに対して、死に繋がる様な攻撃行動をとった。衝撃を受けないはずがなかった。
     慧は雅の様子に、表情を曇らせた。
    「雅……」
    「あたし、あたし……殺し、ちゃった……!」
    「違う、雅……」
     慧の声も、今の雅には届かない。どこか虚ろな目で、ただ肩を震わせるだけだ。
    「あたし……!」
    「雅! 聞けって!」
     慧は、震える雅の肩を抱き寄せた。雅の頭が慧の胸の辺りに当たって止まる。耳から伝わる慧の心音に、雅は目を見開いた。衝撃に、混乱が吹き飛ぶ。
    「見てただろ。暗奈に止めを刺したのは、俺だ。殺したのは俺。お前の魔法じゃない」
    「で、も……。あの炎、致命傷、だったでしょ? ……ほっといても、暗奈は……」
    「それでもお前は、殺してない」
     慧の胸に押し付けられた耳から彼の心音と、声が響く。
    「……あいつ、式だったんだ。生きてるものじゃない」
    「……しき?」
    「ああ。……そうだよな? 春蘭」
     慧の言葉に、春蘭が頷いた気配がした。
    「はい。あれだけの力を持っていましたから、恐らく陰羅の身体の一部……髪とか爪を媒介に作られた、操り人形のようなものです。……その証拠に、あの人、風に溶けて消えてしまいましたから……」
     慧は雅の背中をぽんぽんと叩いた。落ち着かせるように。あやす様に。
    「な? ……だから、大丈夫だ」
     その声は、ひどく優しい。胸に押し当てた部分から響く声と規則正しい心音に、雅はひどく安堵し――それから、自分の状態に気付いて、別の意味で慌てた。
     抱きしめられている。男の人に。
     そんな状況が起こるとは思えないけれど、これが優也とか裕幸な、変な悲鳴でも上げればそれですむかもしれない。
     というか、あの二人相手なら、こんな風にどぎまぎしないか、と思いかけ、自分の思考にさらに混乱する。
     自慢じゃないが、主婦業でいっぱいいっぱいの雅は、彼氏がいたことなんてないし、あまり欲しいとも思っていなかった。つまり、免疫がない。
     そんな雅の別の意味の混乱を感じ取ったのか、慧が小さく息を呑む音が聞こえた。
    「……悪い」
     そう言って、引き離される。雅は小さく首を横に振った。
    「……ううん」
     動揺していた心はひとまず落ち着きを取り戻していたが、気恥ずかしくて慧の顔を見ることが出来ない。何となく視線を横に滑らせた雅は、慧の右手に握られた剣に目を丸くした。
    「……慧。その剣……」
    「ああ……」
     慧は改めて、右手の剣に視線を落とす。刀身が淡く輝く剣を持ち上げ、首を傾げた。
    「何だろうな? この剣。何か右手が熱くなったと思ったら……握ってた」
    「握ってた、って。……何でもありなの? この世界」
    「いや、俺だってこんなのは初めてだけど……」
     戸惑ったような表情をした慧だったが、その剣を注視するような視線を感じて顔を上げると、春蘭が妙に緊張した面持ちで、輝く刀身を見つめていた。
    「……春蘭?」
     その呼びかけに、春蘭ははっと我に返った。
    「あ、す、すみません。……何だかその剣から凄い力を感じて……驚いてしまいました。慧君……その剣を使って、何ともありませんか?」
     そう問われて、慧は剣に視線を落とした。
    「ああ、大丈夫だ。……むしろ、凄く手に馴染んでる」
     初めて握った、正体不明の剣だ。だが、ずっと前からこの剣を使っていたような、不思議な感覚がある。
     そう告げる慧の手の中で、剣がふわりと光を帯びる。そして、いきなりその場から消えた。
    「……え?」
    「えええええ!?」
     慧と雅が目を丸くする。慧も驚いているから、これは剣と魔法の世界でも不可思議な現象らしい。春蘭だけが驚いた後、ひどく複雑な感情を押し殺すような表情をしていたが、雅と慧はそのことに気付かなかった。 「……消えたよ?」
    「……消えたな」
    「……どこいったのよ」
    「……さあ?」
     慧も途方に暮れたような顔をしている。雅はびっと人差し指をたてた。
    「出てこーい! って念じてみるとかどう?」
    「ええ!? ……えーっと……」
     慧は試しに目を閉じてみる。すると。
    「……出てきた」
    「うわぁ、何か気持ち悪ーい」
    「気持ち悪いって、お前……」
     そう呟く慧に、雅はごめんと小さく笑った。
     若干空元気気味ではあるものの、笑えたことに内心安堵した。
    「まあ……自分でも変な感じではあるけど」
     そう言いながら、慧は再び剣をいずこかへ消す。どうやら自由自在に出現させることが出来るらしい。それから音もなく立ち上がると、慧は雅に手を差し出した。
     数度瞬いてその手を見つめた雅は、ゆっくりと慧の手を取った。
    「……ありがとう、慧」
     たくさんのことがありすぎて、何に対する礼なのか分からない。だから、色々な意味と感情を込めて呟いた、その言葉に。慧は小さく笑ったのだった。

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