蒼穹の狭間で 2.目覚めの時(5)
剣の切っ先は、雅と雅を庇う春蘭の方にその先端を向けて飛んでいく。慧の叫びに春蘭はくるりと振り返って、雅を力一杯横に突き飛ばすと、その反動を利用して自分も横に跳んだ。
そのすぐ後に、今まで二人がいた場所を剣が切り裂いていった。まさしく間一髪だ。春蘭は思わずほっと息をつきかけるが、気を抜くにはまだ早い。戦いはまだ終わっていない。
「隙あり、ですわ」
暗奈は剣を追うように走り出していた。腰だめに構えた剣の切っ先は、雅に向いている。雅はそれを呆然と眺めていて、避けようとする様子がない。
「くっ!」
慧が舌打ちをして駆け出すが、暗奈の方が雅に近い位置にいる。どう考えても、間に合う距離ではなかった。
春蘭も無理に飛び退いた反動で、咄嗟に動くことが出来ていない。
何とか暗奈の動きを妨害しようと投げつけた折れた剣の柄も、こちらをちらりとも見ない暗奈にあっさりと叩き落される。
慧はきつく唇を噛んだ。
魔法は使えない。この位置では、雅を巻き込む可能性があるからだ。
せめて、剣があれば。そうすれば、雅を守ることが出来るのに。
思わず、守ると決めた地界の少女の名を呼んでいた。同時に暗奈も叫ぶ。
「雅っ!」
「光鈴! これで終わりですわ!!」
こんなところで、彼女を死なせるわけにはいかない。
そう強く思った瞬間。慧の右手がありえないほどの熱を持った。
雅の視界には、全てがゆっくりと映っていた。
暗奈と名乗った妖艶な雰囲気の女が、この場に似合わない艶やかな笑みを浮かべて、雅に向かってくる。その手に、暗黒色の剣を持って。
そんな場面だというのに、暗奈があまりに綺麗に笑うから、何だか現実感がない。夢の中にいるような気分になる。
雅の中の常識の範囲を超えてしまって、何が起こっているのかすら理解できなかった。ただ、暗奈の後を追う慧の表情が妙に切迫していて、それが酷く気にかかる。
「雅っ!」
「光鈴! これで終わりですわ!!」
その言葉が、急に雅を現実に引き戻した。
終わり。この場面においてその意味は死ぬということ。
不意に背筋に氷塊が落ちたような寒気が走る。今朝感じた嫌な予感はこのことだったのだと気付いた。
「や……」
死にたくない、と思った。こんなところで死にたくない。死ねない。
一歩、後ずさる。だが、身体が動いたのはそこまでだ。暗奈の方が、どう考えても速い。
「いや……」
そう呟いたのは、無意識だった。同時に、頭の中に低い女性の声が響く。
――……ならば、唱えろ。
胸元の勾玉が強く熱を持ったことに、雅は気付かなかった。
「来ないで……!」
――……私の……光の力は、そなたと共にある。
瞬間、脳裏に閃いた言葉を。雅は反射的に口にしていた。
「聖なる、かがり火。燃え上がる炎よ……!」
慧がはっとして、後ろに跳び退る。
「……ブレイズ」
何かを諳んじるかのようにどこか呆然と紡がれた術は。
青白い炎を発生させ、雅に剣を突き立てる寸前だった暗奈を包む。
「ああああああああっ!」
暗奈の甲高い悲鳴に、どこかぼうっとしていた雅はびくりと肩を震わせた。
「あ、たし……何を……?」
「くぅっ……! こ、こんな……! せめて、光鈴を道連れに……!」
身体を焼かれながらも、暗奈が雅に向かって手を伸ばす。その動作に、雅がびくりと肩を震わせた。だが、その手が雅にかかる寸前、胸板を後ろから光り輝く刀身が貫いた。
「……させるか!」
慧はそのまま剣を横に薙いだ。暗奈は悔しそうな表情を浮かべて、地面に倒れる。
「い……んら、さま……」
そう呟いて虚空に伸ばされた手が、さあっと風に溶けた。人の身にありえないその様子に、春蘭が小さく眉をしかめる。
「……式?」
その言葉と。
「あたし、は……や、だ……。いやぁっ!」
雅の取り乱したような叫びは、ほとんど同時だった。