蒼穹の狭間で 1.伝説の始まり(8)
話の流れは予測していたし、大方その通りだった。しかし、一箇所物凄いことを言われた気がする。
押し付けられそうな救世の使命。けれど、雅の肩書きは救世主でも勇者でも賢者でもなく。
「……え? 神様……? 生まれ変わりって……あたしがぁっ!?」
思わず椅子を蹴倒すような勢いで、立ち上がる。いくらなんでも、神様は予想してなかった。言葉としては理解できても、容易に受け入れられる内容ではない。
肩書きが神様っていうのも、雅が知らないだけで異世界トリップの王道だったりするのだろうか。
真剣にそんなことを考え込むあたり、思考が若干現実逃避をしている。
そんな雅の心境を知ってか知らずか、稜はあっさりと頷いた。
「その通りです」
「……」
何を言えばいいのか分からず、言葉が続かない。雅は小さく唇を噛んで、黙り込む。
急な展開を信じることなんて出来ない。けれど、一つだけ納得したことがあった。春蘭の、雅に対する態度だ。
春蘭は巫女と名乗っていた。巫女は、神に仕える者。その神の生まれ変わりとされる者が目の前に現れたら。信心深い者であればあるほど、目の前に現れた存在に傾倒するのかもしれない。
事実、春蘭が雅に向ける眼差しは、憧れと尊敬と畏敬の念が入り混じった複雑な色をしている。
そこでふと、もう一人の存在を思い出し、ちらりとそちらに視線を向けた雅は、数度瞬いた。
慧の表情は、雅が予想していたどんな表情とも違った。何かを思い悩むような、そんな表情で雅を見ている。その表情の意味が分からず、雅は内心首を傾げる。
だが、今言うべきはそこではないだろう。
この王道なような、そうでもないような現状で、一番大事なことを確認するべきだろう。
「……つまり、復活した陰羅とやらを倒せるのは、光の神だけで。あたしが、その光鈴ってひとの生まれ変わりだから、あたしに倒せ、と。……そーゆーこと、ですよね?」
こくりと稜が頷く。
「そうなりますな」
「……なるほど? 魔物も魔法もない世界から来た、戦い方も知らない、ましてや天界の人間ですらない、ただの子供に全部押し付けると。……そーゆーわけですか」
あえてにこやかに言い切れば。稜の表情はまったく変わらなかったものの、春蘭の表情が明らかに困惑したものに変わった。
「雅様?」
そこが、何とか取り繕っていた丁寧な態度の限界だった。
「ふっざけんなぁぁ! 第一、他力本願過ぎるとか思わないのっ!? あんたらぁぁぁっ!」
感情のままに思い切り両手をテーブルに叩きつける。手が痛かったが、気にならなかった。目の前にあったのがちゃぶ台なら、ひっくり返したい気分だ。
「自分の世界の問題に、関係ない世界で暮らしてる普通の女子高生を世界の危機なんてものに巻き込むな! 変な竜巻に誘拐されたせいで、特売には行けないし、家族には心配かけるし、家の台所が壊滅の危機に陥りかけてるし! はた迷惑もいいとこだわ!」
雅の剣幕に、春蘭がびくりとし、慧がぽかんとした表情をして瞬いた。
「ってゆーかね! 伝説なんて曖昧なものに頼る前に、自分達で何とかしようと思いなさいよ! 最初から光鈴じゃなきゃ勝てないって決め付けて行動してるでしょ!?」
それは勘に近いものだったが、恐らく外れてはいないのだろう。
春蘭の顔色が目に見えて変わったのが、証拠だ。
「出来るかもしれないのに、出来ないって決め付けて、押し付けて! サボってるようにしか見えないわ、正直! あたしはねぇ、そういう他力本願がだいっきらいなのよ!」
そう言い切った、瞬間。背筋に悪寒が走り、思わず身を竦ませる。同時に、慧が扉の取っ手に手をかけた。
「……何?」
声が強張るのを自覚しながらも問いかけると、慧はこちらも見ずに応じた。
「魔物だな。……囲まれてる」
「ええっ!?」
扉の向こうを探るように目を細めていた慧が、一度だけこちらを見た。正しくは、雅ではなく稜を。
「迎え撃ちます。……春蘭!」
雅の言葉に衝撃を受けていた春蘭は、名を呼ばれて息を呑み、表情を変える。
「行くぞ!」
「はい!」
機敏な動作で、慧と春蘭は家の外に出て行ってしまう。取り残された雅は、背筋に寒いものを感じたまま、困ったように呟いた。
「……え〜っと……」
何が出来るわけでもないが、このまま何の状況も分からずにいるのは不安だ。
意味があるかは分からないが、何となく足音を忍ばせて扉に近づき、少しだけ空けた隙間から外を窺い見る。
そして、小さく呻いた。表情が引きつるのが自分でも分かる。
「うっわ……。確かに魔物って感じ。……気持ち悪くて凶悪な生き物がいっぱい……」
それが、魔物をはじめて見た感想だった。こんな生き物、地界のどこを探してもいないのではないかと思う。
恐ろしい牙や爪を持つ生き物や、獰猛な生き物は地界にもいる。だが、そんな生物達と雅の目の前にいる魔物達は根本的な何かが違うのだ。
視界に入れただけで、本能的な恐怖を感じさせる存在。魔物達は生きるためにその力を振るうのではなく、ただ破壊と殺戮をもたらすための存在なのだと肌で感じ取った雅は、身体が震えるのを抑えられない。
「……これで神様なんて、やっぱり冗談きついわ……」
かたかたと小刻みに震える手を見て苦笑する雅の耳に、稜の呟きが届いた。
「何故……魔物が……」
雅は思わず振り返る。稜の言動から察するに、この事態は天界の人間にとっても珍しい事態のようだ。
「……珍しいんですか? この状況?」
何とか、声は震えずにすんだ。雅の問いに、稜はこくりと頷くと、雅の隣に来て、扉の隙間から外を窺う。
「はい。……魔物は闇の眷属。夜を好み、群れることを嫌います。昼に活動するものもいなくはないのですが、あの種類は違う。それに……」
雅は腕時計に目を落とし、現在の時刻が五時を回ったのを見て頷いた。冬は日が落ちるのは早いけれど、それでも完全に闇の帳が降りている訳ではなく、確かに夜と呼ぶには早い。それに。
「……群れてますね。思いっきり」
あまり見たくはなかったが、雅は視線を外に戻し、呟いた。見える限りでも一ダース近い数の魔物が確認できる。これを群れと言わず何というのか。
これが珍しい現象だというのなら、何か理由があるはずだ。
そう考えたとき脳裏を過ぎったのは、あまり認めたくない可能性だった。
「……あのー。魔物が闇の眷属ってことは、どっちかっていうと陰羅の仲間って感じ、ですよね?」
雅の問いに、稜が小さく頷く。
「そうなりますな」
「……じゃあ、陰羅の命令で……。あたしがいるから、とか」
稜が小さく息を呑んだ。
認めたくはないし、自分が光鈴の生まれ変わりだということを受け入れた訳でもない。けれど、この村が普段とは異なる点を上げれば、それがたぶん一番可能性が高いし、辻褄も合ってしまう。最悪なことに。
雅は立ち上がると、扉の取っ手に手をかけた。指先が小さく震えているのは見ない振りをする。
「稜さんは、ここにいて下さい」
「雅様……」
「正直光鈴なんて知らないし、あたしにそんな凄い力があるなんて思えません。……でも、これが陰羅の仕業なら……あたしは」
そこで、雅は意を決して扉を開け放ち、外へと飛び出したのだった。