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    蒼穹の狭間で  1.伝説の始まり(7)


    「……は? 雅が、消えた?」
     神代家を訪れた裕幸と智花は、混乱しきっていた。その二人を何とか落ち着かせようやく聞き出せた話に、優也は眉をしかめた。
     智花が泣きそうな顔になりながら、黙ったまま小さく頷いた。
    「確かに、雅はいたんだ。あの竜巻の中に。そして……消えた。鞄だけ、残して」
     裕幸の言葉に、遥が表情を曇らせる。神代家の面々と裕幸の付き合いは、長い。だから、裕幸がこういった性質の悪い冗談を言わないことは知っている。この表情が嘘をつくときのものではないことも。
     それでも、言わずにはいられなかった。
    「……嘘だろう?」
     裕幸の話はあまりに空想じみていた。簡単に信じられるような話ではない。
     その辺りの心情は裕幸も理解しているのだろう。自分で話していても信じられないのかもしれない。裕幸を疑うような発言をした優也を責めることはなかった。
    「俺だって……信じたくないけど。自分で見たことがまだ信じられないけど……」
    「でも……あたしも古賀君も確かに、見たんです。……風がっ……!」
     そう言って智花が声を詰まらせる。その様子が、優也や遥に現実を突きつけてくる。彼らの言葉に偽りはなく、雅は姿を消したのだという、現実を。
    「……優也、二人をお願い。わたし、お父さんに連絡するわ。……なるべく早く帰ってくるように言ってくる」
    「ああ、分かった」
     青ざめた顔色で、遥が電話台に向かう。ぼんやりとその姿を視線で追いながら、裕幸はぽそりと呟いた。
    「……俺が、日直をサボらなければ……」
     言葉にすれば、悔恨の思いと罪悪感が裕幸を苛む。
    「雅を、一人にしなければ……こんなことには……!」
     優也はゆっくりと首を横に振った。正直、信じられない話ではあるが、風が雅を連れ去ったという裕幸と智花の話を信じるならば、雅がいなくなったことと裕幸は無関係だ。例え傍にいたところで、風が相手ではどうしようもないに違いない。
    「お前は、悪くない。……そういう責め方すんな」
    「……優兄」
     俯く裕幸の隣で、智花がぎゅっと唇を噛む。
    「……どこに行ったのよ……! 雅っ……!」
     その問いに答える術を持つものは、この部屋にはいない。

     小さな集落の中で一番大きな赤い屋根の家が、胡蓮の村長の屋敷だった。その家に入るなり、見事な白髪と髭を蓄えた老人が見た目よりも機敏な動作で立ち上がる。
    「おお……。よくぞおいで下さった。地界の少女よ」
    「あ……。はじめまして。神代、雅です」
     反射的に居住まいを正し頭を下げれば、老人は温和な笑みを浮かべた。
    「お初にお目にかかります。私はこの胡蓮の村長を勤めております。稜と申します」
     笑顔で席を勧めてくる稜に、雅は失礼しますと断りをいれ、椅子に座った。
     改めて周囲を見回せば、とりあえずこの建物が日本建築ではないことは何となく分かる。かといって洋風でもない。日本を含めた東アジア圏の文化をごちゃ混ぜにして割ったような印象を受ける。どちらかといえば、歴史の資料集で見るような昔の中国めいた雰囲気があるかもしれない。
     もしこれが夢なら、よく出来た夢だと思う。
     本音を言えば、まだ今置かれている状況を完全に受け入れているわけではない。心の片隅では、自分は教室の机で居眠りをしていて、夢うつつでいるのではないかと思っている。
     ただ、夢だろうが現実だろうが、分からないとごねていても話は進まない。だから、とりあえず現状を理解しようとしている。そんな状態だ。
     ぼんやりとそんなことを考える雅の前に、ことんと茶器が置かれる。そちらに視線を向ければ、いつの間に淹れたのか、春蘭がお盆を片手に微笑んでいた。
    「どうぞ。冷えたお身体を暖めて下さいませ」
    「……どうも」
     複雑な感情を覚えつつも茶器を手に取り口をつければ、馴染みのある味わいが口の中に広がる。緑茶の味だ。まじまじと茶器の中を見れば、やはり見覚えのある緑色の液体が注がれている。
     日本風なのか中華風なのかはっきりして欲しい、と思う。そう言えば、目の前の天界三人が着る服も、着物やチャイナ服やモンゴルの民族衣装辺りを足して割ったような印象のものだ。
    「……さて、雅様にはどこからお話させて頂けばよいものか……」
     春蘭が稜の後ろに控え、慧がこの家の出入り口の近くの壁に寄りかかるようにして立つ。それぞれの場所に落ち着いたところでの稜のその言葉に、雅は露骨に眉をしかめてしまった。
     春蘭から恭しく接せられる理由はないが、自分よりも年長者であるはずの稜からこんなに丁寧な対応をされる謂れはもっとない。
    「……あの、単刀直入にお伺いします。あなたが、あたしに対してそんなに丁寧な対応を取るのは何ででしょうか? あたしはまだ十六歳の子供です。そんなに丁寧に扱っていただく理由はないはずですけど」
     出来る限りの丁寧さでそう言う雅に、稜は首を横に振った。
    「我々には、あなたを無下には出来ません」
    「……何でですか?」
     雅の率直な問いに、稜はしばし言葉を探すように押し黙った。
    「……ここは、あなたの住んでいた世界である地界の上空に浮かぶ大地。天界と申します。天界には結界が張ってあり、地界からこの大地を臨むことは出来ません。……ここまでは?」
    「その二人から聞きました。……ちょっと、信じにくいですけど。同じ空の下にもう一つの世界があるなんて」
    「そうでしょうな。……同じ空の下にはありますが、二つの世界は全く違った発展の仕方をしています。この世界には、地界にはないものが二つある。――……魔法と魔物です」
     雅は、微かに眉をしかめた。それは確実にゲームや漫画の世界の話だ。
     そして、この蒼穹の狭間にある大地ではそれが常識だと言うのなら、いくら同じ空の下にあっても、この大地は異世界だ、と雅は思う。
    「……そのお話とあたしを無下に出来ない理由に、何の関係があるんですか?」
    「この世界をお創りになった光の神・光鈴はある日突然生まれた闇の神・陰羅を命を懸けて封じた。……そんな伝説が、天界には伝わっております」
     いきなり始まったこの世界の神話に、雅は内心ため息をついた。
     剣と魔法の世界。そこにいきなり召喚された主人公は、実は伝説の勇者だったり、賢者だったり、救世主だったりするのだ。そして、現地の民に請われる。どうか、この世界を救ってくれ、と。
     その手のファンタジー小説は、雅も嫌いではない。だが、自分がいざその立場に置かれそうになれば、思い浮かぶ言葉はただ一つだった。
     ――……何て、他力本願なの。
     雅は、その言葉が嫌いだった。少なくとも、中学校の卒業文集に書いてしまう程度には。
     そんな展開になりかけているのは、雅の気のせいではないだろう。
     雅の心境など知るよしもなく、稜の話は続く。
    「ですが、その封印は永遠のものではありませんでした。永い時を経て弱まった封印は解け、陰羅は復活してしまったのです」
     そうして稜が言ったのは、ある意味で雅の予想を裏切る言葉だった。
    「雅様は、その邪神を滅ぼす力を持つ、唯一の方。あなたは、この世界の創世の神にして光の神の生まれ変わりです」
     その言葉に。雅は本日二度目のフリーズ状態に陥ったのだった。

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