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    蒼穹の狭間で  夜の狭間に

     暗い寝室で、雅はベッドに横になった状態で天井を見上げていた。
     小さく息をついて目を閉じ、寝返りを打つ。そうしてしばらくそのまま動かずにいたが、やがて諦めたように息をついた。
    「……寝れないし」
     小さく呟き、むくりと起き上がる。となりのベッドでは春蘭が健やかな寝息を立てていた。
    「……ちょっと気分転換してこよ。……寒いかな」
     雅はなるべく音をたてないように、ベッドから抜け出した。さすがに寝巻きで外に出るわけにもいかないので、着替えて上からきちんと防寒着を羽織る。そのまま春蘭を起こさないようにそっとその部屋から抜け出したのだった。

     地界と違い電気などない天界の夜は、暗い。それは国立図書館があるこの暁安の町も例外ではない。
     その代りと言っては何だが、町中だろうが外だろうが、見える星空は格別に美しい。宝石箱をひっくり返したような、とでも形容したくなるような満点の星空だ。
     利用者に対しては三食寝床付きの格安宿にもなる国立図書館を抜け出した雅は、何の当てもなく街を歩いていた。異邦人である雅に、この町に当てなどあるはずもないのだけれど。
     雅は小さく苦笑をして、吐息を漏らす。出てくる息は冷気で白い。
     昼間も寒かったが、ここまでではなかった。やはり夜の寒さは厳しいなぁと思う。ただ、その寒さのお陰で、少しだけ気分はよくなった気もするけれど。
     それでも、戻っても眠れなさそうだと思うのは、やはり伝説の真実が心に圧し掛かっているからだろう。
    「……気にしない、なんて無理だしねー」
     小さく呟いて、重たい息を吐いた。とりあえず、昼間に慧に一通り感情をぶつけて、その時よりは心は落ち着いている。けれど、心は波立ったままだ。静まることはない。
     そんな風にぼんやりと歩いていたら、変な道に入り込んだらしい。
     アルコールの臭いにはっと顔を上げれば、妙に明るい通りにいた。闇に包まれた町と比べると、ここだけ雰囲気が異様だ。いわゆる歓楽街というやつだろう。
    「……未成年が来ちゃいけないとこだ……! 補導されるよ、これ!」
     この世界に未成年の概念やら警察があるのかは知らないが、思わずそんなことを呟いて雅は踵を返そうとして――肩に衝撃を受けた。
    「ひゃあっ!」
    「おおっとぉ〜」
     どうやら真後ろに男が二人いたらしいと気付いたのは、残念ながらぶつかった後だった。
    「ご、ごめんなさい!」
     慌てて謝って頭を下げる。
    「あれー。おねーちゃん、こんな時間に一人でいちゃだめだよ〜」
     アルコールの臭いをぷんぷんとさせた青年が、へらへらと笑いながら言う。聞き取れないほどではないが、呂律も若干怪しい。間違いなく酔っているようだ。
    「そう、ですね。帰ります。すみませんでしたー」
     しかもすでにかなり出来あがっているようだ。係わり合いにならないほうがよさそうだと、雅は曖昧な笑みを浮かべながら男達の横を通りすぎようとした。
    「まぁ、待ってって。危ないからおにーさんたちが送っていってあげるよ〜」
     いやあんたらの方が危ないと心の中で思ったが、それを口に出せるわけもない。
    「いえ、すぐそこなんで大丈夫です! お気持ちだけいただいておきます! ご親切にどうも!」
     本音を言えば、若干迷子気味なような気もしなくもないが、この際嘘も方便だ。だが、それが男達には気に食わなかったらしい。
    「だめだよ、おねーちゃん。人の好意はちゃんと受け取らなきゃ〜」
     へらへらした調子は崩してはいないものの、目が据わっている。雅はごくりと息を飲んだ。
    「送ってあげるから、ね?」
    「ええっと……」
     雅は思わず一歩下がる。男達はそんな雅ににじり寄った。口元はニヤニヤとした笑いを浮かべてるのに、目が据わっているのが怖い。
     小さく、服の下で勾玉が揺れたのを感じたが、雅は眉をしかめた。これはダメだ。自分でもまだよく分かっていない力だし、何より人に向けることが怖い。
    「じゃあ、行こうか〜」
     そう言って掴まれた腕を、反射的に払いのけて。雅はしまった、と顔を引き攣らせた。案の定、男達の機嫌が悪くなる。
    「酷いな〜。親切で言ってるのに……」
     ぞくりとして後ろに下がろうとしたが、暗い足元が見えずに右足首を捻って体勢を崩す。その間に、男達が雅を取り囲んだ。雅が顔色を変えて思わず目を閉じた、その時。
    「……俺の連れに何か御用ですか?」
     その冷静な声に、雅は目を開けて声のした方向を見る。そこには、微かに肩で息をした慧が立っていた。

     それからの顛末は、あっさりしたものだった。慧は帯剣をしていたし、こけおどし程度の軽い魔法を見た男達は、血相を変えて逃げていったのだ。
     酒で気が大きくなっていただけで、そんなに悪い類の人間ではなかったのかもしれない。
     肩で大きく息をついた雅に、慧が近づいてくる。その表情は酷く静かだ。――怒っている。
    「……お前は」
     その声が嫌に平坦で、雅は反射的に息を呑んだ。
    「何を考えているんだ!? こんな夜更けに一人であんなところに行くやつがあるか!」
     慧の剣幕に雅はびくりと肩を震わせた。
     これに対しては反論の余地はないと自分でも思う。異世界だと、分かっていたのに。言葉が通じることにどこか油断をしていた。
     治安のことなど少しも頭に思い浮かばなかったあたり、やはり自分は平和ボケした日本人なのだと実感してしまう。
    「……ごめんなさい」
    「今回はあんな奴らに絡まれたくらいですんだから良かったけどな、あの界隈はもっと危ない奴だっているんだぞ!? 何で、こんな夜中に……!」
     雅は小さく唇を噛んだ。男達に絡まれたのも、今慧に怒られているのも全部自業自得だと分かっている。それが、今更怖いだなんて勝手だとも。
     けれど、雅の精神は元々不安定だったのだ。そんな状態での恐怖や衝撃に、雅は最早自分が何を思っているのかも分からない状態になっていた。
    「何よぅ……! だって、あたし、色々ごちゃごちゃで……! 目を瞑っても何か色々考えちゃうし! 気分転換しようとして何が悪いの!?」
     そう口走ってから、雅は自己嫌悪に襲われた。
     自分勝手な言葉の羅列だ。気が滅入っていようが何だろうが、自分が迂闊だったことには変わらないのに。
    「……ごめん。理由になってないし、単なる八つ当たりだわ……」
    「……いや、俺も悪かった。……そうだよな、簡単に寝れないよな」
     慧が罰の悪そうな顔をする。そんな顔をする必要なんてないのに、と雅は苦笑した。
    「ごめんなさい、慧」
    「いや……。今度、夜に外に出たかったら、俺を呼べよ?」
    「そんなの、寝てたら悪いじゃない」
    「起こしてくれて構わないから。……こんな心臓に悪いことが起こるよりいい」
    「それは……あたしを甘やかしすぎじゃないかなぁ……」
    「そうか?」
     首を傾げる慧に、雅は苦笑する。帰ろうか、と促す慧に頷いて歩き出そうとした雅は、足に走る激痛に小さく呻いた。
    「雅?」
    「……足、捻ってたんだったっ……!」
    「は!? しょうがないな。そこ、座って」
     手近にある木の箱を指差されたので、雅はこくんと頷くと右足を地面につけないように左足だけで飛び跳ねて、箱まで移動しそこに腰掛けた。
     慧は雅の前に跪くと、徐に雅の右足首に触れた。
    「〜〜〜〜っ!?」
    「あーあ。確かに挫いてるな、これ」
     その触り方が異様に痛くて、雅は悲鳴を噛み殺す。
    「〜〜〜っ慧っ! もう少し、優しくして……!」
     目の端に涙を滲ませた懇願に、慧はにやりと笑った。意地悪な笑みに、確信犯だと雅は気付く。
    「ちょっとは我慢するんだな」
     そうして、口の中で小さく回復呪文を唱え始めた慧に、雅は小さく拳を震わせたのだった。

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