「……エッジは、ミストって知ってる?」
突然の問いかけに、エッジは頷いた。
「ん? ああ、召喚士の村だろ? 確か四か月くらい前に……」
そこでエッジは言葉を止めた。バロンに火攻めにされたという召喚士の村。そして炎が怖いという召喚士の少女。何故、そこまで思考が至らなかったのか。自分は阿呆だと心の底から思った。
「そ。ミストはね、燃えちゃったの……。お母さんも、あたしの家もみーんな、燃えちゃった……」
「お前も……おふくろを……」
それ以上は言葉にならなかった。そして、リディアがセシル達に今の様子を見せられないと言っていた訳を悟る。確かにバロン出身の真面目な連中に、この状態が知れたらバロン三人組は気に病むに違いない。
だが、そうするとなぜリディアはバロンの者達と行動を共にしているのかという疑問が出てくる。リディアはすべてを語ったわけではなさそうだ。
それを無理に聞き出そうとするほど、エッジも無神経ではない。リディアが自分から語るのでなければ、聞き出そうとは思えなかった。
それほどに、今のリディアの持つ雰囲気は儚い。触れ方を間違えれば、きっと壊れてしまう。
「炎ね、一度は克服したんだよ。ミストを出て、バロン兵に追われて、セシル達と逃げて……。でも、クリスタルを守らなきゃって、ボブスの山でローザに勇気を出してって言われて、あたしにしか出来ないからって……!」
俯くリディアの声も肩も小さく震えていた。感情のままに吐露される言葉はいささかまとまりがない。
「それまで、怖くってファイアも使えなかったの。でも、悲しむ人を見る方が怖かった。そう思ったら、使えたの。使えたんだよ。……なのに」
ルビカンテの放つ凄まじい炎を見て、恐怖がフラッシュバックしてしまったらしい。
「……ごめんなさい」
リディアは潤んだ瞳でエッジを見上げてそう言った。突然の謝罪の意味が分からず、エッジは狼狽える。
「ごめんなさい。エッジの方が辛いのに……」
その言葉に、エッジの肩が小さく跳ねる。
「エッジはずっと無理して笑ってるのに……じいやさんや他の皆を悲しませないように、心配かけないように頑張ってるのに……。あたし、ダメだね……自分のことばっかり」
そんなことはないだろうと、エッジは思う。共に行動した時間は短いが、リディアは我より他人精神が強い。そうでもなければ、エブラーナの洞窟で初めて会ったエッジのためにあれほどの涙を見せられるだろうか。
エッジのそんな心の内を読んだかのように、リディアは涙を零しながら言葉を続ける。
「エッジと初めて会った時だって……。あたし、無力な自分が嫌だったの。強くなれば大切なものを守れるって思ってたのに、何も出来なくて……。また、目の前の命が零れていくのが嫌で、エッジにあんなこと言ったんだよ……」
「……でも、俺にとっては衝撃的だったぜ?」
そう言うと、リディアは不思議そうに瞬いた。その拍子に睫毛についた涙の雫が弾ける。
「あの時、ルビカンテを倒せるなら命なんて惜しくねぇって思ってた。そうでなきゃ、死んでいった奴らに申し訳たたねぇって。……死んでもエブラーナを守るんだって、そう思ってた」
その言葉にリディアの表情が曇る。エッジはリディアの頬を流れる涙を指の先で拭うと、ぽんぽんと頭を撫でた。
「でもさ、おめーが泣いてるの見て……俺が死んだら、こんな風に泣く奴がいるんじゃねぇかって、気付いた。そしたら、まだ死ねねぇって思った。……熱くなると周りが見えなくなるってじいに叱られるわけだ」
おどけてそう言うと、リディアが少しだけ笑う。その様子にエッジも笑った。先程まであれほど気持ちが沈んでいたのが、まるで嘘のように自然に笑うことが出来た。
「少なくともおめーは、一国の王子の命と民の心を救ってんだから、もちっと胸張っとけ。……俺も、自分の無力さが嫌になる時あるけどよ……」
国が陥落したと聞いた時。崩れた城を見た時。その中に倒れる民達の屍を見た時。両親が行方不明で生存も危ういと知った時。そして、バブイルの塔でのあの時も。
「でもさ、無力な俺でも慕ってくれる奴らがいる。頼ってくれる奴らも、信じてくれる奴らも。……なら、やるだけやるしかねーじゃん。そうしなきゃ、守れるもんも守れない。……だろ?」
「……うん」
リディアがこくんと頷く。そこで、エッジは頬を掻いた。
「つまりだな……あー、だっめだ。何言いたいのか分からなくなってきた……」
その言葉にリディアはふるふると首を横に振ると、エッジに抱きついてくる。リディアの唐突なその行動といきなりの衝撃に、エッジは奇声を上げた。
「ぬおお!?」
「ありがと、エッジ」
温かく柔らかい感触に、エッジは何とも言えない表情になった。リディアのこの行為は感謝の表れだ。分かっている。そう自分に言い聞かせないと、セシルに殺される方向に突っ走りそうだ。
迷いに迷った手は、リディアの頭を撫でることで落ち着いた。
「ね、エッジ……。今、あたしがどんな顔してるか見えないよね?」
くぐもったリディアの声に、エッジはリディアの後頭部をぼんやり眺めながら、ぼんやりと頷いた。
「あー? まあな」
「あたしからも、見えないよ。エッジの顔。……だからね、泣いていいよ」
その言葉に、エッジの手の動きが止まった。
「若様のエッジは泣けないでしょ? 泣いてたら家老さん達も悲しむから……。けど、あたしにとってはエッジは若様じゃなくって、エッジで……。それに、誰も見てないもの。だから……」
泣いていいんだよという声が、いやに遠く聞こえた気がした。
リディアは気付いていた。エッジが隠していた心も、泣けない理由も。もしかしたら他の仲間も気付いていたのかもしれない。けれど、あまりの悲劇に誰もが踏み込むのを躊躇っていたと思う。エッジが平静を装っていたのも、踏込を躊躇った原因の一つかもしれない。
けれど、リディアだけが。壊れかけたエッジの心に手を伸ばして、すくいあげてくれた。
エッジはリディアの頭から手を放すと、細い少女の身体を掻き抱く。
「……ばーっか。ガキのくせに生意気言ってんじゃねぇよ」
そう言って緑の髪に顔を埋めると、エッジの背に回るリディアの細い腕に力がこもった。
「……ったく、たまんねぇな」
苦笑交じりに呟くと、腕の中のリディアが小さく首を傾げる。それに何でもないと小さく返した。
本当に、たまらない。自分より年下のこの少女に少しも敵わないではないか。
それはもう、出会った瞬間に分かっていたことではあったけれども。
エッジにとっては衝撃的だった出会い。霞む視界の中で、宝石のような瞳から涙を零しながらエッジを叱りつけた少女。その瞳が宿すまっすぐな光に、心奪われるなという方が無理な話だ。
本当にたまらない。そう苦笑したエッジの頬に一筋だけ、雫が流れた。