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第五話

 話し合いを終えた後、ウェルチはティオに馬車と人手を借りて自宅に戻り、必要な薬や道具をすべてを馬車に乗せて、診療院に戻った。
 その頃には、領主から町の各区域の長へと伝達がされており、ウェルチは若先生やティオとともにまずは各区長に説明。それから、区域ごとに住民に説明して回ることとなった。
一通りの説明と、アロマオイルやハーブティーの配布を終えたウェルチは、診療院の作業室を借りて薬の調合をしている。
 少しでも備えを万全にしておきたかった。
 そんな風にウェルチが診療院に寝泊まりするようになってから、六日目のことだった。
「先生! 娘が、すごい熱を……! 朝は何ともなかったのに……!」
 慌てた様子で診療院に駆け込んできたのは、若い母親と幼い少女だった。母親に抱えられた少女は、真っ赤な顔でだるそうにしている。
「落ち着いて。……お嬢ちゃんをそこに寝かせてね〜。診てみよう」
 そんな様子を、診療院の薬草室で見ていたウェルチは、眉をしかめる。とうとう、この町にも来たらしい。
 どれだけ予防に努めても、絶対に罹患しないとは限らない。抵抗力の低い老人や子どもならばなおさらだ。流行るとしたらこれからだろう。
 短い期間とはいえ、出来ることはやった。あとは、予防によってどれだけ流行が抑えられるかだ。
 ウェルチはベッドに横たわった少女に視線を向ける。幼い子どもが苦しそうにしている姿は、見ていて辛い。
 少しでも力になりたい。強くそう思う。
「ウェルチちゃん。薬お願いね〜」
「はい!」
 ウェルチは力強く頷いて、作業室に向かった。これから、忙しくなりそうだ。

「……ウェルチ、今大丈夫ですか?」
 診療院の仮眠室を覗き込んだレティシアの声に、うたた寝をしかけていたウェルチの肩がびくりと震えた。
「ほあっ!? レ、レティシア様!?」
「……ごめんなさい、寝ていたのね」
「いえっ! どうかしましたかっ!?」
 やや狼狽えつつ立ち上がったウェルチは、レティシアが普段着のドレス姿ではなく旅装であることに気が付いた。
「……顔色が悪いですね。疲れているのではないですか? 休みなく働いているとジーナに聞きました。あなたが倒れては元も子もないのですよ?」
 ウェルチの視線の意味には気付いているだろうに、レティシアはそんなことを口にする。旅装について尋ねようと思ってたウェルチは、予想外の人物の名前に目を丸くした。
「ジーナ、ですか? ……いつの間に、仲良く……」
「あら、意外ですか? まあ、そうかもしれませんね。わたくしもそうそう出歩けませんから、ジーナに別荘に度々寄っていただいて、町の様子を話してもらっていたのです」
「そう、なんですか……。えと、体調は大丈夫です。さすがに疲れてはいますが、そろそろ休めそうですから」
 診療院にいる間も、栄養バランスのとれた食事と睡眠は欠かさなかった。レティシアの言葉ではないが、治療を施す側が倒れては意味がない。
 徹底的な予防も功を奏したのか、診療院で働いていた者達は誰ひとり罹患することなく治療をすることが出来た。
 最初の患者が診療院に来てから、およそ二週間。さすがに罹患者がゼロということはなかったが、それほどひどく流行することもなく、事態はほぼ終息している。
 そうして時間的な余裕が出来たことで、少し気が抜けたらしい。記録簿を書いているうちに睡魔に襲われ、眠りに落ちかけていたのだ。
「気を抜いたとたんに病気になったら、洒落になりませんよ。きちんとお休みくださいね」
 レティシアの気遣いの言葉に、ウェルチは微笑んで頷いた。
「ありがとうございます。……レティシア様、その恰好は……」
「ああ、これですか? ……そろそろ、都に戻ろうと思いまして」
 ウェルチにも挨拶をと思って参りました、とレティシアは綺麗な笑顔を浮かべて言う。
「え? 戻るのですか?」
「ええ。随分と長くこの町にに滞在しましたから、そろそろ戻らねばならないのです」
「そうですか……。残念です」
 表情を曇らせてそう言うと、レティシアは不思議そうに首を傾げた。
「あら? 残念に思ってくれるだなんて思いませんでした」
 そう言って、少し意地悪そうな笑みを浮かべる。
「わたくしがいなければティオ様とお付き合いできるのですし」
「う、ええええ!?」
 予想もしなかった言葉に、ウェルチは奇声をあげてしまう。それを見たレティシアはおかしそうに笑った。
「わたくしは、ティオ様のことが気になっていました。だから、冬もここで過ごそうと思いました。……きちんとティオ様のことを知って、出来ればわたくしのことも好きになっていただければ、と」
 突如はじまったレティシアの話に、ウェルチは戸惑う。
「ただ、流行り病のことがありましたから……十分に相手できなくて申し訳ないと謝っていただきましたけど、事情が事情ですからそこは怒ってなどいません。……けれど、あの方は何なのです!? ウェルチはすごいだとか心配だとか、口を開けばウェルチのことばかり。……もう、ここまで徹底してウェルチの事ばかりだと、呆れるしかありません」
「…………」
 なんと反応すればいいのか分からないので、ウェルチは黙って聞くことにした。
 あまりにも無神経だが、ティオもやはり恋愛方面では鈍いのだろう。でなければ、自分に好意を寄せてくれている女性の前で他の女性を褒めるような言動をするはずがない。普段は気遣いの出来る好青年のはずなのだが。
「あれはもう、お馬鹿さんとしか言いようがありません! ウェルチ馬鹿です!」
 そう力いっぱい言い切ったレティシアは、すっきりした表情でウェルチを見て、晴れやかに笑う。
「なので、ヘタレなあの方を振ることにしました。あとは、あなたが責任を取りなさい。馬鹿につける薬はないといいますけれど……あなたは腕の良い薬師なのでしょう?」
「……え」
 レティシアの話に何だか頭がついていかない。ぼんやりと聞き返すウェルチに、レティシアはつんと顔をそむけた。
「二度は言いません。……それでは、ウェルチ。ごきげんよう。今度、お茶の依頼をしますから、よろしくお願いしますね」
 そう言ってレティシアは綺麗に礼をすると、さっさと仮眠室を出て行ってしまう。
 ウェルチは、ぼんやりとレティシアの言葉を脳内で反芻していた。
 レティシアが、振ると言っていた。誰を?
「……えええええ?」
 ようやくレティシアの言葉の意味を飲み込んだウェルチの間の抜けた声が、作業室に響き渡った。

 

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