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第六話

「……だいぶ、在庫が減っちゃったなぁ。分かってたけど」
 ウェルチは、作業場の在庫をチェックしつつため息をついた。
 昨日の夕方に診療院から自宅に戻った時は、久しぶりの我が家で安心したのか夕飯を食べて片付けをしたら異様な睡魔を感じ、早々に眠ってしまった。
 今日も本当はのんびりしようと思っていたのだけれど、つい習慣で薬の在庫確認を始めてしまった。そうしたら、あまりにも寂しい在庫状況に休みづらい事態に陥っている。
 しばらくは休めなさそうだ。
「ええっと……とりあえず、今日は森の奥までハーブ取りに行こうかなぁ」
 そんなことを呟きつつ作業場から出たウェルチは、ウェルチの自宅の前でそわそわと佇む人影を目にし、数度瞬いた。――……前にも、こんなことがあった気がするのは、気のせいではない。
「……ティオさん?」
 ウェルチの戸惑ったような呼びかけに、ティオがぱっと振り向く。その手には大きな紙袋が抱えられていた。
「ウェルチ! ……もうお仕事しているの? 昨日は、今日はお休みするっていってたよね?」
 困惑したような表情で、ティオが尋ねる。作業場から出てくるのを見れば、仕事をしていると思うのは当然だろう。
「そのつもりだったんですけど……。つい、癖で在庫確認をしてしまいまして……」
「ないよね……。あれだけ薬使ったし……」
「そうなんですよね。さすがに心許なくて安心して休めないので、少し作業します」
 ウェルチの言葉に、ティオは心配そうな表情をする。その表情の意味はちゃんと分かったので、ウェルチはティオに微笑んで見せた。
「大丈夫です。無理はしませんし、作業が終わったらちゃんとお休みします。……ところで、ティオさん。今日は何か御用ですか?」
 そう問いかけつつ、レティシアの言葉が蘇る。レティシアには責任を取りなさいと言われたけれども、一体どうすればいいのだろう。
 どう動けばいいのか分からないし、今の関係も悪いものではない。むしろ、何かをしてこの関係が崩れてしまうくらいなら、このままでもいいような気もする。
 けれど、そんなことを言ったらジーナとレティシアに叱られそうだ。
「あ、うん……あの、これ」
 そう言って差し出されたのは、ティオが持っていた紙袋だ。
「これ……? わたしに?」
 ウェルチの問いにティオは頷く。受け取ってみると、思っていたよりも重い。出してもいいのかと問いかけると、ティオは再度頷く。
「……え」
 紙袋から出てきたのは、一冊の本だった。
「これ、わたしが欲しかった薬学書! え、でもこれ高いし、希少で……! え、え?」
 ウェルチは戸惑いつつ、本とティオを見比べた。
「この間、都に行った時、偶然見つけたんだ。ウェルチ欲しがってたし、この機会を逃したら手に入らないかもしれないと思って。本当は帰ってきたらすぐに渡そうと思ったんだけど……」
 タイミングを失ってしまい、渡すに渡せなかったらしい。ウェルチは顔を輝かせた。
「そうだったんですね、ありがとうございます! ええっと、おいくらですか?」
 今回の件でかかった経費については、町の経費で賄われることになったうえに、診療院に詰めていた間は診療院の手伝いもしていたのでそのバイト代も貰っている。なので、懐具合は温かい。この時期に渡してもらえてよかったと思う。だが、ティオは首を横に振った。
「プレゼントするよ」
「え? でも、そんなの……悪いです! 払います!」
 貴族のティオからすれば大したことのない額なのかもしれない。けれどウェルチにとっては高価なもので、それをタダで貰うのは抵抗がある。少なくともウェルチにとってのプレゼントの範疇を越えている。
 そう必死に訴えると、ティオは少しだけ緊張した面持ちで、微笑んだ。
「……じゃあ、ひとつお願い聞いてくれるかな?」
「お願い……?」
 ティオはこくんと頷く。ウェルチは首を傾げた。何故、そんな顔をしているのだろう。
「ええと……内容にもよりますが、わたしに出来ることなら」
「う、うん。……じゃあ……」
 ティオの顔つきはとても真剣で、瞳は熱を帯びている。その表情に、ウェルチはどきりとして息を呑んだ。ティオが、口を開く。
「……僕をウェルチの弟子にしてくださいっ!!」
 意表を突いた言葉に、ウェルチは数度瞬く。
「……でし?」
「そうっ! 弟子! 薬師の!!」
「……え?」
 ぼんやりと問い返せば力一杯肯定されて、どう反応すればいいのか分からない。何か、恋愛めいた空気だと思ったのは、気のせいだったのだろうか。
 わたし鈍いらしいし気のせいかな、ティオの気持ちは待たせている間に変わってしまったのかな、とウェルチの頭の中で思考がぐるぐるとしている。
 そんなウェルチの状態にティオは全く気付いていない。口早にまくしたてる。
「今回ウェルチの働きを見て、改めてウェルチはすごいって思ったんだ。それに比べて、僕はどうだろうって。領主の三男坊だから色々と任されているけど、僕自身が努力して得たものじゃない。……じゃあ、僕自身に出来ることはなんだろうって思ったんだ」
 そう言って、ティオは仄かな苦笑を浮かべる。
「……ティオさん」
「……自分に自信がなくて、僕じゃウェルチと向き合えないって思った。でも、それで諦めちゃだめだと思ったんだ。……それで、出来ることを探そうって……」
「それで、何で弟子なんです?」
 そう尋ねると、ティオが照れくさそうに笑う。
「ウェルチに憧れたっていうのもあるけど……。薬師っていう仕事をきちんと理解していない人が、多いなって思って。もし、僕が薬師になれば……一応貴族の肩書はあるんだし、もしかしたら偏見の目を少しは変えられるんじゃないかって思ったんだ」
「……え」
「それに……ずっと待ってたけど、待ってるだけじゃだめだよね。振り向いてもらう努力をしなきゃとも思ったんだ。……僕は、ウェルチを支えられるような人になりたい。だから……」
 そこでティオは言葉を切ると、ウェルチに頭を下げた。
「僕を、弟子にしてください! 雑用でもなんでもする! 泊まり込みが必要なら寝袋持って来て軒下で寝てもいいし! 大きなミノムシがいるとでも思ってくれればいいから!」
 それはさすがにちょっとどうだろうと思う。ただ、ティオの真剣な思いは伝わってきた。そして、ティオがウェルチの想いには気づいていないことも今の言葉でよく分かった。
 何だか、ジーナが呆れる理由が分かった気がする。
 そんなことを考えつつ、ウェルチはティオを見つめる。ウェルチの予想の斜め上を行く発言をしたティオは、まだ深く頭を下げている。
 ウェルチは柔らかく微笑んだ。ティオの言葉が嬉しかったのだ。
 自分の仕事は貴族であるティオに迷惑をかけるだろうと思った。けれど自分には薬師として生きるしか道がないから、ティオへの想いは諦めようと思った。
 けれど、ティオは違った。貴族という身分のまま薬師になることで、貴族である自分に出来ることを見つけているしウェルチを支えられる人になりたいという願いもかなえようとしている。
 そんなティオを、ウェルチは心の底からすごいと思う。
 ウェルチは逃げたのに、ティオは逃げずに向き合った。その結果なのだろう。
「だ、だめ……かな?」
 ずっと黙ったままのウェルチに、ティオが不安の滲んだ声音でそう言った。
 ジーナがいれば情けないと一言で切り捨てるような表情なのだけれど、それさえもウェルチにとっては愛おしい。
 ティオのいう偏見をなくすことは簡単ではないだろう。それをティオが分かっていないはずがない。それでも、勇気を出してこの道を選んでくれた。ウェルチと寄り添うことが出来る、この道を。
 わたしでいいのかなという考えは、頭の片隅にある。これでいいのか迷う気持ちもある。
 けれど、少しずれてはいるけれど真摯なティオの言葉に、諦めようとしていた仄かな想いが暖かな熱を持っているのも分かっているから。
 だから、勇気をもって。
「……よろしくお願いします。……これからも、ずっと」
 ぱっと上げたティオの顔が、しばし沈黙した後、頬に朱を帯びる。
「ず、ずっと!? ずっとって、えぇっ!?」
 妙に上擦ったティオの声に、ウェルチは思わず噴き出す。冬の静かな森に、その楽しげな笑い声が響いていた。

 ある小さな国の辺境にある森に、腕利きの薬師夫婦がいると評判になるのは、そう遠くない未来のお話。

 

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