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    記憶のうた 第六章:帰る場所(10)


     ガジェストールの王宮にある、厨房。そこにあるカウンターに、一組の男女が座っている。その前には、コック服を着た初老の男性が控えており、女性の動作を固唾を呑んで見守っていた。
    「……素晴らしい」
     かたん、とフォークを置きナプキンでそっと口元をぬぐう。そして、まっすぐに目の前の人物を見据え、ティアはひとつ大きく頷いた。
    「生クリームの舌触り……砂糖の量……そして何より、使われている素材の数々……。どれをとっても素晴らしい。さすがは王宮付きのパティシエだ」
     その言葉に、この城付きのパティシエはほっとしたように相好を崩した。
    「いやいや……。あなたこそ、やりますな。ここまで舌が確かな方は久しぶりです」
    「光栄だ。……この味ならば、諸外国の大使にお出ししても差し支えないと思う。皆、あなたを褒め称えるだろう」
    「いや〜。そこまで言って頂けると、作った甲斐があるというものです」
     ティアと、王宮付きの初老のパティシエとの間に、友情めいた絆が生まれつつある。リュカはそれを、ティアの隣でどこかぼんやりと眺めていた。
    「それにしても……この生クリームは本当に素晴らしいな。……この舌触り、カナン産とみた。あそこの砂糖は舌触りがよく、良質だからな」
    「おおお!? そこまで分かりますか!? 嬉しいですねぇ」
     そんな会話で盛り上がる二人の間に口を挟める訳がなく、リュカはかれこれ数分間黙ったままだ。
     会話がマニアックすぎてついて行けないので、リュカは置いてけぼり状態のままだ。
     そもそも、何で生クリームを舐めただけで、砂糖の産地まで分かるのだろうか。謎だ。
     リュカは、皿に少しだけ残った生クリームを見つめ、そして目を見開く。
     いや、待て。先ほど、ティアは舌触りが云々と言っていた。つまり、味ではなく舌触りで判断しているのだとしたら……!
     皿に残っていた生クリームをフォークで集め、口に運ぶ。
     今のリュカは、目の前の初老の男性への闘志で一杯だった。余裕がないとも言う。
     おじいさん! あなたには負けないっ!
     気合も十分に舌の先に神経を集中させ、ゆっくりと味わう。
     程よい甘さで、旨い。……気合一杯に生クリームに挑み、抱いた感想は、それだけだった。
     舌触りなんて、欠片も分からない。滑らかで美味しいなぁくらいにしか思えない。よく考えれば、リュカはカナン産の砂糖の舌触りを知らない。けれど、違和感も何もないこの生クリームのどの辺に、カナン産と判別できる要素があるというのか。むしろ、カナンってどこ。
     少なくとも、大陸にある国にそんな名前の国はなかったような気がする。と、なると大陸周辺の島国のひとつなのだろうけれど、組織を離反してからはずっとリュカと一緒だったはずのティアは、どこでカナン産の砂糖の舌触りを知ったのだろうか。それも謎だ。
     何だか、ティアの存在が遠い気がする。
     ずーんと落ち込み、リュカはフォークを置く。パティシエがティアとリュカの皿を回収し、厨房の奥に戻っていった。
     それを見届けたティアは、ふと視線をリュカに向ける。
    「……リュカ」
     普段ならば呼びかけられた瞬間に満面の笑顔で返事をするリュカだが、今はおじいさんへの敗北感で一杯だ。いつものような反応にはならなかった。
    「ん? どうかした? ティア」
    「それは……私のセリフだ」
    「え?」
     ティアの言葉に、リュカは目を丸くする。
    「元気がない。……どうかしたのか? 口に合わなかったか?」
     その言葉に、リュカは慌てて背筋を伸ばし、勢いよく首を横に振る。
    「ううん! そんなことない! 美味しかったよ!」
     しかし、ティアは訝しげに眉をしかめる。
    「……本当か?」
    「うん!」
     力強く頷くリュカをじっと見つめ、ティアは小さく息を吐いた。リュカの言葉を信用したらしい。
    「……ならば、よかった」
     そう言って、視線を前に戻し、淡々と言葉を紡ぐ。
    「私は……人の気持ちを察することが苦手だからな。リュカを無理に連れて来てしまったのかと思った」
     リュカは驚きに目を見開き、ぶんぶんと首を横に振った。
    「そんなことないよ! 今はちょっと考え事をしてただけなんだ」
     砂糖の産地が分からなかったからおじいちゃんパティシエに負けた気分で落ち込んでいたんですとは、間違っても言えない。
    「それに……」
     そこで一度だけ言葉を切り、リュカはティアを見つめた。熱を込めて。
    「僕はティアの傍にいたい。だから、一緒にいるんだ」
     だが、ティアは淡々と頷いただけだった。
    「そうか」
     返答も短い。きっと意味も分かってない。リュカの想いは今日も届かず。敗戦記録が、またひとつ増えた。
     リュカはがくりと肩を落とした。
    「……いいんだ……僕、幸せだから」
     拗ねたように、呟く。
     リュカの春は、まだまだ遠い。

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