記憶のうた 第三章:心一つあるがまま(8)
貧血によって意識を飛ばしたウィルも、魔竜の攻撃により気を失っていたリアもすぐに意識を取り戻した。ちなみに、リアはあれほどの衝撃を受けたにも関らず、怪我はたんこぶひとつだけだった。頑丈な娘である。
しかし、思い返してみると魔竜の尾がリアに当たる瞬間、何かが割れたような音がした。防御障壁が割れた音に似ていたように思う。あれは、一体なんだったのか。
ウィルはちらりとリアの腕の中のぽちに視線を落とした。
……いや、まさか。そんなはずはない、と信じたい。いやしかし、動力不明なのに動いて鳴くぬいぐるみなのだから、バリアくらい張れたりするのだろうか。
「んー……やっぱりこの部屋……。あの魔竜を無力化するためのものですね。あの扉の宝石を起点に、この部屋には五紡星になるように宝石が埋め込まれています。魔力を廻らせることで半永久的な封印になっていたんでしょう」
魔竜のいた部屋を観察していたソフィアが出したのは、こんな結論だった。
「……てことは、あの扉の封印を解くと自動的に魔竜の封印が解けるってことか」
「そうなります」
ウィルは内心舌打ちをしたい気分だった。
それならそうと書いておけ、と思う。大きな力なんて曖昧な書き方をするから、正体を突き止めるために封印を解く破目になったのだ。正体が分からないからこそ、ソフィアも可能性を信じて危険に飛び込んだというのに。
魔竜だと分かっていれば、引き返しただろう。魔竜を倒したところで彼女の記憶が戻らないのは明白だ。
「ええーっ!? 何それぇ! 古代人って不親切〜っ! 魔竜がいるならいるって書いておいてくれればいいのに。猛犬注意、みたいに!」
不本意ながらリアと意見があってしまったが、今回ばかりは仕方ないだろう。
結局、この日は魔跡の中の荷物を置いたままだった広間で一夜を過ごすこととなった。すでに時間が遅かったことと疲労がピークに達していたため、休息を優先することにしたのだ。
ウィルは腕時計で時間を確かめる。午後十時。疲れきっていたらしいリアはすでに夢の中だ。
「うー、どうだぁ……焼肉怪人めぇ……」
リアの寝言に合わせて、ぽちがむぅぅぅぅと鳴いた。同じ夢でも見ているかのようなタイミングである。……見ているのかもしれない。
「……どんな夢だ」
「ふふふっ」
呆れ果てたウィルの突っ込みと、ソフィアの笑い声が重なる。
「ソフィア」
「はい?」
「……お前飛竜に乗った時、何考えてた?」
突然のウィルの問いに、ソフィアはぴしりと硬直する。
「えっ……」
「……ガーディアンの……ナイトについて話している時と同じか?」
リアにガーディアンの説明をした時、ソフィアは「ナイトはそういう存在だと聞いた」と言った。そして、言葉を切ってしまった。
その言葉を聞いた瞬間、ウィルも思った。
記憶のない彼女が、誰にそんなことを聞いたというのか。
さらに、不可解なことが一つ。ソフィアがガーディアンのことをナイトと呼んだことだ。
リアには適当にごまかしたが、ガーディアンをナイトと呼ぶような記述や情報は、一般的には一切出回っていない。古代文明学者の間でもガーディアンと呼ぶのが通常だ。
ならば、ソフィアはナイトという名称をどこで、誰から聞いたのか。……それは、ソフィアの記憶に繋がる疑問だ。
「……あの時、私何も考えずに話していました。ナイトのこと……誰かから教わった気はするんです。けれど、それが誰なのか……何故、私はウィルさんでも知らないようなことを知っていたのか……分からなくて。それに」
ソフィアが、拳をぎゅっと握り、俯く。
「飛竜さんに乗った時も……懐かしい気が、したんです。エアーバイクの時とは違う、風を切る感覚……。でも、そんなのおかしいって、思って。普通の人がそんな感想持つわけないのに。……そうしたら、怖くなったんです。そもそも、指輪で記憶を封じられていることがおかしいじゃないですか。私、何なんでしょうって、そう思ってっ」
身を硬くして一気に語ったソフィアが、はぁっと息をついた。
「……少しはすっきりしたか?」
「え?」
「溜め込むと、毒だってよく言われる。溜め込むなって」
ソフィアは数度瞬き、首を傾げる。
「ウィルさんが? どなたに?」
「母親。俺、あんまり思ってること、言わねーしな」
「お母さんにそんな風に言われるウィルさんって、あんまり想像つきませんね」
「ほっとけ」
言って、ウィルはソフィアに残っていたパックジュースを放って投げた。慌ててソフィアはそれを受け取る。
「わわっ!」
「……溜め込むくらいなら、爆発する前に言いたいだけ言えば? 事情知ってんの俺だけだし。気が向けば聞くだけ聞いてやる」
最後の方は、何だか早口になってしまった。
きょとんと聞いていたソフィアだが、パックジュースを胸元に抱いて微笑んだ。
「……はい! ありがとうございます。ウィルさんも、何かあったら私に言って下さいね!」
「お前に? ……何か余計にややこしい事態になりそうだな」
「ひ、ひどいですー」
うう、と半泣きでジュースのストローを銜えるソフィアに、ウィルはそっけなく言葉を投げかけた。
「……ま、考えといてやるよ」
「……はい!」
その笑顔に、魔跡に入った時の翳りは残っていなかった。