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    記憶のうた 第三章:心一つあるがまま(9)


     魔跡の探索を終えたウィルたちが外の空気に触れたのは、昼前のことだった。予定よりも遅れてしまったのは、思っていた以上に疲れていたらしく三人とも寝過ごした結果だ。罠はすべて解除してあったため行きよりも格段に楽な道のりだったのは言うまでもない。
    「わぁぁい! 青い空! 白い雲! 輝く太陽! お外ってステキーー!!」
    「そう言う事は、この洞窟から降りてから言えよ」
     崖っぷちに立ってハイテンションで叫ぶリアに、ウィルは冷ややかに突っ込みを入れる。
    「ここまで来たら一緒一緒〜。ふぁぁ、風が気持ちいい〜」
    「そうですねっ。お日様の下が一番です」
     ソフィアも機嫌良さそうににこにこ笑っている。
    「うんうん。さすがソフィアちゃん! 分かってる〜」
    「……いいから、とっとと飛竜召喚しろよ。……村でゆっくり休みたい……」
     硬い石の床の上で寝ていたので、体中が痛い。ベッドでゆっくり眠りたかった。
    「しょうがないなぁ。じゃあ、いっくよー」
     元気よく右手を振り上げて。リアは飛竜を召喚する為の集中に入った。

     ウェード唯一の宿に戻った一同は、思い思いの時間を過ごしていた。ウィルは宿の部屋に腰を落ち着けると、ノートパソコンを起動させた。魔跡の中までは電波が届かず、これが約一日半ぶりの起動になる。
     メールボックスを開いたウィルの顔が、引きつった。
     母親からの心配を下敷きにしたお怒りの言葉が羅列されているメールが五件も入っていた。連絡が途絶えたことで、内容がどんどんとパワーアップしている気がする。
     ウィルは小さく苦笑を浮かべた。
     何とも言えない気分になるのは毎度のことだが、母親が何故ここまで過保護に心配するのか、その理由が見えてしまったからだ。
     ソフィアと旅を始めて、分かったことがある。それは、自分が知識としてしか世界を知らない、頭でっかちの世間知らずだということだ。王宮という狭い世界と城下町、そして情報の世界が全てだった箱入り息子が、いきなり世界に飛び出して行ってしまったのだ。それは心配もするだろう。
     旅に出て知った、世界の広さ。人と接することで知った、至らない自分。飛び出した世界は、新鮮で。そして、厳しい。
     母親は、その出自ゆえにそれを知っている。だから、限られた世界しか知らない自分を心配した。世界の厳しさを知っている人だから。
     だから、ウィルは返信メールをしたためる。
     まずは、謝罪と。それから心配をしてくれることへの感謝と。それから、この旅への自分の思いを。もう、ソフィアの記憶を取り戻すためだけの旅ではない。自分の中で何かの区切りがつくまで、沢山のものをこの目で見たいと思った。
     そうして、返ってきたメールは、一番短かった。
    『分かりました。あなたがそう思うなら、身体に気をつけて、気の済むまで旅を続けて下さい。ただし、定期的にメール連絡は入れること。あなたの無事を知らせてくれるなら、私はもう何も言いません』

     村のはずれにある柵に腰掛けたリアは、足をぷらぷらとさせていた。頬を撫でる風は優しく、心地いい。
    「……悔しいよ、ぽち」
     膝の上に乗せたぽちに呟くと、元気出せよとでも言うように、ぽちがむぅと鳴いた。
    「悔しい。……魔竜に、全然通じなかった」
     召喚されたものがどれだけの力を発揮できるかは、召喚者の力量によって異なる。昨日の戦いで、リアは魔竜に完全に押し負けた。しかも、それに動揺して攻撃まで受けて。
    「……何も出来なかった」
     このままじゃいけない。このままじゃ、いつまでも同じ。いつまでも無力なままだ。
     強くなると誓ったはずなのに。村を出ると決めた、あの日。父親と母親と姉の前で、確かにそう誓ったのに。
     弱いままの自分に、何も出来ない自分に嫌気が差す。これでは、旅に出た意味がない。
     目を閉じると、蘇る光景がある。赤い光と、泣き叫ぶしか出来なかった自分と。後に残った苦い後悔と。
    「強く、なるよ。あたし……絶対に、強くなる」
    「むぅ……」
     少女の決意は、ぽち以外の誰の耳に届くこともなく。風の音に乗って消えた。

     宿屋の食堂で、ソフィアはゆっくりと紅茶のカップを傾ける。
     昨日、心に溜めていたことを吐き出したせいだろうか。昨日取り乱したことが嘘のように、ソフィアの心は穏やかだった。
     状況を見れば、何も解決はしていないのだけれど。
     ソフィアは、右手の中指に視線を落とす。古代術の刻まれた、指輪。何故、ここまでして自分の記憶が封じられているのか、その理由は分からない。その理由を知ることが全く怖くないと言えば、嘘になるけれど。
     それでも、知りたい。自分は何者なのか。どこから来て、どこに行くのか。
     心は弱くて、時々折れそうになるけれど。大丈夫、立ち向かえる。弱音を聞いてくれる人がいるから。
     言われた言葉を思い出して、ソフィアははにかむ。
     優しいですね、と言ったら怒らせそうだから絶対に言わないけれど、不器用な優しさが嬉しいと思う。
     ソフィアは幸せそうに微笑み、優しい紅茶の香りに満足げに目を閉じた。

    「……で、結局お前はついて来るわけだ」
     翌日、ウェードを発ちテーゼルとユスノアの国境の街・ローレンを目指して歩き出したウィルとソフィアの近くには、当然のようにリアの姿があった。
    「だってついて行くって言ったでしょ? どっこまでもついて行くよ〜! ほらほら、旅は楽しむことが大事じゃない? ねえ、ソフィアちゃん! みんな一緒の方が楽しいよねー?」
    「はいっ」
     満面の笑みのリアに、満面の笑みのソフィアが応じる。
     勝手にどこまでもついて来そうだとウィルは思った。
    「ほらほら、二対一! ウィルちゃんの負け〜」
    「いつの間に多数決になったんだ……」
     自分の気苦労が増すような気がするのは、気のせいだろうか。気のせいであってくれというのは、儚い願いだろうか。
    「……勝手にしろっ」
    「わーい! 勝手にする〜」
    「改めて、お願いしますね。リアさん」
    「うん。こちらこそー」
    「むぅぅぅぅ」
     遠い目をしたウィルを余所に、女子二人はとても楽しそうだ。
    「あーもー、とっとと行くぞっ!」
    「「はーい」」
     何だか保育士になったみたいだと、少しだけ思った。

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