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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:冷たい雨(1)


     彼女は、物心ついた頃から組織の一員として育てられてきた。
     バリーが率いる組織は『万屋』という裏の組織としてはどうなのかと思われる組織名を名乗っていた。傭兵だったバリーが一人で万屋として仕事を請け出したのがはじまりだった。
     その頃から凄腕のバリーの元に彼の実力に惚れこんだ者、彼に闘志を燃やす者など様々な人物が集まり、一人だった万屋はいつの間にか大きな組織になっていった。そして、凄腕集団に後ろ暗い依頼も集まるようになり、裏の世界の組織となっていたのだ。
     それは、別にバリーの意図したところではなかったらしい。ただ、彼は自分の能力が如何なく発揮できる場を求めていただけだった。
     そんな男に育てられて、彼女がこの血生臭い世界を知らずにいられるわけがなかった。
    「はっ」
     目にも留まらぬ速さで閃く、二条の白刃。クレール=エディンティア=エッジワースが振るう双剣は確実に相手を死に導く。最近、その容姿から『白のヴァルキュリア』と呼ばれるようになった少女は、乏しい表情のまま標的を倒すと、双剣についた血を払い鞘に収めた。
     十歳の少女とは思えないほど落ち着いた白い髪に赤い瞳の少女は、ふと視線を感じて顔を上げた。彼女の視線の先にいるのは、漆黒の髪の男だ。
    「気付いたか。腕上げたみてぇだな」
    「……親父殿」
     彼女の義理の父であり『万屋』のリーダーでもあるバリー=エッジワースは、緊張感なく笑った。
     バリー自身もまた剣の鋭さと速さから『黒い風』という二つ名を持つ実力者なのだが、彼は仕事の時とそうでない時の落差が激しい人物だった。
     仕事の時はどんな依頼だろうと眉一つ動かさずに完遂してのける、冷静・冷徹・冷酷の三拍子が揃った人物なのだが、そうでない時は。
    「親父殿、じゃねぇよ。ティア、おめーなぁんでこう、堅っ苦しく育っちまったかねぇ」
     緊張感のない適当と怠惰を好む、駄目人間の見本のような人物だった。とても裏組織のリーダーとは思えない性格だったのだ。
    「やっぱ……むさ苦しいとこで育てたのが悪かったかねぇ」
     それはあるだろう、と養父の元に歩み寄りながらティアは思う。
     組織と名乗れる程度には人員はいるとはいえ、他の組織と比べれば『万屋』は少数だ。凄腕ばかり集まっているのだから仕方がないかもしれない。そんな中で女性の数はさらに少なく、いても男らしいさばさばとした女性ばかりだ。
     ましてや、同年代の子供などいるはずもない。そして、同年代の子供たちと関ろうと街に出ても、容姿のせいで避けられるだけだ。ティアには、この世界で生きるしか方法がなかった。
     けれど、この道を悔いたことも、恨んだこともない。不吉な色を持つ自分をここまで育ててくれた養父に恩返しをしたい、その気持ちだけがあった。
    「……仕事は終わった。帰ろう」
     ティアは、自分の出自をしっかりと理解していた。物心ついた頃にバリーに教えられたからだ。
     初めてそのことを知った時、衝撃を受けなかったといえば、嘘になる。けれど、自分を捨てた両親を恨む気もなかった。
     その頃にはすでに自分の瞳が畏怖されていることを知っていたし、自身も気持ちが悪いと思っていたからだ。
     葡萄酒によく似た赤は少し黒ずんで見えて、固まった血を否応なく連想させた。自分が好きになれないならば、親が怖がっても仕方がないことのように思ったのだ。
    「かっわいくねぇ〜。やっぱ育て方失敗したっ! ここは可愛く、パパ一緒に帰ろうとか……」
     なにやらぶつぶつ呟いているバリーを、ティアは淡々と見つめ、首を傾げた。
    「……血塗れの娘に、可愛く言って欲しいのか?」
     ティアは仕事の後なのだ。怪我を負うような下手は打ってはいないが、多少の返り血は浴びている。
    「夢壊すんじゃねぇよ。ったく……。まぁいい。帰るぞ、ティア」
     ふと、ティアはバリーを見つめた。ずっと疑問に思っていたことを口にした。
    「……みんな、私のことはクレールと呼ぶぞ。何で親父殿はファーストネームで呼ばないんだ?」
    「あ? だって紛らわしいじゃねぇか。俺の相棒だってクレールっていうんだぜ?」
     幾度も死線を共に越えた愛用の武器を、バリーは相棒と呼ぶ。しかし、その言葉は正確ではなかった。バリーの武器はオートクレールという剣なのだから。
     そう言ってみたが、バリーは曖昧な笑みを浮かべただけだった。
    「それにティアってのは、昔の言葉で引き裂くって意味らしいぜ? ぴったりじゃねぇか」
     不満か? と訊かれてティアは首を横に振った。不満というわけではなく、疑問に思っただけだった。
     からからと笑って、バリーはティアの頭をがしがしと乱暴に撫でる。
     ティアは片目を軽く閉じ、なされるがままになっていた。
     この人は、自分の血を塗りこめたような瞳を見ても全く物怖じしない。ティア自身も嫌っている瞳を、不吉で良い色だという。どう考えても褒めてはいないのだが、その真っ直ぐな物言いと捉え方を不快に思ったことはなかった。
     ティアは、この養父のことが嫌いではなかった。

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