記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:冷たい雨(2)
依頼のない日はただひたすらに腕を磨き、依頼のある日は命を奪い、そうして毎日をただ淡々と過ごしていた。依頼の内容に気を止めたことなどなかった。
心を配ることなど、ただひとつ。いかにして依頼を速やかに遂行するか、ただそれだけだった。
ただ、一度だけ。微かな疑問を覚えた依頼があった。
隠れるように佇む、山間の小さな村。穏やかで平和なその村を滅ぼす、そんな依頼だった。
裏の世界では、依頼人に踏み込まないのが鉄則だ。しかし、それでも何故と思わずにはいられなかった。この小さな村を滅ぼす意味が分からなかった。
バリーが事前に得た情報では、この村の住人たちは危険な力の使い手らしいとのことで、依頼の遂行は組織員全員を動員し反撃を許さないよう綿密な計画の上で行われた。
村を包囲し、奇襲をかけ、動揺した村人たちに反撃の隙を与えず、蹂躙した。
「……親父殿。この依頼に何の意味があったのだろう。何故、この村の抹殺など……」
微かな後味の悪さに思わず口をついて出た言葉に、バリーは場違いな笑みを浮かべた。
「さぁなぁ。……恨みなんざどこで買ってるか分からねぇしなぁ。……噂じゃ、領主が動いてるだの、どこぞの村人が討伐依頼を出しただの聞くが……ま、信憑性はどうだかな」
「討伐依頼? ……何故」
この村のどこに、討伐依頼をされるような要因があったのだろう。
ティアは、振り向いて先程まで平和の中にあったはずの村を見つめた。今はその面影は欠片もなく、未だ燃えている家すらあった。
「さぁな。……踏み込まないのが鉄則、だろ?」
バリーはそう言って笑みを浮かべ、仲間達に撤退を命じた。
「ティア。行くぞ」
「……ああ」
ティアが村に背を向けると、その頬に冷たい雫が当たった。
「……雨」
真夏の暑さを拭うような冷たい雨が、炎に包まれた村を包み込んだ。辺りを漂っていた凄惨な空気が水の匂いでかき消されていくのが分かった。
雨に打たれながら、ティアは村を後にした。微かな疑問を胸に抱きながらも、それに気付かない降りをしての、帰還。彼女が十六歳の夏だった。
ティアは、組織内でもある程度の実力を得た後、依頼や修行の合間を縫っては、自分の両親を捜していた。どうしたいというわけでもなく、ただ自分がどこから来たのか知りたかっただけだった。
手がかりは、バリーがティアに彼女の出自を話した時に渡された、赤子の自分を包んでいたという布。どこか有名な街の織物とのことだった。
織物の特徴から、ユスノア国のティールズ産だと割り出し、彼女の両親と思しき人物が特定できたのは、小さな村を滅ぼしてからおよそ三ヵ月後の秋のある日のことだった。あと三日で、彼女が拾われてから十七年という日だった。
「……ティールズの、領主……ブラント家……」
ティールズはユスノアでも大きな貿易港を持つ大都市で、特に織物での交易が盛んな都市だ。そんな都市の領主が自分の両親だと、集めた資料が物語っていた。
ティアは、何となく納得してしまっていた。
このような不吉な瞳の子供が生まれたと知られれば、そんな子を授かった領主は街を滅ぼすに違いないと言いがかりをつけられてもおかしくはなかったはずだ。殺されなかっただけ、ましだったのだと思った。
そんな事を人事のように思いながら、ティアはブラント家の資料を捲る。家族構成のところで、その手が止まった。
中年の夫婦の写真と、幼い少年の写真。ブラント夫妻とその息子フェリスの写真だった。フェリスは今年十一歳になるという。感情豊かに笑ってはいるものの、十歳前後の自分の顔立ちとよく似ていることに動揺した。
この少年は、自分の弟でこの夫婦は自分の両親なのだと、強く実感した。
「……ああ、クレール。ここにいたのか」
彼女に声をかけてきたのは、彼女よりも一回り以上年上の男だった。最近、この組織に加わったばかりの男だった。男は、ティアに視線だけでこちらに来るようにと促してきた。
「どうした。……依頼か」
男について短く尋ねる。幸いなことに、動揺は声には出なかった。
「ああ。バリーが呼んでる。……組織総出の依頼だとよ」
「……何?」
ティアの脳裏を、夏の依頼が過ぎったのは無理もないことだった。あの依頼も組織総出で遂行したのだ。
「ティールズに向かうんだと」
男の言葉に、ティアは気付かれないくらい小さく反応していた。
「ティールズ? ……依頼の内容は?」
ティアの言葉に、男は気楽に応じた。
「ああ。ある一家の抹殺だと。……なんつったかな……」
その名に。彼女の赤い瞳は大きく見開かれたのだった。
「……おい、ティア?」
ウィルの声に、ティアははっと我に返る。その様子に、ウィルは小さく苦笑した。
「すまない。自分の世界に入り込んでいたようだ」
「別に、構わねぇけど。……珍しいよな。お前がそんなに考え込むなんて」
「確かにそうだな」
いつの間にかパフェを食べる手を止めていたティアの手元を、ウィルは指差す。
「アイス、溶けかけてるぞ」
「む? ……本当だ」
微かに眉をしかめ、残っていたパフェを口に運ぶティアを見て、ウィルはしみじみと呟いた。
「お前、ほんっとに甘いもん好きだよな」
「ああ。大好きだ。今の野望は世界各国の甘味全制覇だ」
「……そりゃ、壮大だな」
うんざりとした表情になってしまったのは仕方がないだろう。それだけの量を彼女は目の前で頬張っているのだ。これだけの糖分を摂取して、このすらりとした体型を維持しているのだから驚きだ。
「ウィル」
「……何だよ?」
「アップルパイを追加してもいいだろうか」
ウィルは思わず脱力した。
「〜〜っ好きにしろっ!」
「うむ。そうする」
そうして運ばれてきた甘い匂いに、ウィルは気持ち悪さを覚えたのだった。