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    蒼穹の狭間で  2.目覚めの時(4)


    「……国立図書館?」
     春蘭の言葉を繰り返し、雅は首を傾げた。それは、国会図書館みたいなものだろうか。
    「はい。この道は暁安という町に続いているんです。暁安は天界の中でも栄えてる町のひとつでして……国立図書館は、暁安にあるんですよ」
    「へえ。何か凄そう。……大きいのよね? その図書館」
    「はい、もちろんです! 天界の全ての書物がそこにあると言われていますから」
    「……ふうん。春蘭は、そこに行った事あるの?」
     春蘭はこくりと頷く。
    「巫女の試験の関係で、暁安を訪れたことがありまして」
    「そうなんだ。……慧は?」
     その問いかけに、少し前をあるいていた慧は、肩越しに雅達を振り返る。
    「俺はないな。胡蓮から出たこと、ほとんどないんだ」
    「雅ちゃんも慧君もきっとびっくりすると思いますよ〜。本当に、凄いんですから!」
     言葉に何か熱いものを込めて力説する春蘭に、雅は苦笑を浮かべた。
     少し前方を歩いていた慧が、肩越しに雅たちを振り返る。
    「……雅?」
    「え? 何?」
    「……いや。何か元気ないような気がして。顔色もよくないような気もするし。……ちゃんと、眠れたか?」
     その言葉に、雅は内心どきりとする。
     どこまで見通すのだ、この男は。と、毒づきたくなった。
    「え? だ、大丈夫ですか? 雅ちゃん」
    「大丈夫だよ。夢も見ないでぐっすりと眠ったし」
     嘘は、ついていない。夢も見ずに眠ったのは本当だ。ただ、寝覚めが非常に悪かっただけで。
     早朝に感じた不吉な気配は、まだ完全に拭い去られることはなく、雅の心の底に沈殿している。
     だが、この不安の正体が何なのかが雅自身にも分からない。分からなければ対処のしようもないし、自分でも理解不能な事を慧や春蘭に話すことも躊躇われたし、どう伝えればいいのかも分からない。
     そんな葛藤を抱いたままでも、当然のことだが時間は過ぎる。
     そうして、雅が抱いていた嫌な感覚が現実のことになったのは、お昼を過ぎた頃のことだった。

     小高い丘の上にさしかかった時、不意に寒気を感じて。雅はびくりと肩を竦ませた。それとほぼ同時に慧が剣の柄に手をかけ、春蘭が周囲を見回した。
    「……雅」
     低い慧の呼びかけに、雅は無意識に息を呑む。返事は短く、固い声音になった。
    「……何?」
    「下がってろ」
    「う、うん」
     雅が数歩後ろに下がると同時に、前方の空間がぐにゃりと歪んだ。目を見張る雅の目の前で、歪みの中から闇が生まれる。
     それを目にした瞬間、心臓に氷が落ちたんじゃないかというくらいの酷い悪寒が、雅を襲う。
     雅は思わず両腕で自分を抱きしめた。
     そんな雅を庇うように、春蘭が雅の前に手を広げる。
    「春蘭……」
    「大丈夫ですから」
     そう言って春蘭は一瞬だけ雅を見て微笑むと、すぐに視線を目の前の闇の塊に戻した。
     会話を続ける間にも、闇はどんどんと大きくなっていき、そして――。
    「女の……人?」
     ぽつりと春蘭が、呟いた。闇がぐにゃりと動いたかと思うと、人の形を取る。それは確かに、春蘭の言うとおり、女性の形をしていた。
    「ふふ……コンニチワ」
     闇から出現した黒い髪に金の瞳の、妖艶な雰囲気を持つ女はそう言ってにっこりと笑う。
    「……光鈴一行、ですわね?」
     普段なら、自分は光鈴ではないと突っぱねているところだろう。だが、声が出なかった。女の気配に、完全に竦んでしまっていた。それほどに、女の放つ気配は凄まじい。魔物など、比べ物にならないほどに。
    「……だったら、何だ? ……お前、何者だ?」
     代わりに問いかけに応じたのは、慧だった。同時に抜かれた剣に、女は目を細める。
    「あたくし? あたくしは陰羅さまの僕。名は暗奈と申しますわ」
     そう言って暗奈は優雅にお辞儀をしてみせる。雅は小さく息を呑んだ。
    「……陰羅、の?」
     何とか出た声は、酷く掠れていた。雅の様子に、暗奈はにっこりと笑う。
    「そうですわ。あなたが、光鈴ですわね? 気配で分かりますわ。……陰羅様の命令ですわ」
     そこで、暗奈の笑みが酷薄なものへと変わる。
    「死んで下さいませ」
     その言葉と同時に、暗奈の手の中に、闇色の剣が生まれた。
     それを振りかざして、暗奈が地面を蹴る。雅と暗奈の間に割り込んだ慧が、その剣を受けて小さく眉をしかめた。
    「あら素敵。いい腕してますのね。あなた」
    「……くっ」
     数度剣を重ねるうち、慧の表情が微かに曇った。剣の腕は慧のほうが上なのだが。
    「……けれど、残念ですわね。普通の剣ではあたくしの剣には敵いませんわ」
     そう言って一歩後ろに引いた暗奈が、鋭く剣を振りぬく。ぎんという鈍い音と共に、慧の剣が折れる。
     慧が小さく舌打ちして暗奈から距離をとるのと、暗奈が折れた剣の切っ先に腕を振るったのは同時だった。
     切っ先が、まるで意思を持っているかのように宙を舞う。その狙う先を見て、慧は叫んだ。
    「春蘭っ!!」

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