「……契約をする。そう答えた自分に、刀夜殿は己の名を教え、そして自分に紅蓮という名を与えた。細かい方法は自分からは言えぬが、そうして契約は成立したのだ」
 滔々と語られる紅蓮の言葉を、朱鳥は身動きひとつしないで聞いていた。
「……名前で、魂を縛る……」
 朱鳥が零した呟きに、紅蓮はこくりと頷いた。
「そうだ。名を与えられることにより、主人と意思疎通を行うための言葉と、契約前よりも強い力と実体を得る。その代わり、主人の命令が絶対となり、主人が焔魔を認識した時以外に焔魔の力を行使することは出来なくなる」
「……そうなんだ」
 朱鳥はそう呟いてから、小さく首を傾げた。
「……自我は、契約で生まれたものじゃないんだよね? 今の話を聞いていると、レンちゃんは普通の焔魔だった時から自我は芽生えていたみたいだし……」
 もしかしたら、焔魔は朱鳥が思っているよりも色々な感情を抱いているのだろうか。
 今まで倒してきた焔魔達も。そう思うと、何だか少しだけ、複雑な気持ちになった。それでも、自分が焔薙ぎとして焔魔と戦うことには変わらないのだけれど。
 そう言うと、紅蓮はさてなと呟いて首を傾げる。
「……焔魔を恨んで焔魔化するケースは少ないのでな。自分は、普通の焔魔とは違うらしい。しゃべることは出来なかったとはいえ、焔魔化した時から自我があったのは、その特殊さ故かもしれぬ。普通の焔魔に自我があるのかどうかは、自分は知らぬ。……今までの焔魔の行動を見ていると、それほど強い自我はないのではないかと思うがな」
「そう、なんだ……」
 そう言われて、ほんの少しだけほっとした。
 朱鳥の剣は焔魔の恨みを断ち切ることで、焔魔の魂を消化させるものだけれど、それでも自我のある相手に剣を向けるとなると、迷いが生まれそうな気がする。その躊躇は間違いなく、自分や刀夜、紅蓮の身を危険にさらす。だから、紅蓮の言葉に安堵した。
 朱鳥は机に置いたままのカップを手に取り、長い話の間に冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。
 本当は、紅蓮に訊きたいことがある。けれど、それが出来ないでいるのは、朱鳥の尋ねたいことの内容が刀夜に関わることで、しかも彼の事情に土足で踏み込むことになりかねないと分かっているからだ。
 なんで刀夜はそんなに焔魔を憎んでいるのか、なんて訊けるわけがない。
 けれど、紅蓮の話の中の幼い刀夜と今の刀夜が、どうも朱鳥の中では一致しないのだ。
 人の初手柄を横取りした、飄々とした掴みどころのない、けれど焔薙ぎとしての腕は一流の男。それが刀夜に対する朱鳥の印象で、彼が焔魔を強く憎んでいるようには見えなかった。
 もちろん、刀夜が朱鳥に見せない顔というのはあるのだろう。朱鳥と刀夜が心の底から信頼関係で結ばれているのならまた違うのかもしれないが。
 紅蓮は、出会った当時の刀夜を少年と言っていたから、契約は刀夜が十代前半から十代中頃にかけてのことだったのだと思う。それくらいの年齢の時には、刀夜は既に焔魔を憎んでいたのだということになる。
 紅蓮の話を疑うわけではないのだが、あまりにも今の刀夜の印象と違いすぎて、正直に言って誰に関する話を聞いたのだろうという心境だ。
 朱鳥のそんな思考が伝わったのだろうか。紅蓮が口を開く。
「……まあ、今の話を信じるのも、なかなか難しかろう。……特に、刀夜殿のことがな」
「……うん」
 朱鳥は、正直に頷いた。
「刀夜殿は普段あのような態度だからな。焔魔を憎んでいると言われてもぴんとこないのも無理もない。安曇殿に感情をむき出しにするなと教えを受けていたからな。……けれど、刀夜殿の意思は少しも変わってはいない。……刀夜殿は、自分が焔薙ぎとなるきっかけを作った焔魔を強く憎んでいる」
 紅蓮のその言葉は衝撃的で、朱鳥は目を丸くした。
「……え? それって……」
 だが、紅蓮は小さく首を横に振った。
「……これ以上は、自分の口からは言えぬ。どうしても聞きたいというのなら……自分で刀夜殿に聞くがよい」
 紅蓮の言葉はもっともで、朱鳥は黙ってその言葉を受け入れるしかない。
 ふと紅蓮がベッドサイドに置かれた目覚ましに目を向け、かっと目を見開く。時刻は十時を回っていた。
「む。そろそろ暇させてもらおう。あまり夜遅くまで婦女子の部屋にいるのも失礼であるからな!」
 焔魔相手に間違いがあるとも思えないが、立派な心がけだ。デリカシーのない刀夜がそんな教えをするとは思えないから、きっと安曇の教育のたまものだろう。
 それにしても紅蓮は、いったい何をしに来たのだろうか。
「それは立派な心がけだけど、レンちゃん何か用事があってきたんじゃないの?」
 それとも、朱鳥の部屋の近くの屋根で猫と戯れていたのは偶然だとでも言うのだろうか。
「何、パトロールで近くに来たのでな。気が向いたのでちょっと立ち寄ってみただけだ。……邪魔をしたな。しっかりと勉学に励むといい」
 そう言っててこてこと窓に近づき、ぴたりと動きを止める。
 ああ、そういえば窓を閉めたんだった。そう思い至った朱鳥は窓に近づいて窓を開ける。
「うむ! すまんな!」
 紅蓮は満足そうに頷くと窓から外に出て屋根の上を歩く。どうやら、屋根の縁から飛び立とうとしているらしい。出たところで飛べばいいのにと思うのだが、どうやら紅蓮は実体化している時はかなりの不器用さんなようなので、念には念を入れているのだろう。
 その時、暗闇からまたもやにゃーと愛らしい声が聞こえてきた。
「……っ! ええいっ。また貴様かっ」
 来た時よりも小声なのは、恐らく紅蓮なりに時間に配慮しているからだろう。
 紅蓮が焦ったような声を上げて、ばさりと翼を大きく広げた。猫を牽制しているのだろうか。朱鳥は小さく笑いつつ、窓を閉めてカーテンを引く。紅蓮もまじまじと見られたくはないだろう。カーテンの向こうで翼をはためかせる音がした。
 そして勉強机に向うが、勉強をする気にはなれなかった。
 ふうと大きく息をつく。刀夜と出会って一緒に行動するようになってから、そう長い時間が経ったわけではなく、刀夜の人となりをよく知っているとは言い難い。
 そもそも出会いが出会いだっただけに、朱鳥はずっと刀夜を毛嫌いして、刀夜の事を知ろうとしていなかった。
 それだけではない。刀夜もまた、朱鳥を一定以上踏み込ませないように距離を取った態度を取っているように感じている。
 今まではそれでいいと思っていた。けれど、紅蓮の話を聞いてもやもやとしているのは確かで。
 飄々として、掴みどころがなくて、デリカシーがなくて、でも焔薙ぎとしての腕は一流の青年。普段見せる彼の表情に、過去の影など全く見えないのに。
 飛崎刀夜。初めて、彼のことをちゃんと知りたいと、そう思った。

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