ばさばさと翼を動かすとその動きに合わせたかのように、火の粉が舞う。
 炎をまとうこの身へと転じたのはつい最近のことだ。翼をはためかせるたび起るその光景には、未だ違和感があった。
 当時、まだ名前もなければ焔魔としてはまだまだ弱い存在の焔魔『火ノ鳥』は、ただじっと闇に佇んでいた。
 焔魔としての本能が、近くに焔薙ぎがいることを告げている。けれど、まだ滅ぼされるわけにはいかない。自分はまだ、目的をひとつも果たしていないのだから。
 ――……焔魔を、滅ぼさなければ。
 自分が焔魔へと転化した意味。ただそれだけを考えながら、最早おぼろげな生前の記憶を辿る。
 そう、自分は焔魔に命を絶たれたのだ。何故、そんな事態になったのかは分からない。けれど、いきなり理由も分からず生を終えることとなった理不尽を憎み、気付けば自分も焔魔へと姿を転じていた。
 一匹でも多くの焔魔を倒す。そのためには、今焔薙ぎに見つかるわけにはいかない。じっとこの場に潜み、少しでも力を蓄えなければ。
 そう思っている『火ノ鳥』の方に、だかだかとやや乱暴な足音が近づいてくる。それと同時に本能が逃げろと警告をしている。どうやら足音の主が焔薙ぎのようだ。
 気配を消すどころか、むしろ足音を響かせるなんてどういうことだろう。
 そう思いながら、『火ノ鳥』は周囲に視線を巡らせた。どこか隠れる所はないだろうかと思うのだが、今身を潜めている木の上以上によさそうな場所はない。
 さて、どうしたものかと考えるとほぼ同時に、まだどこか幼さの残る少年の声が響く。
「……ちっきしょ〜。師匠ってば相変わらず乱暴だよなぁ。……ぶっつけ本番で行ってこいって……」
 足音の主は呟いただけのつもりなのだろう。けれど静寂に包まれた夜だと、小さな声すらも思いのほか響くものだ。
「あー、だりー、めんどくせー……。でも、このまま帰ったら師匠が怒ってもっとめんどくせーことになるしなぁ〜……」
 呟く声が大きくなる。ちょうど、『火ノ鳥』が身を潜めている木の下で立ち止まったのは、やはり少年だった。
 はーっと子どものくせにやたら重々しいため息をついて、少年は顔を上げる。声の印象のとおり、まだどこか幼い顔立ちの少年の視線は、まっすぐに『火ノ鳥』の方へと向けられた。
 ぶわりと少年の周囲に、自然のものではない風が吹く。同時に地面を蹴った少年の身体はふわりと宙に舞い上がった。
 そして『火ノ鳥』が隠れていた木の近くの屋根まで飛び上がると、そこに軽やかに着地しようとした、その瞬間。やや風が乱れて少しだけよろめきながら屋根に降り立つ。
 まだ、完全に能力を制御しきれていないようだ。
「……よう」
 このまま自分は滅ぼされてしまうのかと考えていた『火ノ鳥』は、滅ぼす対象である焔魔に声をかけた少年を訝しげに見つめた。
「……鳥の焔魔かぁ。……飛崎って名字だから鳥と相性いいだろって師匠は言ってたけど……何か単純すぎんじゃね?」
 ぼそりと呟いた少年は、はっと我に返るとなにかに怯えたように周囲を見回し、それからほっと息をついた。
 そして少年は背筋を正すと、まっすぐに『火ノ鳥』を見つめて、目を細める。
「……おい、焔魔……」
 静かな声に、『火ノ鳥』は警戒を解かないまま少年を見つめ返す。
「お前、焔魔が……憎いのか?」
 問いかけつつも、どこか確信のある声音だ。焔薙ぎであるはずの少年は、自分を滅ぼしに来たのではないのか。一体何がしたいのか。そう問いかけたいが、焔魔はしゃべることなど出来ない。
 そのことを、焔薙ぎである少年が知らないはずはない。少年はああそうか……と小さく呟いて、気まずそうに頬を掻いた。
「あー……はい、なら一回羽ばたけ。いいえ、なら二回だ。……いいな?」
 先程の問いかけといい、相性がどうのと呟いていたことといい、この少年はどうやら『火ノ鳥』と意思の疎通を図り何かをしたいらしい。どうせこの距離では、風を使うらしいこの少年が本気になれば『火ノ鳥』など一瞬で消滅させられてしまうだろうから逃げることなど出来ないし、何より少年の意図が気になる。
 ばさりと一度だけ翼をはためかせ、『火ノ鳥』は了解の意思を示した。
 少年は満足そうに頷くと、再び口を開く。
「じゃあ、もう一回、さっきの質問だ。……お前、焔魔が憎くて焔魔になったんだろう?」
 その問いに、『火ノ鳥』はばさりと一度、羽ばたく。
「じゃあ、人間やその辺の物とかに危害を加えるつもりはあるか?」
 これはいいえだ。ばさばさと二回羽ばたいた。
「目的は、焔魔か?」
 ばさりと羽ばたく。羽ばたくたびに舞う火の粉がややうっとおしい。
「……そうか。……じゃあ、俺と契約をしないか?」
 少年の言葉の意味が分からず、『火ノ鳥』は翼を動かさなかった。
「……焔魔を憎む焔魔は、焔薙ぎと契約することが出来る。そうすれば、今以上の力と実体と言葉を得ることが出来るんだ。……焔魔を狩りやすくなるぞ」
 少年が淡々と紡ぐ言葉を『火ノ鳥』は身じろぎせず聞いている。本当に簡単に説明されただけだが、確かにそれは『火ノ鳥』にはメリットのある話に思える。今以上の力があれば、こんな風に隠れずに済むだろう。実体があれば、もっと自由に行動できるだろう。言葉は、人間と契約する以上、必要不可欠だろうから、それはいいとして。
 少年が、この契約を望むその意味は。焔魔と契約をして、少年は何メリットがあるというのか。
「……ああ、もちろん契約主である焔薙ぎの命令は絶対になる。焔薙ぎが焔魔に名前を与えることで、魂を縛ることになるから、そういった意味では対等の契約にはなりえない。それは言っとくわ」
 そう言って、少年は目を細めた。
「……俺も、焔魔が憎い。一匹でも多く焔魔を倒したい。そのためには、力が必要なんだ。……たとえ、それが焔魔との契約っていう方法でも」
 手段を選んではいられない。そう語る少年の表情が、陰りを帯びる。
 より大きな力を得て、焔魔と戦うことが出来る。それが、少年にとってのメリットなのだろう。そしてそれは『火ノ鳥』にとってもメリットである。
 『火ノ鳥』の心が定まったのが分かったのか、少年は暗い表情を消して再び口を開く。
「……じゃあ、もう一度聞くぞ。……俺と契約をしないか?」
 もしここで、否と答えたなら。『火ノ鳥』はこの少年によって消滅させられるのだろう。
 そして、『火ノ鳥』の答えは決まっている。両方の翼を大きく広げ――……。

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