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第五話

 ことこととお湯が沸き立つ音がする。
 その音にうっすらと目を開けたウェルチの視界に広がったのは、自宅の天井で。
 ウェルチは状況を飲み込めず、僅かに首を動かした。すると、額から白い何かが落ちる。
「……タオル?」
 自分の呟きではっと我に返る。
 記憶が森の奥で薬草やハーブを摘んでいるところで途切れている。なのに何で自分は自宅のベッドで眠っているのだろう。
「……わたし……?」
 状況がよく分からないまま起き上がると、がたんと椅子を倒したような音がした。
「ウェルチ! 気づいたの!? っていうか、まだ起きちゃだめだよ! 熱があるんだから!」
 ウェルチはぼんやりと焦り声の主を見上げた。
「ティオさん……。……熱?」
 慌てて立ち上がった時に倒してしまった椅子を起こしたティオは、それにきちんと腰かけてから頷く。
「そうだよ。君は熱を出して森の奥で倒れたんだ。……覚えてる?」
「はい」
 こくりと頷いてから、ウェルチは数度瞬いた。
「……もしかして、ティオさんここまで運んでくれたんですか?」
「僕以外、他に誰かいる?」
 苦笑気味に問われて、ウェルチもまた苦笑した。
 あの場にはウェルチとティオの二人しかいなかったのだから、倒れたウェルチを連れ帰ってくれたのはティオしかいない。
 考えずとも分かりそうなものだが、きちんと思考が働いてないあたり確かに熱はあるらしい。
 それにしても、まさかティオがウェルチを抱えてここに戻ってこれるほどたくましく成長しているとは思わなかった。その場面を想像すると、気恥ずかしいやら情けないやらで不思議な気分になる。
「……具合はどう?」
「あ、大丈夫みたいです。ありがとうございます」
 よくよく考えてみれば、朝の眩暈も立ちくらみなどではなく熱のせいだったのかもしれない。
「ウェルチ」
 ほっと安堵の息をついたティオは、表情を改めると強い調子でウェルチの名を呼んだ。今まで一度も聞いたことがないほど固い声音に、ウェルチは反射的に居住まいを正す。
「は、はい」
「どうして、こんな無茶したの。熱があるのに、あんなところまで行くなんて」
 ティオは怒っているのだと気付いたのは、情けないことにその言葉の後だった。
 熱で頭が回っていないというのはあるが、それ以上に今までティオから怒られたことが一度もなかったし怒ったところを見たことがなかったので、分からなかったのだ。
「ご、ごめんなさい。……熱があったの、気付いてなかったです」
 薬師なのに自分の体調が悪化していることにも気付かないなんて。ウェルチは項垂れた。
「薬師としても失格ですね、情けないです……」
 ティオが小さく息をついた。ウェルチは項垂れたままでいたので、ティオがどんな表情をしていたのかは分からない。
「……でも、よかったよ。あそこで倒れたのが、僕が一緒にいる時で」
 それは確かにその通りだ。もし一人で森に入った時に倒れても、助けてくれる人は誰もいない。そのまま倒れたままで無事でいられるとは思えない。たとえ獣に襲われなくても、夜になれば凍えてしまう。
 そう思ったら、ぞっとした。
「ティオさん、ありがとうございました。……気を付けます」
「うん。そうして。……ウェルチは自分のことにちょっと無頓着な時があるから」
 ウェルチが顔を上げると、ティオの表情が固いものから柔らかい微笑へと変化する。
 ティオの言葉にウェルチは苦笑した。それは祖母にもよく言われていたことだった。
「……よくご存知で」
「それは……ずっと、見てたから」
「幼い時からの付き合いですものね」
 ウェルチの言葉に、ティオの肩が目に見えてがくりと項垂れる。
 何だろうこの反応はと疑問に思いながらも、ウェルチはよしっと顔を上げた。
 ティオは優しい。けれど、この優しさは彼が愛おしく思う女性へと傾けられるべきだろう。
 一抹の寂しさを感じながらも、ウェルチはベッドから抜け出した。
「ウェルチ? まだ寝てないとダメだよ!」
「そこに物を取りに行くだけなので大丈夫ですよ。当初の目的をお忘れですか?」
 そう言いつつ、台所の冷暗所に向う。背後でわずかに首を傾げていたティオがあっと小さく声を上げた。
「勇気の出る薬!」
 その反応に小さく笑いつつ、冷暗所から小さな瓶を取り出した。中の液体を手近なグラスに注ぐ。仄かに赤い液体をティオに差し出した。
「……これが、祖母が領主様にお渡ししたものです」

 

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