第四話
ウェルチは大きな荷物を持って町中を歩いていた。人込みを不器用に避けつつも歩くその表情は、どこか浮かない。
昨日のジーナの言葉に、自分は思っていた以上に衝撃を受けたらしい。
どこか他人事のようにそんなことを思いつつ、ウェルチは小さくため息をついた。
少し考えれば想像はついたことだ。貴族の三男坊ともあれば、お見合い話の一つや二つあっても不思議ではない。
そう思うのに、何故かずっともやもやとしている。
何でこんな気持ちになるのだろう。
ティオがもし見合いを申し込まれたら、それはほぼそのお見合い相手との婚姻が確定したことになる。貴族間のお見合いなんて体裁を保つためのものでしかない。お見合いを設定している時点で、地固めは完了しているケースがほとんどだ。
そして、そうなればティオはこの町を離れていってしまうのだろう。それが、寂しいのだろうか。
そう考えればつじつまはあうような気がするが、何か違うような気もする。そんな風に思うのは、ティオに対する想いが恋だからなんだろうかと思わないでもない。
けれど、やはり確かな答えは出てこない。自分でも情けないとは思うのだが。
ウェルチは再び重いため息をついた。
これから、昨日領主一家の元を訪れたという貴族の別荘に訪れなければならないのも、ウェルチの気分を浮かなくさせる原因の一つだろう。
昨日の夜、ちょうど夕飯を食べ終わったばかりの時に、貴族に仕える小間使いの男が書簡を持って訪れた。その書簡には、ウェルチのお茶を褒め、翌日いくつか持って来てほしいという内容がきれいな文字で書かれていた。
書簡を持って来た男性の話では、ティオの家で出されたお茶を、貴族の娘がいたくお気に召したらしい。
それでは翌日の午前中にいくつかのお茶をお持ちしますとの返事を小間使いに託し、今この時にいたる。
「……着いちゃった」
この町の近くには湖があり、その周囲は貴族の別荘が立ち並んでいる。その中の一つが、今日訪れる約束をしている貴族――アルバート伯爵家のものである。
湖畔に面した庭からは、湖の向こうに佇む赤く染まった山々を望むことが出来る。非常に立地の良い場所に建てられた別荘だ。
ウェルチはすうっと息を吸って心を落ち着かせる。ここに来たのは、仕事のためだ。意識を切り替えなければ。
そうして表情を改めたウェルチはやたらと大きな玄関扉に近づいた。町と別荘地は高い塀と門で区切られており、門を通るには通行許可証が必要となる。元々治安のよいこの町の中でも厳重な警備が敷かれているため、個人の別荘には門番などはいないことが多い。
ウェルチがドアノッカーを叩くと、すぐに応じる女性の声が聞こえてくる。
「はい。どちら様でしょうか?」
「薬師のウェルチと申します。昨日ご用命いただいたお茶をお持ちしました」
そう言うと、かちりと鍵の開く音がして、扉が開く。
「お待ちしておりました。ウェルチ様、どうぞお入りください」
「失礼いたします」
そう言って足を踏み入れた別荘の内部は、他の貴族達の別荘と同様にやたらと豪華な造りだった。
緊張しながらも、別荘の中を進む。応接間に通されるとばかり思っていたのだが、先導する侍女は応接間ではなく、階段の方へ向かっていく。思わず、声をかけた。
「あ、あの……応接間ではないのですか?」
「はい。お嬢様から、自室にお通しするようにと仰せつかっております」
「そ、うですか……」
それはさらに緊張する事態だ。自室とやらにもきっと高価そうな調度品やらなにやらがあるに違いない。
内心冷や汗をかきながら、階段を昇った先の部屋の戸の前で先導の女性が立ち止まり、戸をノックする。
「お嬢様。ウェルチ様がいらっしゃいました」
「お通しして」
中から聞こえる鈴の鳴るような可愛らしい声に、ウェルチは無意識に背筋を正す。
女性は戸を開けつつ、ウェルチに頭を下げた。
「どうぞ、お入りください」
「はい。……失礼いたします」
そうして入った部屋は庭に面した部屋で、その部屋のバルコニーからは見事な紅葉と湖が見える。
「はじめまして。ウェルチと申します」
その部屋の中央に据えられた白いテーブルと椅子に座っている少女に、ウェルチは頭を下げた。薄い茶色の髪を綺麗に巻いた、美しい少女だ。
「突然お呼びしてごめんなさいね。わたくしはレティシアです」
にこりと笑って、レティシアが立ち上がる。そして、向かいの席をウェルチに勧めた。
「どうぞ、おかけになって? ……エレン」
レティシアがそう呼びかけると、初老の侍女がはいと応じて二つのティーカップとティーポットを持ってくる。その動きが微かにぎこちない。足を痛めているのだろうか。
「ありがとう。もうさがっていいわ」
命令口調ではあるものの、レティシアの声音は柔らかい。エレンと呼ばれた女性ははいと笑顔で頷くと、ウェルチに頭を下げて退出していった。
人払いをしていたのか、部屋にはレティシアとウェルチの二人っきりになる。
「……エレンはもう年配ですし足も少し患っているので、本当は遠方に連れてくるべきではないのですが……わたくしが幼い時から仕えてくれているので、一番頼りやすくて……つい甘えてしまうのです」
「そうなのですね」
レティシアに勧められるままに席に着いたウェルチは、頷く。目の前のティーカップからは紅茶のいい香りがした。
「本日はご依頼いただきありがとうございます。……わたしのお茶をお気に召してくださったとお伺いしました。……とても光栄です」
そう切り出すと、レティシアは小さく微笑んだ。
「ええ。昨日、この町の領主様のご自宅にお父様と伺ったのだけれど、そこで出されたお茶がとても素敵だったわ。マローブルー、だったかしら?」
「はい」
「このお茶が気に入ったと申し上げましたら、ティオ様が嬉しそうになさって……」
いきなり出てきたティオの名前に、ウェルチは内心どきりとする。
「ティオ様は優しくて素敵な方ね。そんな方が褒めるあなたに、ぜひとも会ってみたかったの。だから会えて嬉しいわ」
そう言ってレティシアは綺麗な笑顔を浮かべたのだった。