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    記憶のうた 後日譚 :EVER AFTER  〜Prologue〜


     何て事のない動作だったはずだ。
     すっと手を伸ばし、彼女の細い指が触れた途端。ぱしんという小さな破裂音と共に、両手で包み込めるくらいのサイズの小さな電子オルゴールは白い煙を上げた。
    「……っ!?」
     反射的に手を引いた彼女は、小さく息を呑んで目を見開く。
    「こ、れは……」
     無意識に口をついて出た声は、ひどく掠れていた。彼女は信じられないものを見たような目で、数度瞬く。だが、何度見ても状況は変わらない。電子オルゴールは白煙を上げたままだ。
     壊れてしまったオルゴール。その原因を、彼女の目はしっかりと捉えていた。
     指先から走った小さな魔力の光。その光が、この精密な機械を破壊した。そして、それはもちろん、彼女の意思によるものではない。
     鏡を見ずとも分かる。顔色がどんどんと青ざめていく。彼女は伸ばしていた手を胸元に引き寄せ、もう片方の手でそっと包み込んだ。
     手が小さく震えているが、その理由は彼女自身にも分からない。
     突然の出来事に対する衝撃のせいか、それともこれから自分の身に何が起こるか分からないという恐怖のせいだろうか。
     とりあえず落ち着かなければと、目を閉じて小さく深呼吸を繰り返す。そうすると、自然と手の震えは収まってきたが、心にたったさざなみは、小さくなりこそすれ収まることはなかった。
     だが、一拍考える時間が出来たことで、感情で動かず、冷静に判断を下すことは出来そうだ。
     いつも感情的に動いて失敗を繰り返してきたが、今ここで間違えるわけにはいかない。絶対に。
     こうなってしまった以上、自分がしなければいけないことは、ひとつだ。しかも、なるべく早く行動に移さなければならない。
     そう、分かっていた。いつかはこうなると。自分がこの場所にずっといることは不可能で、本当はもっと早くに立ち去らなければならなかった。
     それが出来なかったのは、自分の心が弱いせいだ。この居場所が心地よくて、そして彼の声を聞ける距離にいられることが嬉しくて。陰口も何も、気にならなかった。幸せで、本当に幸せで。嬉しくて。
     だから、こんな日がずっと続けば、と思っていた。
     叶うはずのない、愚かな願いに、彼女は口元に淡く苦い笑みを浮かべる。
     出会ってから幾度となく、彼を危険へと追いやった。そんな自分に、そんなことを願う資格などありはしないのに。
     それでも、心の弱さに折れて、愚かにも願い続け、そして。また彼の身に危険が迫ろうとしている。――自分のせいで。
    「……ダメです。絶対に……!」
     それだけは防がなければいけない。
     彼女の脳裏に過ぎるのは、彼女を庇って倒れた彼の姿。気にするなと言われても消すことのできない光景だ。
     もう二度と。あんな思いはしたくない。
     彼女は身を翻そうとして、一度だけ、壊れてしまった繊細な細工のされた電子オルゴールに目を留めた。
     未だに煙の収まらないそれは、一週間前にお忍びで出かけた大市で、一目見て気に入った彼女に、彼が買ってくれたものだった。
     悪いからと遠慮する彼女に、彼はじゃあレンタルってことで、とどこかぞんざいに言い放って彼女にこれを渡してくれた。
     飽きたら返せよ、と言う彼は少しもこちらを見ないで、その表情は微かに照れた時のもので。
     鮮明に蘇る姿に、彼女は泣きそうになりながら、笑う。
     あの人の、不器用な優しさが嬉しかった。何度も何度も与えられて、救われた。……大好きだった。だから、もっと傍にいたいと。それだけでいいからと、祈るように願っていた。
     けれど、彼女は知っている。この世界に願いを叶えてくれる神様なんていない。いたとしても、自分は神を否定した存在だ。叶うはずもない。
     それに、一番彼女の願いを聞いて、叶えてくれたのも彼なのだと思って、彼女は笑みを深くする。
     様々な思い出や想いが心を掠める。
     大切な旅の記憶や仲間達のことが脳裏を駆け抜けた。その中でも鮮明なものはやはり、彼との出会いや日常の他愛ないやりとりなど、彼と関わるものの事が多い。
     本当に、与えられてばかりで、幸せな日々だった。
     そして、ふと思う。この壊れたオルゴールを見たら、彼は何を思うだろうか。賢明な彼ならば、これを見ればきっと、彼女に起こった事態に気付くだろう。……どんな表情を、するのだろうか。
     何も返せず、何も言わずに立ち去ることだけが心残りではあるけれど、別れの挨拶をしている余裕など、ない。
     だから、彼女は頭を下げた。貸し与えられた部屋に、貸すという名目で彼が贈ってくれた小さなオルゴールに。そして……最後に顔を見たかったと懲りずに願ってしまうほど、傍にいたいと願っていた彼に。
    「……ありがとう、ございました。……さようなら」
     そうして顔を上げた彼女の薄紫の瞳には、悲しみの色はなく、強い決意だけがあった。二つの言葉と小さなオルゴールを残して、彼女は今度こそ身を翻し、部屋を飛び出した。

     そして、機械国・ガジェストールの首都・アンセルに聳え立つ城の正門に設置された監視カメラは、一人の少女の姿を捉える。薄い茶色の髪に薄紫の瞳の少女が血相を変えて慌てた様子で駆け抜けていく様子が記録されていた。
     少女の名はソフィア。フューズランド四大国の一つ、機械国ガジェストールの王城にその身を置く魔術師であり、この国の第二王位継承者であるウィリアム=オルコット=ラディスラス=ガジェストの友人である。

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