黒い携帯電話が震えて、着信を知らせる。
ウィルは無造作に携帯を手に取り、通話ボタンを押した。その視線は今しがた届いたばかりの、片手に収まるくらいの小さな箱に注がれたままだ
『わーい! ウィルちゃんやっほー!』
いきなり響いた甲高い声に反射的に携帯を耳から離し、ウィルは眉をしかめる。
「……うっせぇな」
『うるさいとは何よぅ!』
『むぅ!』
電話の向こうからリアとぽちの抗議の声が聞こえてきて、ウィルは思わずため息をついていた。
「あー、悪い悪い。タイミング的にティアだと思ったんだよ。ちょうど荷物が届いたところだったんでな」
『あ、ウィルちゃん受け取ってる! ちゃんと届いたんだね! よかったぁ〜。……ティアちゃーん、届いたってー』
明らかにウィルに向けたわけではない言葉に、ウィルは目を細める。よくよく耳を澄ませば、坊やって言うなというお決まりの言葉とあははーと気の抜けた笑い声が微かに聞こえる。
「……何だ? お前らもしかして一緒にいるのか?」
『そうだよー。みんなで集まって一緒にガジェストールに行こうってお話になったの。で、さっきティアちゃん達と会えたんだけど、ウィルちゃんへの荷物が今日届くってティアちゃんから聞いてねー。じゃあ、あたしがウィルちゃんに連絡するーって』
うふふふーと受話器越しにリアが嬉しそうに笑う。
「……機嫌いいな」
『もっちろん! これで、ソフィアちゃん助かるんだもん! 嬉しいに決まってるよ〜。ねぇ、ぽち!』
『むぅむぅ!』
何だかぽちの鳴き声にバリエーションが増えている気がして、ウィルは軽い衝撃を覚えた。多分あのぬいぐるみは、激しく頭を振って同意をしているのだろう。そんな鳴き声だった。
「どうかな。五分五分だと思うぞ。確証なんてないわけだし」
『もーう! 一番頑張ったウィルちゃんがそんなんでどうするの? 絶対大丈夫よ!』
『むぅぅぅぅ!』
妙に自信満々のリアの声に、ウィルは小さく苦笑した。
「……だといいんだけどな」
『だから、大丈夫だってば! 信じるってことは大事なんだよ! でないと聖霊だって力を発揮できないんだから! 魔術だってきっと同じだよ!』
理論的でも何でもないが確かにそうだと思わせる説得力がその言葉にはあって、ウィルは薄く笑う。
みっともないとは思いつつも諦めることなど出来なくて。最後まで足掻いた結果、今この時があることは事実だ。
「……そうだな。じゃあ、信じとく」
『うん。それでよーし。……でもさ、ウィルちゃん。解決したら……ソフィアちゃんに好きって言わないの?』
唐突な質問に、ウィルは思わずがくりと肩を落とした。
「は!? いきなり何言ってるんだお前は!」
『だって……解決したらソフィアちゃん、どうなるの?』
「どうも何も、あいつは自由になるだけだろ。俺がどうこう決めることじゃない」
そう返すと、リアが不満げに頬を膨らませるような気配がした。
『そうかもしれないけど……。ウィルちゃんの立場も分かってるけど……。でも……』
口ごもるリアに、ウィルは目を細める。リアがこんな風に言いよどむのは珍しい。
「……何だよ。はっきり言え」
『……ソフィアちゃんね、ウィルちゃんに迷惑掛けたくないって言ってたから、きっと色々言わないでいることもあると思うんだ』
それはソフィアの性格を考えればありえる話で、ウィルは微かに眉をしかめた。
この一週間で、ソフィアがウィルに貴族達の陰口の相談をしてくることは、結局一度もなかった。
『だから、ウィルちゃんが好きって伝えないと!』
リアのしんみりした口調が一転し、熱っぽいものに変わる。
しかもリアは話の切り替えが唐突すぎて、テンションの違いにウィルは時々ついていけない。
「だから! 何でそうなる!」
『だって、ソフィアちゃんからは言えないし! きっとウィルちゃんから言われるの待ってるし!』
「はぁ!? そんなの分からねーだろ!」
『ぎゃー、ウィルちゃん鈍い! 信じられなーい! どう見てもソフィアちゃんウィルちゃんのこと好きじゃないの! ウィルちゃん告白してよ、こーくーはーくー!』
何だか頭痛を覚えて、ウィルは箱を机に置くとこめかみを揉んだ。
「……何なんだ、この会話」
『だって、ソフィアちゃんウィルちゃんの傍にいる時が一番幸せそうな顔してるもん! あたし、ソフィアちゃんに幸せになってほしいのー!』
その言葉に、ウィルは目を見開いた。傍にいる時、ソフィアはいつも穏やかな微笑を浮かべていた。傍から見れば、そんな風に見えていたのだろうか。
「……そんなの、知るかよ。ソフィアがどういう道を選ぶかなんて、本人次第だろ」
『ソフィアちゃん、自分の事より人のことを気にするから、心配なのー! ウィルちゃん、ソフィアちゃんを幸せにしてよ〜!』
最早、お前酔っているのかという勢いで絡んでくるリアに、ウィルは何度目かのため息をついた。
ソフィアが、我より他人精神が強いことには同意するけれど、どうしてもソフィアがこの国に留まっても幸せになれるとは思えなかった。
母への強い風当たりを目の前で見てきた。ソフィアに対する一部貴族達の陰口も把握している。一筋縄ではいかない問題だとは分かっているし、改善の為に全力を尽くすつもりではいる。けれど分かっていて何も出来ていない現状は、自分の無力さを感じずにはいられない。
ウィルの沈黙で、ウィルがソフィアに何を告げる気がないのを悟ったらしい。リアは大きなため息をついた。
『もーぅ、ウィルちゃんの意地っ張りー』
その評価はちょっと前にもされたような気がする。自分でもそれは少しだけ思ったので、ウィルは小さく苦笑した。
「……うっせぇよ。……用件はこれだけだな? そろそろ切るぞ」
『あ、うん。……ウィルちゃん』
「ん?」
『……成功するといいねっ! あたし、祈ってる。ぽちもね!』
『むぅ!』
その言葉に、ウィルは薄く笑った。
「そうだな。……じゃあな、気をつけて来いよ。道中で人様の物壊すんじゃねーぞ」
『ぶー! 壊さないも〜ん! じゃあね!』
ぶちりと切られた携帯電話を半眼で見つめ、ウィルは息をつく。
「……前科がある奴が何言ってやがる……」
そうして携帯を机に置きかけたところで、ふとパソコンのディスプレイに表示された時間が目に入った。時間はとっくに三時を過ぎている。いつもなら、ソフィアがこの部屋に訪れている時間だ。
ウィルの仕事に少しの支障もでないように、それでもきちんと休息が取れるようにとの配慮なのだろう。ソフィアがこの時間に遅れたことはない。何か事情があって来る事が出来ないにしても、ソフィアの性格上何らかの連絡はいれてくるはずだ。
だが携帯にもメールにも、ソフィアから連絡があったような様子はない。
嫌な予感がする。険しい面持ちで、ウィルはソフィアの携帯に電話をかける。
この予感が杞憂であればいい。心の底から、そう思った。