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    記憶のうた 後日譚:EVER AFTER  〜Peaceful days (5)〜

     大市には様々な商品が並ぶ。骨董品から最新式の機械まで、本当に様々だ。ウィルの隣を歩くソフィアも興奮に頬を紅潮させながら、きょろきょろとしている。
    「うわぁ〜。ここまで色々とあると、何から見ればいいのかちょっと困ってしまいますね」
     そう言うソフィアの表情は輝いていて、ウィルはソフィアに気付かれないよう小さく笑った。
     ふと、半年ほど前の旅に思いを馳せた。
     ソフィアの封じられた記憶を取り戻す方法を求め鎖国された天上の国まで赴いたあの旅で、本当に失いかけたのだ。彼女も、自身の命も。それを思えば、今ソフィアが隣で笑っているこの状況は、奇跡のようだとすら思う。
     もちろん、奇跡と言っても偶然の産物などではなく、旅を共にした仲間達が出来ることを出来るだけの力で行ったその結果なのだけれども。
     それでも彼女が隣にいるこの状況が長く続かないほうがいいことなど、分かっていた。所詮は仮初の平穏だ。
     魔力の暴走の危険を排除し、ソフィアが本当に自由になるように。好きな道を選べるように。――それが、ウィルが彼女に出来る最後のことだと、そう思っている。
     そう、最後だ。兄の結婚式が終わり、さらに一月ほど経てばウィルは二十歳になる。今まで諸事情により伸ばしに伸ばしていたが、二十歳になればお見合いも受けると国内外の貴族には通達されているのだ。
     そうしてどこぞの貴族の姫を娶ることになれば、今までのように気軽にお茶をしたりこうやって隣を歩くこともなくなるだろう。
     ――……寂しいんだ?
     どこかからかうような、曖昧な声音が蘇るのは、多少感傷的になっていたからに違いない。
     ウィルは小さく苦笑した。
     今のこの時が穏やかであればあるほど、辛くなるのは分かっている。それでも、権力に任せてソフィアを手に入れようと思わないのは、忘れられない記憶があるからだ。
     ――……卑しい娘の血が混じった子供など、陛下の血族でなければ……!
     兄とウィルに向かってそんな言葉をぶつけた貴族は、ウィル達が言葉の意味を理解しているなど、思ってもみなかったに違いない。
     庶民の出自である母に対して身分至上主義の貴族達が向ける目は厳しく、蔑みの目は息子である兄とウィルにも向けられた。
     当時よりはだいぶマシになっているとはいえ、身分に重点を置く貴族は未だ多い。ただの友人という立場の現在ですら、ソフィアに厳しく当たる者もいるのだ。
     さらには、王族ともなると枷も多く、また重い責任を背負わざるをえない。
     ソフィアは故郷であるエアリアルでは、住人の運命は生まれた瞬間から神によって定められる。そのことに疑問を持ちつつも、自分を抑えてエアリアルで生きてきたソフィア。その枷が外れ、魔力の暴走という枷もまた外れようとしている。
     そんな彼女を、権力で縛ってさらに枷にはめる気にも、なれなかった。
     思考が珍しいほどに感傷的なのは、別れの日が近づいているからに違いない。冷静に自己分析をしていたウィルは、ソフィアの小さな声に我に返った。
    「……あ」
     何事かとソフィアを見れば、ソフィアはある出店の一点に視線を集中させていた。
     その視線の先には、繊細な細工の入った小さな電子オルゴールがある。
     ソフィアの視線に気付いたらしい。出店の店主らしき中年の男が、気さくに話しかけてきた。
    「お、お嬢ちゃん。気に入ったかい?」
    「は、はい」
     こくりと頷きつつも、その視線はオルゴールに向けられたままだ。ウィルは苦笑した。
    「……手に取ってみさせてもらったらどうだ?」
    「え? い、いいんでしょうか? こ、壊れちゃったりしませんか?」
    「落とさなきゃ平気だろ。……落とすなよ」
     こいつは落としかねないと、念には念を入れて注意をすれば、ソフィアはごくりと喉を鳴らした。自分でも落としかねないと思ってるらしい。
    「き、気をつけます!」
     やたらと緊張した面持ちで、力一杯そう宣言し、ソフィアはオルゴールを手に取って、そっと蓋を開けた。
     喧騒を縫うように優しくどこか切ない音色がオルゴールから流れ出す。聞き漏らすまいとするように、ソフィアはすっと目を閉じた。
    「……綺麗な曲、ですね……」
     教養として音楽に関しての知識もある程度叩き込まれているウィルだが、この曲は知らなかった。
    「それは、駆け出しの音楽家が作った曲なんだよ。どっかのオルゴール職人が、その曲をえらく気に入ってオルゴールにしたんだとさ」
    「そう、なんですか……ステキですね」
     余韻に浸っているのかしんみりと呟くソフィアに、店主はそうだろうそうだろうと頷いてから、笑った。
    「……で、どうだい? 今なら安くしとくよっ」
     雰囲気ぶち壊しである。商売人の魂とはかくも恐ろしい。ソフィアも僅かに笑みを引き攣らせたものの、手の中のオルゴールに視線を落とし、数度瞬いた。
    「えっと……おいくらです?」
    「んー、本当は二万って言いたいところだけど……一万九千でどうだい?」
     ソフィアがきゅっと眉をしかめた。内部の機械や箱の緻密な装飾を見れば、妥当な値段どころか良心的な値段だとウィルは思うのだが、だからといって購入を即決してぽんと出せるような金額ではない。
     更に言えば、ソフィアとしては大市でこんな大きな買い物をするつもりもなかったに違いない。
    「一万九千……うう、手持ちが……」
     案の定な呟きが、ウィルの耳に届いた。
     ウィルはちらりとソフィアを見やる。ソフィアは眉をきゅっと寄せて、真剣な表情でオルゴールを見つめている。よほど欲しいらしい。
     ソフィアがこれほど物に執着するのは、珍しい。
     ウィルは苦笑を零して、顔を上げた。
    「……おい、おっさん。一万九千でいいんだな?」
     そう言って店主に一万九千ぴったりを押し付ける。
    「ウィ、ウィルさん!?」
    「お、彼氏気前いいなぁ! 彼女にプレゼントかぁ!」
     驚いたソフィアと、からかうような店主の声が綺麗に被さった。
    「そんなんじゃねえ! ソフィアもしっかり持ってろって!」
     店主に即座に切り返しつつも、驚きのあまりオルゴールを落としそうになるソフィアへの注意も忘れない。ソフィアは戸惑ったように、数度瞬いた。
    「あ、の……でも……! 悪いです、安いものではありませんし」
     そう言うソフィアの手のひらに乗ったままのオルゴールを、ウィルは一度手に取り――再度、ソフィアの手のひらに置いた。
    「……ふえ?」
    「じゃあ、レンタルってことで」
     口調がぞんざいになった自覚はあった。勢いで購入してみたものの、これは結構照れくさい。先程の店主の言葉が、照れくささに追い討ちをかけている。
    「俺もそれ、気に入ったし。……飽きたら、返せよ」
     視線を逸らしたままそう言えば、ソフィアがふわりと笑った気配がした。
    「……じゃあ、お借りしますね。……ありがとうございます、ウィルさん」
     穏やかな微笑を浮かべたまま。ソフィアはオルゴールを大切そうに両手で包み込んだのだった。

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