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    記憶のうた 後日譚:EVER AFTER  〜Peaceful days (3)〜

    「えっと……あの。……明日、城下町の広場で半年に一度の大市があるの、ご存知ですか?」
     しばし言い淀んだ後、ウィルの視線の圧力に負けたソフィアは、ようやく口を開いた。
    「ああ……そうか、明日だったか」
     時間が合えばお忍びで覗きに行っていたこともあるが、ここ数年はご無沙汰だ。今年に至っては、開催の日時すら忘れていた。
     この大市はかなり大規模なもので、ガジェストール国内の品物はもとより遠い異国の地の品物も出回ったり、意外な掘り出し物があったりもする。それ故に、かなりの盛り上がりを見せるのだ。
     しかも、今回は兄の結婚式兼戴冠式の一月前に開催されるのだ。祝賀ムードも相まって、いつもよりも盛り上がることは必至である。
    「すっかり忘れてたな、そういえば……」
     たとえ行けなくても、日程は把握していたのだが。ウィルがぽつりと呟いた言葉に、ソフィアは小さく苦笑をもらした。
    「ずっとお忙しいですからね、ウィルさん。……息抜きに、もしよければと思ったんですが……」
     一瞬だけ、ソフィアは寂しげに笑う。けれど、それは本当に一瞬のことだった。
    「でも、お仕事は大事ですし、よく考えたら人がいっぱいの場所に行ったら、余計に疲れちゃいますよね」
     そう言うソフィアの口元には穏やかな笑みが浮かんでいて、先程の寂しげな表情はまるで嘘のようだ。
     ウィルは、微かに目を細めた。
     ソフィアは微笑を浮かべたまま、ティーカップを手に取る。
    「すみません。気にしないで下さい。……明日、お土産買ってきますね」
     明るい口調でそう言って、ティーカップを傾ける彼女を、ウィルは黙って見つめていた。

    「あうう……私、何でああなんでしょう……。何で口に出しちゃったかなぁ……」
     三時のお茶の時間は、十五分と決めている。それ以上は、仕事の邪魔になると思って、居座ったことはない。
     ウィルの執務室を出たソフィアは、とぼとぼという表現が似合うような様子で、ある場所に向かって歩いていた。
     この城の中庭の一角にある、通称犬御殿と猫御殿に向かうためだ。
     ウィルが拾ってきた犬・猫達の為の家という、本人も非常識だと認めているものがあるのだが、ソフィアはそこで飼われている犬や猫の世話の役目を与えられているのだ。
     それは当初この城に留まる提案をされた時に、ただ居候することに躊躇を覚え、なかなか首を縦に振ろうとしないソフィアに、ウィルが提案してきたものであった。
     それまでは、城のメイド達が仕事の合間に世話をしていたらしい。それが、ウィルの兄であるアレクの結婚式の日程が決まり、なかなか仕事の合間を見つけることも難しくなってきており、ソフィアに任せたいとの話だった。
     それがどこまで本当なのか、ソフィアには分からなかったけれど。少なくとも、この城にいる理由が出来たことにほっとした自分がいたことは確かだ。
     少しでも、彼の役に立ちたかったから。
     その時、ソフィアはふと顔を上げた。前方から、人の集団の気配がする。
     ソフィアは俯き加減だった背筋を改め、顔を上げて歩き出した。
     通路を歩き、角を折れる。そこで出会ったのは、この国でもそれなりに権力のある貴族達の集団だった。
    「……こんにちは」
     ソフィアは立ち止まって微笑むと、頭を下げる。そのまま通路を譲れば、貴族達は何も言わずに通り過ぎた。――微かな侮蔑の視線をソフィアに向けて。
     それから漏れ聞こえてくる言葉は、どう聞いても褒めているようには聞こえない言葉だった。
     身分が低いにも関わらず、ウィルと友人関係にあるソフィアの存在が、身分至上主義の彼らには気に食わないのだ。
     ソフィアは小さく息をついた。先程、ウィルが言いたかったことはこのことなのだと、想像はついていた。
     確かにこんな状態が続いている現状は、正直に言えば少しだけ悲しい。
     けれど、この城に残ると決めた時に、これくらいのことは覚悟はしていたし、エアリアルでも異端視されていた身ではあったから、耐えられないほどでもない。
     それにウィルをはじめ、ソフィアを気にかけてくれる誰かがこの城にも、この世界にもいる。それは、凄く幸せなことだと、そう思うのだ。
     本当に、たくさんのものを与えられた。目に見えるものも、目に見えないものも。
     それを少しでも返したいと、少しでも目に見える形で彼に返したいとそう思うのは、ソフィアのわがままだろうか。
     そう考えて、ソフィアは小さく苦笑する。
     わがまま、なのだろう。
     ソフィアには国政を手伝えるような能力も――資格もない。
     それに、その役目は生涯彼の隣にいて彼を支える女性のものだとも思うのだ。
     そのことを思えば、微かに胸が痛むのは、ウィルが自分を選ぶことはないと分かっているからだろう。
     それは恋愛感情云々以前の問題で、ウィルは自身の持つ権力の大きさと、それに伴う言葉の強制力を理解しているからだ。
     いつの日か彼の隣に立つのは、そんな権力を持つのに相応しく、王族の名に相応しい、そんな女性なのだと思う。
     その時がきたら、どれだけ覚悟をしていても、ソフィアはきっと泣いてしまうに違いない。
     けれど本当は、こうしてこの国に留まっていられること、そしてこうして毎日彼と会えることだけでも相当の幸運なのだ。
     本当ならば今のところ特に異常はないとはいえ、常に魔力が暴走する危険を持つソフィアはこの場所にはいてはいけないのだと思う。ここにはウィルをはじめ、たくさんの人がいるのだ。万一、魔力が暴走すれば大惨事となるのは目に見えている。
     すぐさま、この城から、この王都から離れるべきだ。――分かっている。それなのにいつまでもウィルの言葉に甘えて、旅立ちの日を延ばしているのは、自分の心が弱いからだ。
     少しでも長く、傍に。そう、願ってしまうから。
     天使だった頃は感じたことのなかった感情を、ソフィアはやや持て余し、小さく息をついた。
     今は、せめて与えられた役目をきちんとこなさなければ。
     中庭に辿り着いた途端に駆け寄ってくる子犬や子猫を目に留めて、ソフィアは無意識に固くなっていた表情をようやく緩めたのだった。

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