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    記憶のうた 第八章:彼女の選択(9)


     久しぶりに全力で、ウィルは走った。
     いくら運動が苦手のインドア派とはいえ、男の足である。それに、ソフィアは持久力はあるようだが、走るのは遅い。この短い距離でソフィアの背に追いつくのに、さしたる時間はかからなかった。
     目の前を走る背に、ウィルは怒鳴りつける。
    「待てコラ!」
    「ひゃああああっ!」
     全力で逃げるソフィアを全力で追うウィル。
     舞台が浜辺だったり夕日が出ていたりすれば、リアが好みそうなベタな恋愛小説の一場面だったり青春ドラマの一ページになったりもするのだろう。
     だが、残念なことに舞台は日中でも鬱蒼とした森で、追いかけっこを繰り広げる二人の様子には甘い雰囲気も情緒の欠片もなかった。
    「なんっで逃げるっ!」
    「追いかけて来るからですぅぅぅっ! ウィルさんこそ、何で追いかけるんですかぁっ!?」
    「お前が逃げるからだろがーーっ!!」
     間の抜けた、しかも終わりの見えない不毛な会話が繰り広げられる。その間も二人は走ったままだ。
    「往生際が悪い! とっとと観念しやがれっ!」
     王子の発言にしてはガラが悪く、しかもどちらかと言えば悪役が言いそうなセリフをウィルは叫ぶ。
    「そういうわけにはっ……!?」
     ソフィアの肩がぴくりとはね、急に足を止めた。緊張して横に視線を滑らせたソフィアのその様子は、ウィルに観念したわけではない。
     そしてウィルには、ソフィアがそういった様子を見せる時に起こる出来事に、覚えがあった。
     がさりと、ソフィアが視線を向けた方向の茂みが音をたて、殺気が走る。それに合わせて身構えるソフィアに、ウィルは反射的に怒鳴った。
    「馬鹿っ! 使うなっ!」
     ソフィアはびくりと動きを止め、ウィルの方を振り返る。
     ウィルは駆けながら右手を腰のホルスターに伸ばすとレーザー銃を抜いた。それと同時に茂みから飛び出してきた二匹の魔物に瞬時に照準を合わせると、二度トリガーを引いた。
     二条の光が、正確に魔物達の眉間を打ち抜き。二匹の魔物があっさりと地面に倒れ伏す。
    「……っ怪我は!?」
     そのままの空いていた残りの距離を詰め、空いた左手でソフィアの手を掴んだ。その手を振り払ってまで逃げようとは思わなかったらしい。ソフィアはその場に立ち竦んで俯くと、無言でふるふると首を横に振った。
    「……そう、か」
     ここまでずっと走り通しだったせいで、呼吸がなかなか整わない。それでも荒い息の中、安堵に息をつく。そうして、若干落ち着いたところで沸き起こったのは、怒りだ。
    「……んの、馬鹿! お前一人で、どうする気、だったんだよっ!?」
     変なところで区切れてしまったのは、息が整い切らなかったせいだ。
    「でも! ……だって!」
     そう言って顔を上げたソフィアの目はやはり潤んだままだ。
     その肩が微かに上下をしているのは、走っていたせいか、それとも激情のせいなのか。
    「私、皆さんを殺そうとしました! 今だって、いつ傷つけるか分からないんです! そんな私に、皆さんと一緒にいる資格なんて……!」
     最後は言葉にならず、息を詰まらせるソフィアに、ウィルは息をついた。
     こうなるとは、思っていた。封じられていた心を取り戻せば、ソフィアは自身を責めるだろうと。
    「……攻撃したのは、お前の意思じゃないだろ。それくらい、全員分かってる。……それに、結局誰も殺せてないだろ?」
    「そんなの、結果論です。皆さんを危険な目に合わせて……!」
    「それは俺達が選んだ結果だろう。……ソフィアが、気に病むことじゃない」
     そう言って、ウィルはソフィアを見る。
    「……届いてたんだ。お前の、逃げろって言葉」
     ソフィアが小さく目を見開いた。その反応に構わず、ウィルは言葉を続ける。
    「だから、一度逃げた。あの時はそれ以外に方法はないと思ったし。……その後、お前を放っておいて逃げる選択だってあったんだ。実際、その方が簡単だったろうな。……けど、誰もそれは選ばなかった」
     分かっていた。ソフィアが心を取り戻せば、それまでに起こった出来事が、彼女を傷つけるだろうと。そのことが簡単に想像がつくくらいには、同じ時を過ごした。
     それでも、ソフィアの意思を確かめたかった。あんな別れ方は納得できなかった。それはウィル達の――ウィルの、エゴだ。
    「危険だって分かってて、ああいう選択をしたんだ。そっから起こったことは俺達の責任だな。……お前が自分を責める必要はない」
     そう言ってから、ウィルはふっと不敵に笑った。
    「ってか、誰も気にしてねぇぞ、そんなこと。それをお前が一人で悩んでどうするんだよ」
    「でも、私……皆さんの運命を変えて……!」
    「ああ。エアリアルで死ぬ予定だったんだっけ? 生きてるな、俺達。さらに運命を変えちまったか。……何か問題あるか?」
    「いえ、問題ないです。……じゃなくて! いえ、生きてるのはいいんですけど! ええっと……!」
     ソフィアの言葉に即座に返せば、ソフィアがうろたえはじめる。何やら必死に反論を考えているようだ。その前に、ウィルが口を開いた。
    「……それに、俺達だってソフィアの運命を変えちまったってことになるんじゃないか? ……こうなるって分かってて、庇ったんだろ?」
     ソフィアには、あの国での将来があった。未来があった。それを全て捨てさせたのも、ソフィアが今危険な状態でいるのも、ウィルが選択をしたせいと言われれば、それまでだ。
     だが、ソフィアはゆっくりと首を横に振った。
    「それこそ、私が選んだこと、ですよ。……以前に罪を犯した時、全て捨てたつもりでいましたし。……確かに、私はあの国でも恵まれていた方でしたし、あのままエアリアルにいれば、平穏に暮らすことは出来たでしょう。……けれど、私はそれよりも、ウィルさん達の方が大事です。あの国では理解されないかもしれませんが、私にとってはウィルさん達が生きている方が何倍も幸せです。……だから、いいんです」
     そう言ったソフィアは、泣きそうな顔で。それでもほんの少しだけ誇らしげに微笑んだ。

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