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    記憶のうた 第八章:彼女の選択(8)


     ユートに腕を掴まれたソフィアの肩が小さく震えるのを視界のうちに留めながら、ウィルは小さく息をついた。
     ユートが止めなければ、ウィルが止めていた。今のソフィアが魔術を使うなど、自殺行為に他ならない。
     肩を落としたソフィアの手を離したユートは、代わりにウィルの左手を掴むと、口の中で小さく呪文を唱える。微かに漏れ聞こえるその詠唱は、治癒術だ。
     淡い光がウィルの手を包み、ゆっくりと傷が塞がっていく。
     ユートが治癒術を使えるとは何だか意外な気もするし、ユートらしい気もする。
     そんなことを思いながら、傷が塞がっていくのを眺めていると、ユートがぱっと手を離した。手のひらの怪我は綺麗に癒されている。
    「ほい、これでオッケー。あ、でも俺様治癒術苦手だからさー、刺激与えると傷口開いちゃうかもだから気をつけてね〜」
    「……了解。助かった」
    「いえいえ〜」
     へらりとした笑みを浮かべたユートは、俯いてしまったソフィアに視線を移した。
    「さぁて、お姫。……俺様が止めた理由、分かる?」
    「……私が、翼を……『フリューゲル』を失ったから……」
     俯いたままのソフィアの返答に、ウィルは昨日のユートの話を思い出していた。
     天使の翼は魔力のコントロールと長命を司る、古代の道具が目に見える形で発現した物。それがなければ、大きすぎる魔力は精神と肉体を蝕み、いずれは身を滅ぼす。そんな状態で魔術を、いや魔力を使うなど危険以外の何物でもない。
    「……それって、どういうこと?」
     昨日の話を覚えていたのだろう。リアが真剣な声音で尋ねてくる。その隣で、ティアが目を細めた。
    「最後の……サイラスの術か?」
     それに頷いたのは、ユートでもソフィアでもなく、ウィルだ。
    「……主の恩恵よ、我らが存在の証よ。ここに還れ。……古代語でそう言ってたと思う。……翼を奪うための術で間違いないと思う」
    「そうだねぇ。お姫にはもう翼はないよ。運命を見る力も、長寿もない。……人間と一緒ってこと」
     ユートの言葉に、ソフィアは俯いたままだ。ソフィアがどんな表情をしているのか、ウィルからも窺うことはできない。
     だが、ソフィアもユートの言葉を否定しなかった。ウィルやユートよりも古代術に詳しいはずのソフィアが否定しないということは、やはりユートの言葉は正しいのだろう。翼を奪われたソフィアに、もう天使たる能力はない。しかし。
    「……魔力は、どうなるんだ?」
     リュカの言葉に、ユートはふっと目を細める。
    「どうもなんないよ。魔力は器に宿るものだから。そのまんまだねぇ」
     緩い口調と、それにそぐわない低い声音。それが余計に事の深刻さを表しているようで、リュカが小さく息を呑む。
    「だから、お姫は今は人の身に扱いきれない、自分でもコントロールできない程の魔力を持った人間なんだよ。……魔術を使えば暴発するかもしれない」
     暴発する可能性がどれだけあるのかは分からない。簡単な魔術ならば使っても大丈夫なのかもしれない。不確定要素ばかりだ。けれど、少しでも危険がある以上、簡単に魔術を使わせるわけにはいかないのだ。
     ソフィアが、いきなり立ち上がる。座ったままだったウィルはその状態のまま、ソフィアを見上げた。俯いたままのソフィアの表情は、この位置になれば簡単に見ることが出来る。
     その顔色は青ざめ、薄紫の瞳は限界まで潤んでいた。それを唇を強く噛んで耐えているような状態だ。
     ウィルは息をついて、立ち上がった。
     ソフィアの表情が再び見えなくなる。代わりに見えるのは、俯いたソフィアの頭頂部だけだ。
    「……ソフィア」
     小さく呼びかければ、ソフィアの肩がびくりと大きく揺れ、足が一歩後ろに下がる。そのまま駆け出しそうな気配に、ウィルは眉をしかめた。
    「……どこに行くつもりだ?」
     さらに一歩、後ろに下がって。ソフィアは顔を上げた。泣きそうに歪んだ瞳は、涙が零れそうなほどに潤んでいるのに、彼女の頬には涙一つ零れていない。
    「だって……! 私、私はっ……!」
     そう言ってソフィアはウィルに背を向けて走り出してしまう。
    「あっ!? 本当に逃げやがった!」
    「よし! 御大! 追っかけるんだ!」
    「俺だけかよ!?」
     そう言って振り返れば、転がっている岩に適当に腰掛けてウィルにひらひらと手を振るユートと、未だ立ち上がる気配のないリア達の姿があった。
    「ほらほら。お嬢達はまだお疲れだし? ここ、魔物の気配するから、お嬢達このままにもしとけないし? 俺様もそこそこ疲れてるし? だから、俺様がここで休みつつ皆を守ってるから、体力有り余ってる御大は、お姫追っかけてちょーだいよ。魔物に襲われたら大変じゃん。生きてなきゃ、魔力の問題だってどうにもなんないし」
     何だか嫌味な物言いに、ウィルはびしりと額に青筋を立てるが、反論しなかったのは確かに一番余力があるのは自分だからだ。
     そしてユートの発言からソフィアの魔力に関しても、手がないわけではないらしいことを察したリア達がほっと息をついている。そのリア達も座っているのがやっとなのだろう。顔色は疲労の色が濃い。
     ウィルは舌打ちをした。
    「あー、もう! 面倒くせーなっ!」
     そう言ってソフィアを追って駆け出すウィルの背中を見て、ユートはにんまりと笑ったあと、ふと遠い目をした。
    「追いかけっこって青春のいちぺえじの定番だよねぇ。若いって、いいねぇ」
    「やぁだ! ユートちゃんってば発言がおっさんだよ〜」
    「むぅ!」
     そう言って笑うリアと強く同意するぽちに、ユートは唇を尖らせた。
    「どぉーせ、俺様おっさんですよ〜」
    「おっさんどころか、じーさんだろっ! 何歳サバ読んでるんだよ!?」
    「おおっ! 言うねぇ、坊や」
    「だからっ! 坊やって言うなーーーっ!!」
     森の奥で、笑い声が弾けた。

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