記憶のうた 第八章:彼女の選択(1)
その日は、とてもよく晴れていた。空を見上げれば、昼間だというのに太陽に負けじと輝いている箒星が見える。
星祭はあの星を讃えて行われる祭りだ。あれ程強い光を放つのだから、エアリアルが讃えるのも頷ける。
そんな取りとめもないことを考えながら、ウィル達一行は街を出たあと、道を外れて青々とした草原を歩いていた。他者を巻き込むことはウィル達にとってもシャノン達にとっても本意ではない。
ちらりと横を歩くティアに視線を送れば、ティアが小さく頷いて見せた。
「ついて来ている。問題ない」
「ああ」
短く返答して、もう一度だけ空を見上げる。ウィルの視線を追って空を見上げたリアが空に輝く箒星を目に留め、いきなり指を組んで目を閉じた。
それを見て、リアの意図が全く分からないウィルが眉をしかめる。
「……こけるぞ?」
「大丈夫だもん! えーっと、ソフィアちゃんが戻りますように、戻りますように、戻りますようにっ」
それは箒星じゃなくて流れ星だ。だが、ウィルは突っ込まず小さく苦笑を浮かべると、ぽんぽんとリアの頭を叩いた。消えない星への願掛けが有効かは分からないけれど、決して適わない願いではないと思う。
目を開けたリアがぷうっと頬を膨らます。その目が子供扱いしないでよ、と訴えている。ウィルはそれをそ知らぬ顔でやり過ごした。
「……そろそろいいんじゃないかな? ウィル。ここなら誰も巻き込まないよ」
リュカの言葉に、ウィルは小さく頷いてユートに視線を送ると、ユートはいつもどおりの緊張感のない顔で笑った。
「俺様いつでもおっけーよ〜ん」
ウィルは思わず半眼でユートを見た。魔族が胡散臭くて嘘くさいというのはシャノンの偏見だと思うが、ユートに関してならそれは正しいと心底思う。
胡散臭いと嘘くさいという言葉がこれほど似合う人物を、ウィルは知らない。
「あはは、御大。こいつ嘘くさいって表情が言ってるよ〜」
「気のせいだろ。……行くぞ」
ウィルはそう言って足を止めた。その他の仲間達も一、二歩遅れて足を止める。ウィルは息を短く吸い、そして口元に不敵な笑みを浮かべると、くるりと後ろを振り返った。
「……せっかくお誘いに乗ってやったんだ。そろそろ出てきたらどうだ?」
その言葉に、僅かに上空の空気が揺らぎ、四つの人影が姿を現す。空気の屈折を変えて姿を隠していたらしい。
シャノンを先頭にその隣に虚ろな瞳のままのソフィアが佇み、背後にステラとサイラスが控えている。
「あら? 先に逃げたのはそっちでしょ? 待たせてごめんくらい言えないの?」
自分の優位を確信しているのだろう。シャノンの声には少しの揺らぎもない。しかしウィルは臆することなく、肩を竦めてみせた。
「待つ楽しみが味わえただろ? 良かったじゃないか」
そう言って外交用の鮮やかな笑顔を見せれば、シャノンもにっこりと笑い返してきた。
「……すごい〜。笑顔なのに空気がブリザードだよぅ……」
「む、むぅぅぅ……」
「や、やっぱりウィルは怒らせちゃ駄目なんだ。……怖っ。笑顔、怖っ」
リアとリュカが何とも間の抜けた会話をウィルの背後でぼそぼそと繰り広げている。
「……それにしても、驚きました。……まさか、この人を置いて逃げるだなんて」
そう言うステラの瞳には微かな軽蔑の色が宿っていた。
「あっさり、見捨てるんですね」
その言葉をウィルは鼻で笑う。
「……そいつに俺たちのことを殺させるつもりのくせに何言ってんだか」
吐き捨てるように言えば、サイラスが不快感を覚えたように顔をしかめて口を開く。
「誘いに応じて出てきたのですから、悔いて大人しく刑罰を受ける気になったかと思えば、その態度。……何を考えているんですか?」
「さあな? とりあえず、簡単に死んでやる気はないんだけどな?」
そして、心無い状態とはいえソフィアの手を汚させる気もない。
その時、シャノンがはっと息を呑んだ。
「魔族!? あんた、何してるの!?」
その言葉にステラとサイラスがはっとしてユートを睨み付けるのと、ウィルが舌打ちするのはほとんど同時だった。
ちらりと後ろに視線を向ければ、ユートが小さく首を横に振る。
ウィルは瞬時に判断を下した。出来れば、誰も傷つけずに穏便に済ませたいのだが。
「ティア! リュカ! 頼むぞ! ……出来るだけ、傷つけるな」
「分かってる」
「まっかせてー!」
ティアが頷き、リュカが剣を抜く。リアを少しだけ下がらせて、ウィルも低く身構えた。
ティアやリュカの実力ならば、本気を出せば、彼らを倒すことは難しくない。――殺すことも。
けれど、そうすればウィル達は紛うことなく罪を犯すことになるし、シャノン達はエアリアルの法に則り職務を忠実にこなしているだけだ。相手を悪だと決め付けることが出来れば、ウィル達も傷つけることに戸惑うこともないのだろうけれど。
それにウィル達が傷ついても、シャノン達が傷ついても、きっとソフィアは心を痛めるから。
だからウィル達に出来るのは、ユートが呪文を唱える時間をひたすら稼ぎ続けるだけだ。
明らかに戦力的にシャノン達より劣るウィルと、威力が高すぎて術の加減が困難なリアは後ろに下がり、ティアとリュカが相手を傷つけない攻撃でもって時間を稼ぐ。
しかし、ユートは古代術を扱えないので、現在使われている魔術で解呪に挑まざるを得ず、さらにユートの魔力はエアリアルにおいては多少の制限を受けているため、いつになるとも知れないが。
かなり、綱渡りな状況であるのはウィルにも分かっている。本当に状況がまずくなったら、決断をしなければいけないことも。
それでも、まだ誰も諦めてなどいない。せめて、彼女の意思を聞きたかった。
ティアが投じたナイフがサイラスの頬を掠めるような距離に飛び、リュカが光気を込めて振るった剣から発された剣圧が、ステラの呪文を妨害する。
こちらに相手を傷つける意思がなくても、相手もかなりの実力者だ。生半可な攻撃では、こちらの身が危うい。
唯一の救いは、天使達に戦闘経験がないらしいことだ。動きは無駄がなく素早いものの、どこか単調で型に嵌った動き方しかしない。ウィルはその動きすらも目で追うのがやっとだが、ティアとリュカも相当の手練だ。特に圧倒されることもなく対処できている。
ウィルは空を見上げ、シャノンとソフィアの様子を窺った。
ソフィアはシャノンの命がなければ特に攻撃を仕掛けるつもりもないのだろう。どこか遠くを見つめたまま、静かに佇んでいる。シャノンはユートの唱える呪文が何なのか見極めようとしてるらしく、視線をユートに固定したままだ。ウィルの動きなど眼中にないらしい。
それでも、ソフィアに攻撃をさせないところを見ると、まだ自分達の方が有利だと思っているのだろうし、事実そうだった。
ウィル達には様々な制限があり、そのことに神経を使っている分、ティアとリュカの消耗は激しいはずだった。そして、彼らの体力は無尽蔵ではない。いずれ、力尽きるのは明白だった。