記憶のうた 第七章:真実の扉(8)
今まで呆然としていたソフィアだったが、シャノンの言葉に弾かれたように顔を上げた。
「そんなこと……出来ません」
ショックが抜け切れていないのだろう。その声は消えそうにか細い。ソフィアのその返答を予期していたのか、シャノンはにっこりと微笑んだ。
「そう? まあ、そうよね。あなたが、あなたのままならそう言うと思ったわ」
その台詞に潜む不穏な陰に、ウィルは眉をしかめる。――嫌な、予感がする。
「あなたの性格なら、きっと同じことを繰り返す。そんなの、簡単に想像がつくわ。……けどね、だったら……」
いつの間に、呪文を唱えていたのだろうか。シャノンの後ろに控えていたサイラスが魔力を解き放った。同時に、ソフィアを白い光が包み込む。
「きゃあああっ!」
「「「ソフィア!」」」
「ソフィアちゃん!」
「むぅ!」
それぞれが名前を呼ぶ中、ユートが微かに眉をしかめ、小さく呟く。
「……これは」
ほぼ同時に、シャノンが微笑んだ。冷ややかに。
「その不必要な心を封じてしまえばいいのよね」
神のためならばどこまでも冷酷になれる一族のその言葉に、ウィルは小さく息を呑む。
「ソフィアちゃん……」
リアが不安げにぽちを抱きしめる腕に力を込め、泣きそうな表情で上空のソフィアを見つめる。
その視線の先で、ソフィアを包んでいた光が、弾ける。光が晴れた先にいるのは、どこか虚ろな瞳をした少女だった。
「……ソフィア!」
堪らずに名を呼んだウィルを、ソフィアは無感情に見下ろす。
名前を呼べば必ず浮かべる穏やかな微笑は見られなかった。それどころか、先程のショックの色も、不安げな眼差しも、何もない。まるで、人形のようだ。
そんなソフィアに、シャノンは無邪気な笑みを浮かべたまま、近づく。
「ソフィアさん。……あなたの久々の使命は、あの者達の死刑執行よ。……出来るわよね?」
「……はい」
いつもの柔らかな声音とは異なる、感情の見えない声が淡々と言葉を発した。
「そんな……」
「……ソフィア」
リュカが青ざめ、ティアが小さく唇をかみ締める。
ウィル達の視線の先で、ソフィアが右手をすっと上げた。手のひらをウィル達の方に向けて。その動作に、ウィルの手が小さく震えた。表面上装っていた平静の仮面が崩れかかっている自覚はあった。
そして、彼女の口から朗々と紡がれるのは、古代の言葉だ。
「こ、古代術? 何の術なんだ?」
焦るリュカの横で、ウィルは一瞬だけ息を整えて気を落ち着かせると、眉間に皺を寄せた。
「……神よ。我が、偉大なる、主よ……汝の、偉大なる、力? ……何なんだ、一体」
その言葉に、ティアが目をむいてウィルを見る。
「……分かるのか?」
「ちょっとかじっただけの、付け焼刃だけどな。しかし、何の術かは分からねーぞ」
術が分からなければ、対処の仕様がない。小さく舌打ちするウィルの横で、ユートが低く身構えた。
「御大は勉強家だね〜。そんだけ分かればじゅーぶん。神聖術のひとつだよ、これ。しかも攻撃系の」
そう言いつつ、魔力を高めはじめるユートに、ウィルは問いを投げかける。
「どんな術か分かるのか?」
「さぁ〜? とりあえず当たると痛い?」
「そんなの言われんでも分かるわ!」
当たっても痛くもなんともない術を攻撃魔術とは言わないだろう。
こんな場面でもふざけた言動を放つユートに、反射的にいつものように切り返す。だが、いつものようなやりとりをしたことで、内心動揺していたウィルに冷静さが戻っていた。
そして、ソフィアの呪文が完成するのと。
『……神聖なる裁きを、彼の者達に与えたまえ』
「見えざる盾、悪意を阻む力よ。堅固たる壁となり、我らを守りたまえ! ……バリア!」
ユートの魔術が発動したのは同時だった。不可視の壁がウィル達を覆うと同時に、幾条もの光の筋が降り注ぐ。びりびりと感じるソフィアの力に、ウィルは背筋に悪寒を走らせた。
ソフィアの魔力の高さは知っていたつもりだったが、抑制なしで放たれる力がこれ程のものとは思わなかった。
地面に突き刺さった光が、あっさりと地面を深く抉る。
「……凄い力だな」
ぽつりと呟いたティアの額に、一筋の汗が浮かんでいる。その隣でリュカがソフィアとウィルを見比べながら、叫ぶ。
「これ当たると痛いどころじゃないよ! まずいんじゃないか!?」
その通りだった。これだけの威力の術に、ユートの魔術がどれだけ保つのか分からない。しかも、むこうはソフィアを抜いても三人いるのだ。どれだけの使い手かは分からないが、少なくとも普通に気配を消せる程度の実力は持っているはずだ。状況は、かなり悪い。
「……あ〜。お姫ってば超強い。あんま保たないかも、これ」
「どどど、どうしよう!? ウィルちゃん!」
涙目のリアがうろたえた声で、ウィルに縋る。ウィルは唇をかみ締め、ソフィアを見た。右手をかざしたまま、何の感情も見せずに術を放っている少女を。
「……ソフィア」
応えが返るはずもないと分かっているのに、無意識に名前を呼んでいた。ここ数ヶ月で、ウィルが一番口にしただろう名前を。
この状況で、零れ落ちるような小さなウィルの声がソフィアに届くはずもない。……だが、ソフィアの唇が微かに動き、声にならない言葉を紡ぐ。
その動きを正確に読み取ったウィルは、舌打ちをすると、意を決して判断を下した。今とれる方策はこれしかない。
「……逃げるぞ」
シャノンに聞かれないよう低く呟かれた言葉に、リアが目を見開く。その拍子に、目尻から涙が零れた。
「ウィルちゃん!?」
「……リア、準備して。攻撃がやんだ瞬間でいいんだよね?」
リュカがリアの腕を掴んで、ウィルに確認を取る。ウィルは小さく頷いた。
「ああ。攻撃がやんだら、バリア解除。全員街まで走れ。他人の運命を変えることを嫌うってんなら、人の多い街中では手出しできないはずだ」
「……っでもっ! どうして!?」
「……このままじゃ、僕らも怪我じゃすまないかもしれない。そしたら、傷つくのは……ソフィアだよ」
リュカの言葉にリアは息を呑み、右手で目元をごしごしとこすると、頷いた。
「……うん」
その会話が聞こえていたかのように、ふと裁きの光が収まる。
「今だっ!」
「走れーっ!」
ウィルと、リュカの声が重なった。リュカがリアの手を引いたまま、勢いよく駆け出す。
「あっ!? 逃がしません!」
ステラの声と続く呪文詠唱を背後に聞きながら、ウィルは手早くホルスターからレーザー銃を抜くと、エネルギーカートリッジを交換した。
先程のソフィアが使った古代術よりも簡易のものなのだろう。ステラの短い呪文詠唱が発動したのを感じて、ウィルは上半身だけを後ろに捻ると、地面に向けてトリガーを引いた。
まだ開発中の魔術を封じたエネルギーパックだ。以前にも使用した防御魔術が封じてあるものである。天使の力にどこまで保つかは分からないが、使わないよりはマシなはずだ。
同時に、ティアが鋭い動作で背後に向かって何かを投げる。
「後ろを見るなよ」
ティアの短い忠告に素直に従い、全力で駆けるウィルの背後で、眩い光が弾けた。閃光弾だ。それに続いて、背後で大きな爆発音が響き何かにひびが入るような音が聞こえたが、ウィルは一切を無視した。
今は何も考えずに、ただ街に逃げ込むことだけに全力を使わなければならない。
そう思うのに、脳裏を掠めるソフィアの最後の言葉に、ウィルは唇を固く噛み締めた。
――……ウィルさん、逃げて。
彼女の唇は、確かにそう動いた。
こんな状況になっても、最後に残った彼女の心は、まだ。自分のことではなく、ウィル達の無事を願うのだ。