記憶のうた 第七章:真実の扉(1)
ウィルは、今しがた出てきたばかりの白い建物を振り返った。
プレハブよりも少しだけ上等な小屋。その向こうに聳え立っていたはずの山々が見えない。
「……ねえ、ウィルちゃん。ちょっと聞きたいんだけど……」
「何だよ?」
辺りをきょろきょろと見回していたリアの声に、ウィルは小屋から目を離さぬまま応じる。彼女の質問にはだいたい想像がついた。
「あたし達……さっきまでガジェストールにいたよねぇ?」
「いたねぇ」
のんびりとした口調で応じたのは、ウィルではなくユートだ。だが、リアはそのことを気にした風もなく、そうだよねと頷く。
「あの白い建物に入って……まっすぐに歩いて、扉を出ただけ、だよね?」
「むう!」
リアの言葉に同意するように頷いたのは、リアの腕の中に納まっているぽちだ。
確かに、そのとおりだった。『トア』の設置場所に一番近い村で一晩を過ごしたウィル達は、入国可能な時間になるとまっさきに『トア』のある場所に向かった。そして、その場所にあった控えめに言っても立派とはいえないこの建物に入り、そのまま扉を潜り抜けた先が、現在地だ。
ガジェストールにある建物に入って出ただけ。だから、普通に考えればここはガジェストールのはずなのだが。
「じゃあ……あの小屋から見えてた山はどこ行ったの〜!? あれ!? 山って動くっけ!?」
「動くか、アホ! 移動したのは山じゃなくって俺達だっ!」
ウィルの言葉に、パニックになりかけていたリアと足元の小さな花を見下ろしていたリュカが同時に首を傾げた。
「ええ〜っ?」
「えっと、それどういうこと? 僕にはさっぱり……」
リュカの言葉に、ウィルは息をついて白い建物を見た。
「俺達がいるのは、ガジェストールじゃない。もうここはエアリアル国内なんだよ」
「「ええーっ!?」」
再び、リアとリュカが同時に反応する。この二人の息の合い方は、本当に兄妹のようだとウィルは思った。
「え? え? で、でも……『トア』は? それを使ってエアリアルに行くって……」
「ああ。だから、あの建物自体が『トア』なんだろ」
そう言ってソフィアに視線を送れば、ソフィアが小さく頷いた。
「はい、恐らく。魔力の流れを感じましたから」
「そうだね〜。ちょっとぐにょーんとした魔力で気持ち悪かったけど〜」
「確かに……ちょっと変な感じでした」
ソフィアとユートの言葉に、全員の視線が白い小屋に向けられる。やはりどこから見てもプレハブよりちょっとだけ上等な小屋くらいにしか見えず、転移魔術の施設などという大層な物には、とてもではないが見えない。
「だから、ガジェストールに生えてるはずがない花があるのかぁ。……でも……この、プレハブ小屋が?」
残念そうな口調でリュカが呟いた。エアリアルへの移動手段がどんなものか期待していたらしい。
「ああ。……残念ながらな」
ウィルだって少しは期待していたから、リュカの気持ちは痛いほどに分かった。
「え〜っ!? 何かかっこ悪〜い」
リアの一言が、全員の心を代弁していた。
プレハブ小屋――もとい、『トア』から少し離れた場所に、バスの停留所があり一台のバスが止まっていた。
何の感動もなくあっさりとエアリアルに入国した彼らは、とりあえずそのバスに乗り込む。このバスが最寄の街まで連れて行ってくれるのだ。
目に見える場所にエンジンの収納箇所もなく、運転手すらいないその乗り物に、ウィルは眉をしかめた。
このバスもどうやら魔力で動いているようだと見当はつくものの、それ以上のことがウィルに分かるはずがない。分かっているのは、現在使われている魔術でここまで大きな乗り物を遠隔操作で動かすことは不可能だということだけだ。
「ねー、ウィル〜」
村で買っておいた牛乳にストローを刺しながら、リュカが問いかける。
「何だよ?」
「ずーっと疑問に思ってたんだけどさ……。何でエアリアルって地上から見えないんだ?」
その疑問に、ウィルは片手でタブレットコンピュータを弄り、エアリアルでも使用可能だということを確認しつつ、答えた。
「俺が知るか」
「え? 何で? ウィルの情報って実はたいしたことないの?」
あまりに失礼なリュカの物言いに、ウィルは無言で睨みつける。
「……すみません」
年上のはずのリュカは素直に謝った。
「……魔術で結解を張ってるんじゃないかって説はあるけどな。けど、俺達の知る魔術で一国を包み込んだ上、見えなくさせるような魔術なんて存在しないし、不可能だ。……しかも、鎖国してるから情報も碌に流れてこないし」
ウィルはタブレットコンピュータをポケットに押し込んで、息をつく。この分なら、持ち込んだノートパソコンも使用可能だろう。この国でどこまで役に立つかは分からないけれど。
「それに……この国、地上より随分技術が進んでる。いくらなんでも、俺達より進んでいる国の技術を何の知識も情報もない状態で解析なんて出来ねーし」
「なるほどな」
女性三人で後ろの席を陣取ったらしい。後ろからのティアの声に、ウィルは頷いて窓の外を眺めた。
いつの間にか動き出していたらしいと、流れる景色で始めて知る。あまりに静かに動くので気付かなかった。こんな技術は、地上のどこを探してもないだろう。
正直に言って、情報が少なすぎる。この状態で、この国で、何が出来るというのか。何も出来ないのではないか。そんな不安がないわけではない。
だが、出来ることをやるしかないのだということも、分かっていた。
ウィルは、思考をまとめようと目を閉じる。
ユートがバスの停留所にあった無料のパンフレットをめくり、後ろでは女性陣がお菓子の袋を開けている。まるで、ピクニックだ。
そう思って苦笑を浮かべ、ふと疲れを感じた。
兄に出立を許されてから今まで。調べ物やら何やらで、実は碌に睡眠をとっていなかったのだから、無理もないかもしれない。
ぼんやりとそんな事を考えながら。抗えない睡魔に、ウィルは目を閉じた。