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    記憶のうた 第六章:帰る場所(14)


     ウィルがソフィア達を犬・猫御殿に案内してから二週間。そして、ウィルがここに帰ってから一ヵ月半が過ぎた。
     この二週間は輪をかけた忙しさで、ソフィア達とまともに顔を合わせたことはないに等しい。
     一人廊下を歩くウィルは周囲に誰もいないことを確認してから、凝り固まった首を鳴らした。このような王子らしくない動作は、周りに人がいる環境では絶対に出来ない。
     今は、アレクシスに呼ばれて彼の執務室に向かう途中だった。
     用件ならばメールで済むのに、直に会って話したいらしい。
     また機械に何かあったのかと勘繰ってしまうウィルに、罪はないだろう。兄の機械音痴っぷりは半端じゃないのだ。自信を持って使える機械はと尋ねれば、ウィルが一週間必死で教え込んだパソコンのメール機能と自動販売機とインターフォンと答える人なのだ。
     後ろ二つは何かが違うと思うのだが、突っ込むに突っ込めなかったのは別の話だ。メールが出来るだけでも随分と進歩している。少なくとも、幼い頃のようにセバスチャンや伝書バトが活躍することはもうないのだから。
     兄の機械音痴が原因の騒動をあれこれ思い出し、ウィルは密かに息をついた。
     星祭までは二週間を切っているから、そろそろ旅を再開したいところではある。
     執務室に辿り着いたウィルは、敬礼する兵士に手を振って楽にするように伝えてから、扉の横のパネルに触れた。
    「兄上。ウィリアムです。ただいま参りました」
    「ああ、ごめんね。ウィル。入っていいよ」
    「……失礼します」
     音をほとんど立てずに開いた扉から執務室に入れば、そこには見知った顔がいくつもあった。
    「……ソフィア」
    「ウィルさん……」
     ティーポットをことんと置いたソフィアが、淡く微笑む。
    「あ、ウィルも座って。いや〜、ソフィアさんってお茶入れるのが上手だね。アデルや母上に物凄い自慢されて羨ましかったんだけど、ようやく願いが叶ったよ」
     アレクはソフィアを始めウィルの仲間達と、執務室に配置された休憩用のテーブルでお茶会をしていた。
    「あー、ウィルちゃんだー!」
    「御大、おっひさ〜」
    「……茶菓子も美味いぞ。食べるか?」
    「あ、それはティアが食べなよ! お菓子なら僕のあげればいいから!」
     口々にしゃべる面々は、騒々しい。ウィルは眉をしかめつつ、空いている席に着いた。
    「はい。ウィルさん、どうぞ」
    「ああ、悪い」
     ウィルの前にティーカップを置くソフィアにそう言えば、ソフィアはいいえと微笑んだ。
     いつも通りのソフィアの様子に、ウィルは何とはなしに安堵した。
     犬御殿でのあの空気を引きずっていると、正直厳しい。再会が二人きりではなくてよかったと思った。
    「……で、何の用ですか? まさか、お茶会が用ってわけじゃありませんよね?」
     ソフィアが座ったのを見計らってから、ウィルは口を開く。
    「まさか〜。しないよ、そんなこと。ウィルが忙しいのは、私も知っている。……仕事、随分前倒ししてやってるみたいだね?」
     ティーカップに口をつけて、アレクがにっこりと笑う。ウィルもティーカップに口をつけて、小さく息を吐いた。
    「……ええ、まあ」
    「じゃあ、そんな頑張り屋のウィルに朗報だ。……エアリアルへの入国許可が下りたよ。星祭の開催期間は一週間だけど、エアリアルへの出入国は祭の前後一週間から認められているから……。一週間後には入国が可能になる」
     アレクの言葉に、ソフィアが顔を上げた。
    「兄上……」
    「あれだけの仕事量をこなして、時間を作ろうとしているくらいだ。……ウィル、また城を出る意思は変わってないんだね?」
     その言葉に、視界の端でソフィアが小さく反応を示した気がしたが、ウィルはアレクをまっすぐに見て、頷いた。
    「――……はい」
     継承権第二位とはいえ、ウィルもこの国の王子だ。背負う責任も公務があることは重々承知している。そして、つい先日兄の結婚式の日取りが決まった今となっては、城を出るタイミングでもないと分かっている。……それでも、ウィルの意思は変わらなかった。
     ウィルの視線を受けて、アレクはくすりと笑う。
    「……本当に、いい顔をするようになったなぁ、ウィルは。少し、羨ましいよ」
    「……兄上?」
    「いいよ、行ってきて。……帰って来た時、また仕事が凄いことになってるとは思うけど」
     にこにこと笑顔のままのアレクに、ウィルはうっと詰まる。その様子に小さく笑ってからアレクは真剣な声音で続けた。
    「けれど、これが最後だよ、ウィル。星祭から戻って来たら、さすがにもう旅を許してはあげられない。……結果が、どうであっても」
     先程までの言葉と笑顔は兄としてのもの。今の言葉は次期国王としてのものだ。ウィルはすっと居住まいを正し、しっかりと頷く。ウィルのまとう空気も、変わっていた。
    「……分かっています」
     アレクとウィルの間に漂う真剣な空気に、ソフィア達は小さく息を呑む。それを打ち消すように、アレクは兄の顔に戻るとにっこりと笑った。
    「気をつけて行っておいで、ウィル。皆さんもどうか気をつけて」

     自分の執務室に戻ったウィルは小さく息をついた。出立の許可はもらったものの、仕事の引継ぎなどは行わなければならない。さすがに今日の明日で出発をするのは難しいから、この城を出るのは早くて明後日になるだろう。
     そんなことを考えながらも、パソコンを立ち上げて、届いているメールのチェックを始めた。
     それとほぼ同時に、室内に電子音が響き、同時に軽い調子の声が聞こえた。
    「おーんたーい。あーけーて〜」
    「……何やってんだ、お前は」
     ウィルは額を押さえると、手元のボタンで扉のロックを解除する。音も立てずに開いたその先に、ユートが気の抜けた笑顔を浮かべて立っていた。
    「おっじゃま〜」
     遠慮の欠片もなくずかずかと入ってくるユートに、ウィルはパソコンの画面に視線を走らせたまま尋ねる。
    「何だよ。何か用か?」
    「用がなきゃ来ちゃダメなの? 俺様と御大の仲じゃなーい」
    「どんな仲だっ!? そんな気持ちの悪い仲になった覚えはない!」
     恋人同士か何かを連想させるような言い回しに、ウィルはぞわりと悪寒が走るのを感じつつ、即座に返す。
    「あはは〜。だよねー。まあ、腐った冗談はさておいて〜」
     自分で言っておいて自分で肯定し、ユートは底の知れない笑顔を浮かべた。
    「御大にちょこっと聞きたいことがあってね〜」
     微かに真剣みを帯びたユートの声音に、ウィルはちらりと視線を上げる。
    「……何だよ?」
     ユートは表情を真剣なものにして、言った。
    「御大の好みのタイプについて……」
    「帰れ!」
    「やーだな〜。じょーだんじょーだん。……御大は、自覚したよね? お姫への好意」
     反射的に怒鳴ろうとしたウィルは、ユートの表情を見てそれを押しとどめた。
    「……だったら、どうした」
    「どうもしないよ〜。うまくいったら面白いなーとは思うけど。……お姫は、気持ちを抑えようとしているように見えるから、どうなるかは俺様にも分かんないし」
     そう言って、ユートは再び底の知れない笑みを浮かべた。
    「何でだろうね? 御大は、分かる?」 

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