記憶のうた 第六章:帰る場所(1)
天上国・エアリアル。その名の通り、天に浮かぶ大地にあるこの島国は、神と神に仕える者である天使達の国である。およそ五百年間外部との接触をほとんど絶ち、鎖国状態のこの国の存在は、一般的にはほぼ伝説と化していた。
しかし、一般的には知られていないものの、エアリアルは完全に交流を絶っているわけではない。国家の上層部のものは少なくとも数年に一回は外交で天使たちと会う機会があるし、それに。
エアリアルには大体的に告知はしないものの、三十年に一回、エアリアルに伝わる伝説に基づく祭事が行われる期間だけ、その固く閉ざされた門戸を開放するのだ。
エアリアルの大地はある巨大な彗星がこの空を翔けたときにこぼれた欠片が集まって出来たのだという伝説から、その彗星が空に輝く期間に行われる星を称える祭事は、通称星祭といわれる。
その星祭が行われる期間だけエアリアルの入国規制は緩まり、通常よりも簡単に入国することが出来るのだ。それでも、困難なことに変わりはないのだが。
まず、エアリアルへの道が開かれるのがガジェストールとクラフトシェイドの二国しかないこと。昔、ガジェストールとクラフトシェイドの国民にしか門戸を開いていない時期もあったという話だから、その名残だろう。
そして、エアリアルへの入国には入国料、祭への参加料を含め、一般人では簡単に手が出せないような額のお金と複雑な手続きが必要となるのだ。
一般人がエアリアルの地を訪れることが困難である、という事実は変わらないだろう。
それでも。完全に門戸を閉ざしているエアリアルに入国するまたとないチャンスであることには変わらないのだ。
「……そんなわけで、ガジェストールに向かおうと思う」
風邪を引いて高熱を出していたソフィアも完全に復活し、旅を再開する当日。朝食の席で、ウィルはきっぱりと言った。
全員の視線がウィルに集まる。
「え? ……どーゆーこと?」
りんごジュースに伸ばしていた手を止めてリアが首を傾げると、リアの膝の上のぽちも同時に首を傾げた。ぬいぐるみが動力もないのに動くという怪奇現象にすっかり慣れてしまっていたが、何故動くのかは未だに謎のままだ。
「お前……人の話、聞いてたか?」
ウィルに冷ややかな視線を送られたリアはぷうっと口を尖らせた。
「聞いてたけどぉ〜……」
「でも、ウィルらしくないよね。星祭に行きたいからガジェストールに行くってことでしょ?」
リアの言葉を継いだのはリュカだ。ホットミルクのカップをテーブルに置きつつ隣に座るティアにねぇ、と同意を求めれば、今まさにチョコチップメロンパンを頬張ろうとしていたティアもこくんと頷いた。
「……確かに」
トーストの耳だけを残してトーストを齧っていたユートが、おもむろににやりと笑う。
「あ、分かった! 御大ってばホームシックでしょ〜? お家に帰る口実が欲しいんじゃ〜ん?」
「わーい。ウィルちゃんの寂しがり〜」
「がり〜」
何故かはしゃぐリアと悪ノリするユートに、ウィルはこめかみをひくつかせながら反射的に切り返す。
「違うっ!」
否定してから、そういうことにしておいたほうがよかったのではないかと思ったが、後の祭りだ。否定してしまったものは仕方がない。
「……でも、この旅の目的ってソフィアが装備しちゃったっていう呪いのアイテムを外すための古代術探し、だろ? ……何でエアリアル?」
リュカの言葉に、カップスープをかき混ぜていたソフィアが顔を上げる。迷うような表情に気づいたのは、ティアだ。
「……どうした、ソフィア。まだ具合でも悪いのか?」
「あ、もう元気です! そうじゃなくてですね……あの……」
ソフィアの視線が左右に泳ぎ、ウィルを見て止まる。
彼女の記憶が指輪によって封じられていることは、ウィル以外の誰も知らない。別に知られて困ることではないから、ソフィアの心の問題だ。
「……エアリアルに行くのって、幻妖の森の魔跡でのお姫の様子に関係あるのかなぁ?」
軽い口調でいきなり切り出したのはユートだ。この得体の知れない男は、のんびりとした口調で事態の核心を突いてくるから、なかなかに油断できない。
ウィルはちらりとソフィアに視線を送ると、ソフィアは意を決したように顔を上げ、ウィルに小さく頷いて見せた。
「……これだけ皆さんにお世話になっていて……黙っているなんて、失礼ですよね」
自身に言い聞かせるような口調で、ソフィアは呟いた。
「皆さんに……隠していた事があります」
ソフィアの真剣な声音と陰りを帯びた表情に、リアがぴっと姿勢を正す。
「私には……過去の記憶がないんです。正確に言えば、この指輪に刻まれた忘却術で記憶が封印されている状態です。この旅は……忘却術を解呪するための旅なんです」
ソフィアの告白に息を呑んだのは、誰だったのだろうか。
周りの騒がしさに消されそうになりながらも、ソフィアは言葉を紡ぐ。
「黙っていて……すみませんでした。こんな変な状態なので、伝えるのが怖くて」
本当にすみません、と深々と頭を下げるソフィアに、リアとリュカが慌てた。
「そんなっ! 謝らないでよ、ソフィアちゃん!」
「そうだよ、ソフィア! 悪いことをしたわけじゃないんだし! ね。ティア!」
「……そうだな。それに、ソフィア。私にも皆に語れないことは……たくさんある。だから、ソフィアに語れないことがあっても、無理はないと思う。だから、気に病むな」
ティアの言葉に、ティア第一主義のリュカがうんうんと力強く頷き、ユートがお気楽にぱたぱたと手を振った。
「そうそう。気にしない、気にしな〜い」
ソフィアは顔を上げて全員を見回すと、ほっとしたように微笑んだ。
「……はい。皆さん、ありがとうございます」
特殊な状況にいるソフィアが拒絶されなかったこと、受け入れられたことに何となく安堵している自分に、ウィルは気付く。
他人をここまで気にかけるようになった自分の心境の変化に、心の中で苦笑を零した。