BACK INDEX NEXT

    記憶のうた 第五章:真実の行方(9)


    「……ソフィア?」
     ウィルはそっと呼びかけた。このまま話を続けさせるのはまずいような気がする。混乱し、傷つくことを繰り返していれば、いつか心が耐え切れなくなって、壊れてしまうのではないのだろうか。
     ソフィアの過去を取り戻すことが旅の目的ではあるが、その為に彼女の心が壊れてしまっては意味がない。
     ふと、ウィルは視線を先程から放置したままのノートパソコンに移す。パソコンの画面には、目の前の天使像の液晶に表示されたものと同じような画面になっている。異なるのは、ノートパソコンの方は解析ソフトを通しているため、ウィル達が使っている文字に置き換えられているという一点のみ。
    「……ウィル、さん……」
     寒いのだろうか。先程ウィルが貸した上着を胸元でかき合わせながら、小さな声でソフィアが呼ぶ。
     視線だけをソフィアに向けると、ソフィアは天使像の液晶を凝視していた。
    「右下……シュピーゲルの……鏡のところ……」
     途切れ途切れのソフィアの言葉に、ウィルは視線をノートパソコンに戻した。右下の部分に確かに『鏡』という項目がある。そこにカーソルを合わせ、エンターキーを押すと、画面が変わった。
    「警告文? ……この部屋の災厄は止まることを知らず。災厄の停止を望むならば、この先に進め。しかし、この先に進めばさらなる脅威が舞い降りるであろう?」
     画面に表示された文章の下に、エンターという文字が点滅を繰り返している。ウィルは思い切り眉をしかめた。
    「災厄ってのは……キメラのことだよな。つまり、このエンターボタンの先に進まなきゃ、キメラは延々と出てくる。でも、この先に進んだらもっと厄介なもんが現れるってことか」
    「……はい。恐らく……」
    「ユートも言ってたが……この魔跡造ったやつ性格悪ぃな、本当に!」
     ウィルは忌々しげに舌を打った。
     かと言って、選択肢は一つしかない。たとえ相当の手練であっても、体力は無限ではないのだ。
    「……――押すぞ!」
     ウィルは迷わずにエンターキーを押した。同時に表示画面が変わり、呪文のような文章が表示される。
    「鏡の開放の、呪文? ……っ!?」
     最初の一文を読んだと同時に、悪寒が背筋を走り、ウィルは慌てて振り返った。
     どこから現れたのだろう。背後に、四つの目を持つ黒い狼のような魔物がいた。先程のキメラ達よりも小さいが、その存在が放つ殺気は、キメラ達とは比べ物にならないほどに強い。
    「ウィルさん!」
    「……動くんじゃねぇぞ。……まぁ、何とかなるだろ」
     言いつつ立ち上がり、レーザー銃を構える。しかし、正直に言って勝算はない。ウィルの持つレーザー銃は最新式のものでエネルギー調整機能もついており、そこら辺にいる魔物ならば一撃で仕留められるものだ。しかし、これほどの魔物を相手にすることなど想定されているわけがない。
     あくまで一般的な武器の範疇に入るこの銃では、出来て足止めが精一杯だろう。
     そして、ウィルは自身の戦闘能力のことも性格に把握していた。自分がこのパーティーの中で一番弱いことも。
     それでも時間稼ぎ程度の能力はあるはずだ。その間に誰かがキメラを倒し、こちらに駆けつけてくれればあるいは。
     少なくとも、ソフィアの生存確率は格段に跳ね上がる。
     そう考えて、ウィルは僅かに苦笑した。自分にしてはえらく不確定要素の多い考えだ。
    「でも……! こんな相手……無理ですっ」
    「いいから! 調子悪い奴は下がってろ!」
     後ろを振り向かないまま、ウィルは叫ぶ。目の前の魔物の放つ気配に、冷や汗が滲んだ。
    「でもっ……そうです、『シュピーゲル』!」
     そう言ったかと思うと、聞きなれない言葉を紡ぐソフィアの声が響く。先程画面に表示された『鏡の開放』の古代術なのだと気付く。
     魔物の足がじりっと開くのを、ウィルは息を呑んで睨みつける。目の前の魔物から目が離せない。隙を見せれば、終わりだ。そんな確信がある。
     瞬間、背後で光が弾けた。
    「ウィルさん! これを銃に!」
     覚束ない足音と共に、ソフィアがウィルの傍らに立つ。その手に握られていたのは、鏡だった。
    「……んなもん、どうしろってんだ! エネルギーカートリッジならともかく!」
     手渡された鏡を左手で受け取りつつそう言うと、鏡が光を放った。一瞬、ウィルを虚脱感が襲う。そして、ウィルの手の中には見覚えのあるカートリッジが握られていた。
    「……は?」
    「これは『シュピーゲル』。……鏡なんです。心を映す、鏡。そして、魔術を反射する鏡」
     訳が分からないながらも、ウィルは手早くエネルギーカートリッジを交換した。どちらにしてもこのままでは勝てない。ならば試してみる価値はあると、そう思った。銃を握る右手に、ソフィアがそっと手を添える。
    「レーザーって……光、ですよね?」
    「……ああ」
    「分かりました。……ぎりぎりまで、ひきつけましょう」
     そう言いながら微笑むソフィアの顔色は、まだ悪い。呼吸も微かに浅いようだ。
    「……――分かった。任せる」
     短いその言葉に。ソフィアは一瞬嬉しそうに微笑み、すっと目を伏せた。

    BACK INDEX NEXT

    Designed by TENKIYA
    inserted by FC2 system