とりあえず、ソフィアに椅子を勧めウィル自身はベッドに腰掛けた。
「……先に、報告をしておきますね。魔術図書館は、駄目でした」
「やっぱりな。……ティア待ちだな」
そう呟けば、ソフィアの表情が曇る。
「……何だ、その反応」
「その……お伺いしたいのは、ティアさんのことです」
ソフィアの言葉に、ウィルは嫌な予感がした。
「ヴァルキュリアが、戦場で死者を定める存在……戦死者を選ぶ女性であることを思い出したんです。……白のヴァルキュリアって、二つ名ですよね? ウィルさんが、ティアさんたちの同行について詳しい説明を避けたのは……ティアさんが裏の世界の、いえ元・裏の世界の人だから、ですか?」
ソフィアの言葉に、ウィルの表情が険しさを帯びる。
「お前……調べたな?」
「はい。魔術図書館に行くついでに。……何か変だなと思ったので、覚えている単語から、色々。……探し方が駄目だったのか、分かったのは一年半程前、白のヴァルキュリアの所属する組織が壊滅したこと、白のヴァルキュリアが手を下した可能性が高いこと、だけでしたけど……。これだけ分かれば、十分です」
ウィルは、小さくため息をついた。ソフィアのこの行動は想定外だった。この少女がこんなに行動派だとは思ってもみなかったのだ。
「ウィルさんなら、私より詳しい情報を得ているはずです。それをティアさんに暗に示し、ばらさないことを条件に裏の世界の情報網で、魔跡の情報を収集してもらう。……過去を知られた以上、ティアさんはウィルさんを監視する必要があるから、同行を申し出る。近接戦闘要員がいない私達にとっては、願ったり叶ったりです」
「分かってるじゃねーか。……なら、分かるよな? 今回の件は、情報の秘匿性が鍵だ。何で俺に言う? 知らない振りしてるのが一番じゃねーか」
そうなのだ。ウィルが仲間にすらこの情報を洩らしていないというのが、この交渉の鍵なのだ。もし、それが破られれば、代償は。
「分かってます! 何回も自分に言い聞かせました! 落ち着いて、今度こそ間違えないようにって! ……でも、私が当事者なんですよ? なのに、何でウィルさんが命懸けてるんですか!? おかしいじゃないですか、そんなのっ!」
ソフィアが、睨みつけるような険しい表情で、ウィルを見る。ソフィアのこんな表情を見るのは、初めてだった。
「……気付いてたのか」
ウィルは深く息を吐いた。ソフィアの言うとおりだった。
「気付かないわけないです。この交渉はウィルさんが情報を洩らさないことが前提です。……それが破られれば……いえ、破らなくても、ウィルさんがその情報を持っていることで不都合が生じれば、殺される。……そういうことでしょう?」
その通りだ。だから、ソフィアにもリアにも伝えなかった。なのに、ソフィアが知ってしまった。
「すみません。ウィルさんのしたことを無駄にしてるって、分かってるんです。……でも、知らない振りなんて出来ないです。もし……もし、ウィルさんがって、考えたら……私……」
ソフィアの肩が小さく震えているのに気付いて、ウィルは困ったように視線を泳がせた。
何か声をかけたほうがいいのだろうが、何て声をかければいいのか、見当もつかない。
「……ソフィアには、ティアが自分に不利になったらすぐに俺を殺すような人間に見えるのか?」
考えた末に出たのは、そんな言葉だった。ソフィアが、真面目に考え込む。
「リュカと一緒にいるティアが……ぽちを可愛いとか悪趣味なこと言って、甘いもん頬張りまくってたティアが、そんな人間だと感じたか?」
「……いいえ」
「じゃぁ、次。……俺がちゃんと死なない状況を頭働かせて作ってるって言ったら、信じるか?」
「はい、それは当然……。って、え……?」
ソフィアの顔色が、変わった。
「……そうですよね。ウィルさんなら……こういう状況でも、大丈夫ですよね。やっぱり、私……間違えたみたいです……」
そう言って、ソフィアが肩を落とす。だが、彼女の行動はウィルを心配してのものだ。やっぱり周りが見えてないようではあるけれど。ソフィアから向けられるその気持ちは、決して不快なものではない。
「……ど、どうしましょう。ティアさんに言ったほうがっ」
いきなり落ち着きをなくすソフィアに、ウィルはちらりと頭上に視線をやった後、こつりと額を叩いた。
「落ち着けって。ティアはお前が知ったことを知らないのに、わざわざばらしてどうすんだっつの」
「あ……で、でも」
「いいから。お前は知らない振りしとけ。俺がどうにかする。それとも……信用できねぇか?」
意地悪くそう尋ねると、ソフィアは何度か瞬きをしてから、笑った。まるで、花が咲くかのように。
「いいえ。信じています、誰よりも。……お邪魔してすみませんでした。私、そろそろ失礼しますね」
「……ああ」
ソフィアからの言葉と笑顔に、ウィルは小さく息を吐いた後、右手で口元を押さえた。一瞬、心がさざめいたけれど、今はそれどころではないと、目を閉じてやり過ごす。
そして。
「聞いてたんだろう?」
窓の外に声をかけると、ウィルの言葉に応じて、開いていた窓からティアが滑り込んできた。
「……よく気付いたな。気配は消してたはずだが」
「ソフィアがティアに言ったほうがって言った時、気配が乱れただろ。その時に気付いた。普段はソフィアの方が鋭いんだが……」
「動転していたんだろう。気付かなくても仕方がない」
ウィルは微かに苦笑を浮かべ、ティアを見た。
「……で? どうするんだ?」
「別に。あの子は何も知らない、ということなんだろう? ……なら、状況は変わらない。私はウィルを監視するだけだ」
淡々とそう述べるティアに、ウィルは軽く頭を下げた。
「悪いな」
「構わない。私も出来れば殺したくはないんだ。……それにしても、これは疑問なんだが。ウィル、お前は私の情報をどこで手に入れた? 裏の世界の者ではないのだろう?」
そう言いながら、ティアはウィルに資料を手渡す。ウィルはそれに目を通しながら答える。
「ちゃんと健全な方法で情報収集した結果だ。……情報集めんの得意なんだよ。一年半前に、結構話題になったからな。興味覚えて、データに残してた。……っても、今までずっと忘れてたけど。ティアの容姿見て思い出した」
「情報が……入り乱れていたはずだが」
「まぁな。情報の虚偽を見分けるのも……まぁ得意だし。あとは単純に推測」
言いながらも、ティアの情報を思い出す。
ファーストネームと二つ名が裏の世界では有名なのが、ティアだ。彼女はその瞳の色を不吉とされ、捨てられた孤児だったという。それを拾ったのが、のちに彼女が壊滅させることになる組織である。
彼女は、そこで組織員として育てられた。そして、一年半前のある事件が契機になり、彼女は自分が育った組織をこの世から消し去ったのである。……その事件は。
「……お前たちは、面白いな」
ティアのいきなりの言葉に、ウィルの思考は打ち切られる。
「は?」
「私が何者か知って取引を持ちかけたウィルも、私が人を殺すようには見えないと言ったソフィアも。……興味深い」
そう言ったティアは、珍しくそうとわかるほどに微笑んでいた。
「褒め言葉として受け取っておくよ」
「そうしてくれ。……安心しろ。よほど追い詰められなければ、殺すことはない。絶対に」
「ああ、信用してる」
「とりあえず、今日の分の情報はそれですべてだ。では、私はこれで失礼する。……これから、リュカと向かいの甘味処でフォンダンショコラを食べる約束をしているんだ」
「はいはい。お好きにどーぞ」
そうして窓から出て行くティアを見送ったウィルは、はっと気付いた。
フォンダンショコラは、チョコレートの甘いお菓子だ。
「……甘いもんばっか。どういう腹してんだ、あいつ……」
呆れたような呟きが、さして広くない部屋に響いた。