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    記憶のうた 第四章:心もよう(4)

     魔術で防御壁を張った後、ソフィアは一歩だけ後ろに下がった。ソフィアに何かがあっても多少は結界はもつはずだが、この壁には招待客全員の命がかかっている。自分は前線には出ずに備えたほうがいいと判断したからだ。
     傍にはウィルがいて、隠し持っていたらしい実弾銃で、魔物の群れを撃退していく。が、いかんせん数が多い。
     ソフィアは小さく眉をしかめた。このままでは消耗戦になる。だが、こちらの戦力が圧倒的に足りない。ソフィアよりも冷静で頭のいいウィルのことだから、そんなことはとっくに気付いているはずだ。それでも黙って敵を倒し続けているのは、今のところ打つ手が無いからだろう。
     その時、首筋がぴりりとした。そのすぐ後にくる悪寒に、ソフィアは反射的に横を向く。
     そこに、一匹の魔物がいた。狼型の、よく見るタイプの魔物だ。じりじりと獲物を定めるかのようにゆっくりとした動作で、こちらに向かってくる。
     その視線の先にいる人が誰なのかに気付いて、ソフィアは息を呑んだ。
     ――……ウィルだ。
     銃の発砲音が響く。彼はきっと気付いていない。
     このまま動かなければ、あるいは一歩後ろに下がれば、ソフィアは助かるだろう。招待客も無事に済む。
     だが、ウィルは。
     脳裏を過ぎる光景がある。ソフィアが持っている僅かな記憶の中でも、鮮明な記憶。
     鋭い爪が彼のお腹を薙ぐ光景。飛び散る赤いもの。彼は青ざめた顔をしながら、それでも冷静さを失わなかった。錯乱するソフィアを余所に、少しでも生き残る可能性が高い方策を冷静に組み立てて、ソフィアに道を示してみせた。
     その後彼が倒れた時は、本当に心が冷えたのだ。倒れかけた彼を抱きとめて、口元に手をやって呼吸を確かめ、安堵に彼の頭を掻き抱いてしまうほどには。
     そんなこと、彼は知る由も無いだろう。知らなくていいと思う。
     そして、ソフィアの弱音を聞いてくれた。慰めるわけでも、叱るわけでもなく、弱さを受け入れてくれた。その不器用な優しさが嬉しくて。
     それを失ってしまうのだろうか。
     また、あの光景を目にするのだろうか。
     ソフィアの脳裏で警鐘が響いている。危険だ、危険だと。
     考え込んだ一瞬の間に、魔物の体が深く沈んだ。前足を伸ばしての前傾姿勢、飛び掛る気だ。その視線の先のウィルは、やはり気付いていない。魔術も間に合わない。
     いやだ。
     強く、それだけを思って。ソフィアは警鐘を鳴らす本能を無視した。
     動きづらいなんて甘えたことは言ってられない。強く、床を蹴って。
     するりと抜け落ちた真珠の髪飾りが、しゃらりと音を立てたのが嫌に印象的だった。
     ふと、背中に視線を感じて、彼がこちらを見たのだと、分かった。
     強く、名前を呼ばれる。
    「――ソフィア!?」

     ウィルが目にしたのは、魔物とウィルの間に割って入るソフィアの姿だった。
     動揺しつつも身体は反射的に銃を構えようとする。だが、人間と魔物の速度では魔物の方が格段に早いのだ。
     ソフィアに魔物の鋭い牙が食い込む、寸前。
     どすどすどすっと鈍く何かが突き刺さる音と魔物の悲鳴が響いて、魔物の体が吹き飛んだ。
    「え」
    「ソフィア! っんの馬鹿!」
     呆然とするソフィアの腕を取り、自分の方に引き寄せる。バランスを失った少女の後頭部があっさりとウィルの胸にもたれかかってきた。
    「だって!」
    「だってじゃねぇ! あとで説教っ!」
     振り返って反論しようとするソフィアに怒りに任せてそう怒鳴ったウィルは、そのままの状態で先程吹き飛んだ魔物の生死を確認しようと視線を送り、思わず沈黙した。ソフィアもウィルの表情に訝しそうな顔をして視線を追い、やはり沈黙してしまう。
    「あの……ウィルさん」
    「何だ……」
    「スプーンって刺さるものなんでしょうか?」
    「……始めて聞くな」
     床に倒れた魔物の身体にはナイフやフォーク、そしてスプーンが突き刺さっていた。先端が尖っているナイフやフォークは分かる。だが、先端が丸みを帯びているスプーンがどうしてこうもあっさりと突き刺さっているのか。
    「……私の見間違いじゃなければ、スプーンが刺さってるんですが」
    「……俺にもそう見える」
     そんなどこか間の抜けた会話を打ち切ったのは、低いアルトの声だった。
    「ん。危なかったな」
     声のかかった方向から、この不可解な攻撃の主だと判断して、ウィルは顔を上げる。そこには先程の美女が立っていた。
    「……あんたが助けてくれたのか?」
     分かっていても聞いてしまうのは、まだ目の前の現実が嘘みたいだからだ。
    「そうだ。……近くにあったものを拝借してな」
     こくりと頷いた美女は無造作にフォークを投げる。蛇のような魔物がその攻撃によって倒れる。世の中分からない事だらけだとウィルは本気で思った。
    「……きりがないな」
     美女の表情は険しい。それにはウィルも同感だ。
    「……あの、ウィルさん」
     ソフィアの困ったような声に、ウィルははっと我に返る。彼女の腕を握ったままだったことに、今更ながら気付いた。
     ぱっと腕を放し、そのままウィルは周囲を見回した。ソフィアの強力な魔力壁はまだ健在で、招待客もだいぶ落ち着きを取り戻してきている。
     だからこそ、現状の把握が出来た。
     先程から、何か違和感を感じているのだが、それがはっきりと形にならない。美女のナイフがまた一匹狼型の魔物を倒す。と、その影から虫型の魔物が躍り出た。
    「何っ!?」
     さすがに美女が驚愕の声を上げる。同時にウィルは銃を構え、その魔物の眉間に銃弾を打ち込んだ。
    「……いい腕だな」
    「あんたほどじゃない」
     短く応じながらも、ウィルの頭の中では思考の糸が繋がろうとしていた。
     今の魔物の動きは、どう見ても連携していた。だが、本来魔物とは単独行動を好むものだし、群れたとしても連携をとるような知能はない。
     それに、この魔物たちの目的は「ブラッディローズ」のはずだ。そうならば、我先にと宝石に向かっていくのが普通ではないだろか。
     この魔物たちの動きは普通では考えられない。ならば、その理由は何なのか。
     ふと、脳裏を過ぎったのはユスノアにのみ生息するという魔物の話だった。知能の高い魔物で、魔術師のローブに人骨を杖代わりにし、他の魔物を操る――。
     ウィルは視線を廻らせ、ある一点を指差し叫んだ。
    「あいつを狙えっ! 親玉だっ!!」

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