記憶のうた 第四章:心もよう(1)
「……金がないっ!」
空に近い財布を握り締めそう叫んだ自分は、本来なら金欠からは一番遠い身分にいるはずではなかっただろうか。
それが何故こんなことに、何て考えても仕方のないことだが、思わず考えずにはいられない。それくらい、金がない。
「……困りましたねぇ」
ウィルの叫びに、ソフィアが苦笑を浮かべる。
「あはは〜。ほんとに空っぽだね〜」
呑気に笑うリアに、ウィルの堪忍袋の尾がぶちっと切れ、ユスノアの商業都市・アスタール郊外の草原に怒声が響く。
「っ誰のせいだーーーーーっ!!」
その忌まわしい出来事は、つい先日のことであった。
それまでの旅は、極めて順調だった。
テーゼルを抜けユスノア国に入った一同を魔物が襲ってきた時も、旅をしていれば日常茶飯事のことだし、取り立てて騒ぐことでもない。
その戦闘中に、例によって例のごとくソフィアが魔力コントロールを誤り炎の塊がウィルの頭上を通過していったのも、恐ろしいことにいつものことと済ませてもいいくらいには慣れたし、実害もなかった。ウィルの寿命が数十秒縮まったかもしれないが。まあ、それはそれとして。
そこまでは、まあいつもどおり。ウィルの想定内で物事が動いていたのだ。
だが、ここで不幸が起こる。行商帰りの馬車が通りかかったのだ。
そして、間の悪い時というのは重なるもので、この時リアが飛竜を召喚し、アバウトに命令を下した。「いっけー!」と。
……先に断っておくが、この場合飛竜に罪はない。飛竜は召喚者の命に忠実に従っただけだ。
飛竜は、いった。その先には……馬車。馬車は飛竜の体当たりを受け大破し、おまけにブレスを喰らって燃えた。行商帰りで積荷が無かったのと、持ち主の商人と馬が無事だったのは不幸中の幸いだろう。
かくして、ウィルは手綱を握ったまま、今まで馬車のあった場所を見て茫然自失の灰になっている商人に謝り倒し、弁償させて頂くことになったのである。
元々、この旅の旅費はウィルのエアーバイクを売ったお金から出ていた。ウィルの私物であったバイクは市販されているバイクではあったが、それなりに良いものだったのと趣味でスペックを上げていた為、それなりの金額で売れた。ソフィアと二人でクラフトシェイドに向かう分にはお釣りが来るくらいの額だったのだ。
それが、ここのところ旅の連れが増えた。それでも、ちゃんと計算して使っていけば、旅費も底を尽くことはないと踏んでいた。
それなのに、ここで馬車の弁償である。しかも、この行商人が乗っていた馬車は結構値段のはる良い物だった。しかも事が事なので、弁償しましたはい終了と言うわけにもいかないのが大人の世界というものである。無事だったとはいえ軽い怪我を負った商人の治療費やら迷惑料やらを支払えば、あっという間に資金は底を尽いていた。
そして、冒頭のウィルの叫びというわけである。
「どーしてくれるっ! せっかくアスタールに着いたってのに今日の宿代すらままならねーじゃねーかっ!!」
アスタールはユスノアでも一、二を争う大都市だ。その大都市を目の前に金が無くて野宿なんて切なすぎる。というか今財布に入っているお金では、宿代どころか三人分の昼食代すらままならない。
「ま、まぁまぁウィルさん! アスタールって大きな街なんですよね? お仕事もありますよね? お、お仕事しましょう! わ、私もがんばりますから!」
額に青筋が浮いたウィルの本気の怒気を感じたらしい。ソフィアが慌てて仲裁に入る。
確かにアスタールほど大きな街ならば、仕事は山ほどあるだろう。ただ、ウィルたちの条件に合う仕事があるかどうかというのは別の話だが。
「あたしもがんばるーっ!」
諸悪の根源が呑気にそう言ってはーいと手を挙げ、ぽちが同意するようにむぅぅ〜と鳴いた。
「お前が頑張るのは当たり前だろうがーっ!」
ウィルのチョップがリアの頭に炸裂した。
ユスノアはフューズランドの中央部に位置する国で、機械と魔法が占める割合が半々の国だ。そしてアスタールという街は、この地域の土が陶磁器に合っていることを発見した領主が、三代で発展させた街だ。
街の様々な店で売られている陶磁器は独自の光沢を放ち、世界中で人気を博している。
が、ウィル達はそれには目もくれず仕事斡旋所へと向かった。仕事斡旋所は、主に旅人に対して仕事を紹介し、その仲介料で経営を成り立たせている会社で、大きな街ならば全国どこでも存在する。
そして斡旋所の門を潜ったウィルは、掲示されている仕事内容に目を通し、眉をしかめた。
仕事は確かに沢山ある。しかしそれは、選ばなければの話だ。商人の護衛、盗賊退治、魔物退治の依頼もある。
しかし、ウィルたちの旅の目的は、ソフィアのはめている指輪に刻まれた古代術の解除なのだ。それには、様々な情報が集まりやすい大きな街で調べる必要がある。この街を簡単に離れるわけにはいかないのだ。すると、比較的遠くに出向かなければならない上記の依頼は自然と除外されてしまう。
そして、今の自分達の財政状況を考えると、簡単な仕事で小銭を稼いでも意味が無い。
最低でも三人分の食事代金プラス宿代は欲しい。
そうなると条件は、高収入・日払い・この街から出ないことになるわけだが。
よく考えなくともそんな仕事がそう都合よく転がっているわけがない。
何だか眩暈を感じてこめかみを押さえたウィルの服を、リアが引っ張った。
「ねぇ、ウィルちゃーん。あたし、これがいいなっ」
「あ?」
リアが示したのは、この街の貴族の一人が本日屋敷で主催するパーティーの警護という仕事だった。
貴族主催で高収入。おまけに日払い。会場もこの街の屋敷。願ったり叶ったりの好条件だ。好条件ではある、のだが。
「パーティー、パ〜ティ〜」
上機嫌に歌いだしたリアの横で、ウィルの脳裏を嫌な想像が駆け巡った。
たとえば、ソフィアの魔術がいつものように暴発し誰かが巻き込まれかけたり、リアの召喚した何かがうっかり会場の高そうな備品を破壊したり。
悪夢、再び。
「っっっ待てっ! ちょっと待てーーーっ!!」
我に返ったウィルが制止の声を上げる。が、しかし。
「え? 何〜?」
時既に遅し。リアが契約書にサインをばっちりと終えていた。ちなみに一度契約を交わしてしまえば、解約にはお金がかかる。そんな金などもちろんない。
「……っっ」
ウィルは何だか色々と叫びたいのを必死に呑み込んだ。
「うふふふ〜、パーティー楽しみだねぇっ。ソフィアちゃん!」
満面笑顔で上機嫌なリアと、疲れきって沈没しているウィルの間で、ソフィアはどうしたらいいのかとおろおろしている。
「え? パーティー? ……え?」
「ごちそうどんなのかなぁ? 何着ていけばいいのかなぁ? ……あれ、どうしたの? ウィルちゃん。何か暗いよ〜?」
「…………いや、別に」
誰のせいだと言いたかったが、言ったところで効果がないに違いない。
もう、どうしようもないのなら、腹を括るしかなかった。