記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:雨上がりの希望(1)
「――……思えばあの時、あの笑顔に僕の心は奪われたんだ……!」
「ふ〜ん」
ユートの気のない返事に、リュカは額に青筋を浮かべる。
「何だよ、ユート! その気のない返事っ」
「いやぁ、だってさぁ。経緯を話さないで結論だけ言われたって、俺様エスパーじゃないからわっかんないし〜。お嬢なんて、ホラ。坊やが妄想に耽ってる間に寝ちゃったよ?」
「妄想じゃない! ……って、え?」
先程までベッドの淵に腰掛けていたはずの召喚士の少女に視線をやれば、リアはぽちを抱えたまま、ベッドの上で丸くなって、気持ち良さそうな寝息をたてていた。
「俺様もねむくなっちった〜。坊や、大人しくしててね〜。騒いじゃだめだよ〜」
「坊や言うなっ。って言うか騒いでるのは誰のせいだと……!」
隣の部屋ではソフィアが休んでいるし、リアも寝ている。いっそう声を潜めつつも反論するリュカだが、ユートはまったく聞いていなかった。テーブルに突っ伏すと、三秒でくか〜っと幸せそうな寝息をたて始める。
「はやっ!? ……くっ、おのれ……!」
拳を握り締めて震わせていたリュカは、ふと苦笑を零した。
雨の音を聞けば、つい昨日のことのように思い出せるというのに。
「……一年半、か……」
もう、と言うべきかまだ、と言うべきか。判断に困るところだ。
あの時、ティールズの街を二人で旅立った頃は、こんな大所帯で旅をすることになるとは思いもしなかった。
そんなことを思いつつ、階下にいるだろう不器用な彼女へと思いを馳せ、笑みを深くする。
ふと、視界の端に光を捉えた気がして、リュカはふと顔を上げた。
「……あっ」
リュカは顔を輝かせると、慌てて部屋を出ようと動きかけ、ベッドの上のリアに視線を止めた。先程とは違った、優しい笑みを浮かべると、そっと部屋を後にする。
静かに、部屋の戸が閉まった。
「……ごちそうさまでした」
ティアは、そう言ってスプーンを置くと、行儀良く両手を合わせた。
「……ようやくか」
ウィルは口元を右手で覆い、げんなりした口調で呟いた。あれからさらに抹茶アイスと杏仁豆腐を平らげたティアは、満足そうに頷いた。
「ああ。……とても美味しかったぞ」
「そりゃ良かったな……。昔からそうだったのか?」
もしそうだとすれば、『白のヴァルキュリア』のイメージは大暴落だ。別に構わないのかもしれないが。
「いや。……リュカと旅をするようになってから、だな。初めて入った甘味処で衝撃を受けた」
「……ふぅん」
ウィルは意外な思いで、ティアを見つめた。彼女はきっと気付いていないのだろう。今、自分が浮かべている表情に。
それは何かを愛おしむ様な表情で、微かに笑んでいるようにも、見える。
「こりゃ……自覚がないだけで、意外と脈ありなのかもな……」
明けない冬がないように。ただ、その春が訪れるのは遥か先であることは、間違いないだろう。
「ん? 何か言ったか?」
口の中の呟きは、耳の良いティアにも届かなかったらしい。ウィルは小さく微笑んだ。
「――……いや? 『万屋』のリーダーは随分ロマンチストだったんだなって思ってな」
思っていた事とは別だが、伝えようと思っていたことを口にすると、ティアの顔が珍しく歪んだ。
「……あの、親父殿が?」
物凄く嫌そうな顔に、ウィルは苦笑する。
「いや、だってさ。お前の名前が、な」
「私の名前? ……それならば、ウィル。お前が言っていたではないか。クレールはオートクレールからもらった、と。確かに、親父殿の愛用の武器がオートクレールで……そこから取ったと、親父殿も言っていた。ちなみにティアは古代語で引き裂く、だそうだ。……どこがロマンチックだと言うんだ?」
「じゃあ、エディンティアのエディンは?」
「それは……知らない。親父殿のことだから適当に名付けたんじゃないか?」
ウィルはその返答に、ノートパソコンのキーボードに指を躍らせる。
「かもな。……ただ、ここにこんなデータがある。……大陸の近くにある、小さな島国。……ここには月の信仰があるんだが……その月の女神をエディンと言うそうだ」
そう言って出てきた画面をティアに見せれば、彼女は眉をしかめた。
「……は?」
「さらに、オートクレールって武器だが……こいつには古代語で高く清らかって意味がある。……クレールだけなら明るいとか光、かな」
ティアの困惑が深まっていくのを感じながら、ウィルは意識的ににっこりと笑った。
「最後にもうひとつ。……同音異義語って知ってるか?」
「あ……ああ」
「ティアって言葉にも、同音異義語がある。……雫もしくは涙」
ティアが小さく息を呑んだ。少なくとも、ソフィアよりは文才はあるらしいと、ウィルは頭の片隅でこっそりと思った。
輝ける月の女神の雫――……意訳すれば、月の涙。月の涙のような子だと名付ける親がロマンチストでなくてなんだと言うのだ。
「まさか……そんな……。ウィル……データからでは思いまでは読み取れないと……」
「言ったな。だから、推測が生まれる。……それが面白いんじゃねーか」
この情報を、ティアがどう取るかは自由だ。真実かもしれないし、そうではないかもしれない。答えは、一生出ない。けれど。
「どうせなら、好意的に受け取ったほうが気分いいだろ?」
そう言ってノートパソコンを閉じれば、ティアが小さく苦笑した。
「たとえそうだとしても、親父殿は全力で否定しそうだがな」
俺がそんなむず痒くて小難しい名前つけるかってんだ、とか言いそうだと呟き、ティアはふと視線を上にあげる。
「……ソフィアが起きた、かもしれない。動いているような気配がする」
「……どんな感覚してんだ、お前は……」
ソフィアと同姓のティアに様子を見てくるよう頼もうと口を開きかけたウィルだったが。
「ティア! 外……ってウィル! ティアと二人っきり〜!?」
幸せそうに降りて来た男が一瞬で余裕のない男に変貌したのを見て、ため息をついた。
「……ソフィアを見てくる」
「分かった。……頼む」
ウィルはノートパソコンを抱え、リュカにティアの相手よろしく、と呟いてその場を後にした。
「……で、リュカ。どうしたんだ?」
「あ、そうだった。ティア、外見て〜。雨が止んで、虹が……」
そんな会話を、聞きながら。