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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:悲しみの雨(4)


     もう、永遠に口を開くことのないバリー。その正面で、ティアは無表情のまま微動だにせずに立ち尽くしていた。
     リュカはその横を通り抜けてバリーに近付くと、そっとバリーの身体に手をかけて地面に横たえさせた。握ったままの剣を外し鞘に収めると、そっとバリーの横に添える。
     目を伏せ、眠りが安らかであることを祈る。そしてリュカは振り返り、ティアを初めて正面から見た。
     整った顔立ちをした赤い瞳の少女の顔は、何の感情も浮かべてはおらず、まるで人形のようだ。
    「……クレール?」
     バリーはティアと呼んでいたなと思いつつも、そっと彼女のファーストネームを呼ぶと、彼女の瞳がゆっくりと動いた。
    「……軽蔑、しただろう?」
     塀越しに聞いた低いアルトの声が、何の感情も映さずに無機質に響いた。
    「……軽蔑?」
    「産みの親と弟を守るために、育ての親を手にかけた。仲間たちも……皆、殺した」
     淡々と紡がれるその声にリュカはきゅっと眉をしかめ、首を横に振った。
    「でも……僕がその道を押し付けたようなものじゃないか。……僕には、君を軽蔑する資格なんてないよ」
    「……それでも……この道を選んだのは、私だ」
     淡々と告げるその声が、リュカには苦しそうに聞こえた。
    「私は……大切な人を、殺したんだ。……己の欲のために」
    「でも……それは、ブラント家の幸せを願ったからだろう?」
     リュカはそう言って、目を閉じた。
     本当は、語らずにおこうと思っていた。……けれど。
    「僕は、もっとひどかったよ。僕はもっと愚かだった」
     リュカが何を言いたいのか、分からなかったのだろう。ティアが微かに眉をひそめた。
    「何の話だ」
    「……僕はね、強すぎる力と血族婚姻のせいで、僕より幼い子供が生まれなくて……滅びることが決まっていた一族の、最後の生き残りなんだ」
     口元に、苦笑が浮かんだ。脳裏をよぎるのは、あの穏やかだった日々。もう二度と帰れない、優しい時間。
    「太陽の一族って知ってる?」
     リュカの問いに、ティアは生真面目に頷いた。
    「闇を払った光の英雄ソールの末裔のことか? ……まさか」
    「そう。僕は……太陽の一族の最後の一人。……山奥に隠れるように住んでいた僕たち一族の村は……滅ぼされたんだ、今年の夏に」
     ティアが息を呑んだのが分かった。彼女ならば分かったはずだ。リュカの言葉の意味に。
     復讐心に駆られたリュカは、人里に下りてすぐに自分の村を滅ぼしたのは誰なのかを調べた。そして、リュカは知ったのだ。自分の村に殺戮をもたらした者達の名と、その理由を。己の愚かさを。
    「……それ、は……。その村は……!」
     ティアが何事かを言いかけたが、リュカは小さく首を振ってそれを遮り、言葉を続けた。
    「……村が滅んだ時、僕は一人で山狩りに出かけてた。強い力があるっていっても、皆その力を使おうとしなかったから、僕以外に腕に覚えがある人はいなかったし、そもそも僕以外に若い人っていなかったし。だから、一人で……」
     そして、自分がいない間に村は悲劇に襲われた。
     目を閉じれば、その光景はありありと脳裏に浮かぶ。
    「村に戻って……惨状を見て、殺してやるって思った。皆の仇は僕が絶対にとるんだって……。それで、旅に出て、色々調べた。誰が僕の村を滅ぼしたのか、何で滅ぼされなきゃならなかったのか。……そして、分かったんだ」
     リュカの口元から、苦い笑みが消えた。リュカは両手をぎゅっと握り、血を吐く思いで口に出した。
    「僕の村は……ある裏の世界の組織に消された。その組織が村を消したのは……依頼があったからだ。その依頼をしたのは、その地方を治める領主で……そんな依頼をした理由は……その地域の水源を管理していた水獣を、自分の力に驕っていた僕が腕試しに……殺したからだ」
     その水獣に出会ったのは偶然だった。剣の稽古を終えて新しく技を習得した帰りに通りかかった湖の畔に、その水獣は現れた。その水獣の放つ力に興奮し、新しく覚えたばかりの技を試したくなった。その水獣が恐ろしい姿をしていたこともあり、人間に害をなすものと決めつけ、攻撃した。
     だが、その水獣は見た目とは違い、穏やかで優しい性格の水獣だったという。その水獣は水を制し、川が氾濫を起こしたり干上がったりしないように管理していた。水害がなくなったことにより安定した作物の収穫が出来るようになったこの地域の人々は水獣に感謝し、水獣の好物だという果物を収穫期に捧げていたという。上手く強制していたのだ。
     それを、驕ったリュカが破壊した。
     水獣が倒れたことで川が氾濫し、作物の種が流されてしまった。不幸中の幸いで人に被害は出なかったが、これでは作物の収穫はほとんど見込めない。そして、自給自足が基本の村では、それは死活問題だった。
     そして、民は願う。せめて、自分たちが水神と崇めたあの優しい水獣の仇を、と。それを領主は受け入れ、そして――。
    「……確かに、僕の村は人の手によって滅ぼされた。……でも、その理由を作ったのは……驕っていた僕だ。……僕が、殺したも同然なんだ」
     そう気付いた時、彼の中で燃え盛っていた復讐心は、行き場をなくしてしまった。誰を憎めばいいのか。分からなくなってしまった。手を下した者達か、依頼をした領主か、それを請うた領民か。
     ……違うと分かっていた。本当に、憎いのは。
     そしてリュカは目的を失った。どうすればいいのか答えは出ないまま、呆然と旅を続け、この街に辿り着いた。
     ティアは、答えなかった。リュカはふとバリーの穏やかな顔を見下ろした。
     村を滅ぼした張本人を前にしても、憎しみはなかった。
    「バリーさん……言ってたよね。君は間違ってない、正しくもないけれどって。……そうだよねって思うんだ。君にとってはどちらも大切な存在だった。でもどっちかしか選べない。どっちかを選べば、もう片方は手放さなきゃいけない」
     どちらを選んでも、正解にはなりえないのだ。
    「この人……気付いてたんだと思う。君の出自も、君の迷いにも。……もしかしたら、この人も迷ってたのかも。君の事を本当の娘のように思ってたみたいだから。だから、君に選ばせたんじゃないかな。辛い選択だけれど……それでも、君の思う道を歩いて欲しいって」
     そこで、リュカは自分よりも長身の少女を真っ直ぐに見上げた。ティアの唇が微かに、親父殿、と動いた。
    「だったら……今の君にできるのは、ひとつだけだよ」
     ぽつりと頬に冷たい雫が落ちる。――雨だ。
    「泣いて、あげなきゃ。……娘として」
     何の感情も映さなかったティの赤い瞳に、一瞬強い感情が過ぎったのを、リュカは見逃さなかった。
     少しずつ強くなる、冷たい雨の中。ティアはがくりと地面に膝をつき、俯いた。
    「……親父殿……ありがとう。ごめん、なさい……」
     彼女の頬を濡らすものが雨なのか、それとも別の何かなのかは、彼女にしか分からない。
     けれど、彼女は冷たい雨の中、あの日のリュカと同じように。
     ただ、佇んでいた。 

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