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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:追憶の雨(4)


     庭の端にある大きな木。そこから視線を感じたような気がして、リュカは反射的にそちらに顔を向けた。
    しばらくの間、木をじっと見つめるが、特に異常は見られなかった。
    だが、先程の感覚は気のせいだと片付けるには、いやに心に引っかかった。
     じっと木を見つめ、神経を研ぎ澄ませようとした、その時。
    「リュカお兄ちゃん? どうしたの?」
     フェリスの声にはっと我に返った。きょとんとした顔で自分を見つめるフェリスに、リュカは笑って見せた。
    「ごめんごめん。……見たことない鳥がいた気がしたんだけど……。気のせいだったみたい」
    「そうなの? 残念だね。僕も見たいなぁ」 あどけなく笑うフェリスに、リュカも笑顔で応じた。
     この屋敷に滞在して、一週間と少し。仲の良い家族の姿に、今は亡き家族を思い出し心を痛めることもあったが、この一家との交流は確実にリュカの心を癒していた。少なくとも、自然に笑える程度には。
     まさか、また笑える日が来るなんて思ってもみなかった。そんなことを考えながらも、リュカの意識の一部は、庭の隅の木に向いたままだった。
     気のせいではないと、妙な確信があった。
     ほんの一瞬。だが、確かに人の視線を感じたのだ。
     フェリスにせがまれて、なされるがまま屋敷に戻り、ソファに腰掛けた。しばらくは楽しそうにリュカに話しかけていたフェリスだが、やはり疲れていたのだろう。ものの数分でフェリスは眠りに落ちてしまった。
     リュカは小さく微笑んで、フェリスを抱き上げた。いくら自分が小さいとはいえ、平均よりも体の小さいフェリスを運べないほどではなかった。フェリスの寝室へと彼を運び、ベッドに横たえた。
     そうして、応接室に戻る途中、この屋敷に向けられた意識に気付いた。
     敵意や殺気は感じないが、明らかにこの屋敷を探っている気配。常人では絶対に気付かないであろう、探り方に試されているような気分になった。
     リュカは周囲を見回し、辺りに人がいないことを確認してから、近くの窓から外に出た。そして、気配の強いほうへとゆっくりと歩を進めた。
     そこは屋敷と塀との距離が一番近くて、お世辞にも日当たりが良いとは言えない場所だった。
    「……やぁ」
     なんと声をかければいいのか分からず、口をついて出たのは、自分でも間抜けだと思う言葉だった。
    「……あぁ」
     返ってきた声に、リュカは二重に驚いた。一つは、自分でも間抜けだと思った言葉に律儀に言葉を返してきたこと。そして、もう一つは。
    「……君、女の子?」
     やや低いものの、声は明らかに若い女性のものだったからだ。あれほど巧妙に気配を隠す技巧の持ち主ならば、相当経験を積んだ男だろうと、勝手に思い込んでいた。リュカの村では女性が戦いの技術を磨くことはなかったから、その意識が抜けきれていなかったのかもしれない。
    「生物学上は、女だ」
     何故だか異様に堅苦しい返答に、リュカは吹き出しそうになりながら、塀に背中を預けた。
    「さっき……僕らを見てたのも、君だよね?」
     確信はない。だが、そうだと直感が訴えていた。
    「……やはり、気付いていたか」
    「うん。僕、結構鋭いんだ」
    「そのようだな。……なかなかの腕をしている」
    「君こそ」
     短いやりとり。だが、何故か楽しくて、リュカは口元に小さく笑みを浮かべた。
    「……で。君はこの屋敷に何の用なのかな?」
     あえて、直球を投げてみた。すると、しばしの沈黙の後、今までとは少しだけ異なる声音で返してきた。
    「……この一家が……どんな風に暮らしているのか、気になった」
     思ってもみない返答に、リュカは思わず瞳を丸くした。声の主も、自身の言葉に驚いているようだった。微かにうろたえた声音のまま、言葉が続いた。
    「どんな家族なのか気になった。幸せなのかどうか、知りたかったんだ……」
     言葉を続けるほどに、困惑が深まっていった。
     リュカは微かに眉をしかめた。
     そんなはずないだろうというのが、最初に抱いた感想だ。
     これほどの実力を持った者が、屋敷の様子を窺っていた理由が、家族が幸せかどうか知りたいからだなんて信じられるはずがなかった。最初に視線を感じた時、リュカが始めに疑ったのが、暗殺。二番目が強盗の下見だった。どちらにしろ、裏の世界の人間が関っていると思ったのだ。
     だが、声の主が自分の発言に戸惑っているのも、本当だと感じた。本音がぽろりと零れてしまい困惑しているのが、塀越しのリュカにもよく分かった。彼女の言葉に嘘がないと思った。
    「……何で、君はこの家族が幸せなのか知りたいの?」
     リュカの問いに途方に暮れたような声が返ってきた。
    「……分からない」
     迷子の子供の声に、よく似ていた。

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