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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:追憶の雨(2)


     驚いたことに、その一家はティールズを治める領主だった。姓をブラント、といった。
     御者のレイを医者の元へと運び、そのままブラント家に案内されたリュカは、まず彼らの構える屋敷の大きさに呆然とした。エントランス部分だけで、故郷の家の一番大きな部屋よりもほんの少し小さいだけの広さがあったのだから、当然といえば当然だった。
     場違いな豪華さに圧倒されたリュカは、なされるがままにリビングに通され、気付けば豪勢な食事を振舞われていた。
    「紹介が遅れたね。私はフレデリック。フレデリック=ルイス=ブラント。この家の当主で……この街の領主だ」
    「その妻のイヴァンジェリンと申します」
    「僕、フェリス!!」
     戸惑ったまま席に着くと、ブラント家の面々から口々に挨拶をされて、リュカの戸惑いは増すばかりだった。呆然と頷きかけ、自身が名乗ってもいなかったことに思い至った。
    「あ、名乗りもせずにすみません。僕はリュカ=ソール=グレヴィ。……旅の、剣士です」
     やや重い口調になってしまったのは、旅の剣士と名乗ることに躊躇があったからだろう。
     それにしても、名乗りもせずにいたリュカをあっさりと招き入れるなんて、無用心だとしか思えない、などと思いつつリュカは機嫌の良さそうなブラント一家を眺めた。
    「リュカさん。どうぞ召し上がって下さいませ。お口に合うとよろしいのだけど」
     イヴァンジェリンに言われて、リュカははっと我に返った。
    「は、はいっ」
     そしてテーブルに目を落とし、うろたえた。
     綺麗に整えられたテーブルに、目の前にある温かなスープ。そして、整然と並ぶフォークとナイフ。なにぶん山育ちなので、マナーなどからきしだった。そもそもナイフやフォークが何本も用意されている意味が分からなかった。一本でいいじゃないか、と思った。
     村から出たときにさらりと読んだマナー本の記憶を何とか掘り起こしながら、スープ用のスプーンってこれだよねと内心慌てふためきつつ、スープ皿手前のスプーンを手に取った。
     音たてちゃいけないんだっけなどと思いつつ、スープを口に入れれば、ふわりとコンソメの上品な味が広がった。
    緊張のせいで味が分からなかったらどうしようかと思ったが、どうやらそんなことはなさそうだった。
     上品だが優しい味で、丁寧に作られたことが分かるそのスープはとても美味しかった。リュカは素直にそれを告げた。
    「美味しいです」
    「そう。良かったわ」
     イヴァンジェリンはそう言ってほっと笑った。そして、食事がスタートした。
    「それにしても……素晴らしい腕だったな」
     思い出したようにフレデリックが呟いたのは、食事も終盤に差し掛かった頃だった。
    「いえ……。そんなことは……ありません」
     謙遜などではなく心の底からの言葉だった。自分はそんな風に褒められるほどの腕など持っていないと思っていた。少なくとも、心が未熟なままで、まだまだなのだと思った。
    「いいえ。素晴らしかったですわ。私たちはあなたの剣に救われたのですよ?」
    「うんっ! かっこよかった〜」
     そんな風に言われては恐縮するしかなかった。
    「それにしても……そんな幼いのに旅の剣士とは……大したものだ」
     フレデリックの言葉に、リュカはびしりと固まった。
    「そうですわね。……フェリスより少し年上、くらいですものね」
    「…………」
     村を出て、知ったことがあった。ひとつはあの惨劇の真実。
     そして、もうひとつは、リュカが一般的な男性よりも随分と背が低いということだった。
     村にはリュカと同年代の子供もリュカより幼い子供もいなかったため、比較することが出来なかったのだ。
    「あの、ですね……」
     言いづらそうに、リュカは口を開いた。
     旅に出てからの四ヶ月の間。何度も子供に間違えられた。そしてその度に怒鳴り返してきた。どんなに精神的に参っていてもだ。
     それほどまでに己の低身長と童顔は、この四ヶ月間で己のコンプレックスになっていた。
     だが、この一家に怒鳴り返すわけにはいかなかった。
     身分もあるが、この一家はリュカに好意的な視線を向けてくれての言葉だと分かっていたからだ。少なくとも、旅の間リュカを馬鹿にしていた傭兵連中とは違った。
    「僕……もうすぐ、二十歳なんです」
     その言葉に、ブラント家は目を丸くした。フェリスがリュカを指差し声をあげる。
    「えーーーっ!?」
    「こら! フェリス! 人を指差してはいけません!」
     イヴァンジェリンが母親の顔で即座に叱りつけ、フレデリックがごほんと咳払いをした。
    「それは……失礼をした」
    「イエ。……慣れてますから」
    「それでは……こんなお願いは失礼かもしれないな」
     そう言って、フレデリックが苦笑を滲ませた。
    「? 何でしょうか?」
    「……しばらくフェリスについてやってはくれないか、と思ってね」
     その言葉の意味が分からず、リュカはしばらく考え込んだ。そして、目を見開いた。
    「ええっ!?」
    「いや、歳が近いと思っていたしね。……それに、この子は体が弱くて、友達が少ないんだ。それに、屋敷に篭りがちだから、外のこともあまりよく知らない。フェリスもリュカ君を好いているようだし……急ぐ旅でなければこの屋敷に滞在していただけないだろうか」
     リュカは困ったように視線を泳がせた。
     急ぐ旅ではないし、そもそも自分は目的を見失った状態で。
     ふと視線がフェリスと合った。少年の瞳は期待できらきらと輝いていた。……断れるはずがなかった。
    「……分かりました。しばらくの間でいいなら」
     リュカはゆっくりと頷きつつ、何とはなしに視線を窓に走らせた。
     いつの間に降り始めたのか。窓ガラスは霧のような細かい雨によって、しっとりと濡れていた。

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