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    記憶のうた 外伝 巡る雨〜記憶:追憶の雨(1)


     冬の気配が日に日に色濃くなっていく、ある日。リュカは、ユスノアという国のティールズという街の食堂で、遅めの昼ご飯を口にしていた。
     復讐心だけを糧に、リュカが故郷の村を旅立ってから、四ヶ月の月日が流れていた。
     リュカはふうっと息を吐いて、スプーンを置く。
     リュカの目の前に置かれた料理はまだ半分以上残っていたが、惰性で口に運ぶのはもう限界だった。
     ここのところずっとそうだった。精神的に不安定で、食欲のない日が続いていた。
     何が原因かは、自分でも痛いほど分かっていた。リュカは重いため息を零した。
     あの惨劇の日から四ヶ月も経っているというのに、リュカは一歩も進めずにいた。自分が何をすればよいのか分からなくなったのだ。
     村のあの状況を見た時は、犯人を殺してやろうと思った。たとえ、自分の命と引き換えになっても構わないとさえ思っていた。
     だが、村を出て街に降り、真実を知ったことでリュカは見失ってしまった。復讐する意味を。
     そして、生きる意味も死ぬ意味も見出せないまま歩き続け、この街に辿り着いたのだった。
     この街は故郷とは正反対の街だった。海から吹く潮風に、活気に満ちた雰囲気。ここには山ものどかな雰囲気も何もない。それなのに、何故あの村が思い出されてしようがないのだろう。
     リュカは重たい気分になりながら、席を立ち会計を済ませた。
     街を歩きながら、何か仕事をしなければ金がないな、と財布の軽さを思い出しながら、思った。けれど同時に、それもどうでもいいことのようにも思った。
     自分がどうしたいのか、本当に分からない状態だった。
    「……あれ?」
     ぼんやりと歩き続け、ふと我に返ると、街の外に出ていた。リュカは足を止め、後ろ頭をぽりぽりと掻いた。
     人ごみを避けるように歩いていたら、外に向かってしまっていたらしい。
     回れ右をして街に戻ろうと一歩踏み出しかけた時。
     馬の嘶きと、女性の悲鳴が聞こえた気がした。
     リュカは表情を険しくすると地面を強く蹴り、声の聞こえた方向に駆け出した。
     山育ちのせいか、リュカは耳が異常にいいのだ。聞き間違えなどではないと、確信があった。
     全力で駆けると、横倒しになった馬車が視界に映った。
     馬車の近くには、三人の人影が固まっていた。一人は身なりの良い中年男性。そして先程の悲鳴の主と思われる中年女性。そして、女性の腕の中では十歳前後の優しい顔立ちの少年が恐怖に顔を歪ませていた。
     彼らの近くには、二匹の狼型の魔物が牙をむいて、体勢を低くしていた。馬車の陰には、倒れた人間の足も見えた。
     魔物が襲いかかろうと、後ろ足に力を込めたのを見て取ったリュカは、懐に手を伸ばし、小型のナイフを取り出す。ナイフに光気を込めて、投げた。
     甲高い声が響いた。同時に片方の魔物の足に深くナイフが突き刺さった。魔物達の注意がリュカの方へ向く頃には、リュカは腰の剣を抜き放っていた。
     飛び掛ってきた一匹目の爪を軽々とかわし、すれ違いざまに一刀両断にした。二匹目がリュカの咽元へ向かって飛び掛ってくるのを、真正面に構えて、受ける。
    「はぁぁっ!」
     そのまま魔物の牙を押し返し、上段から魔物の身体を真っ二つに切り裂いた。
     リュカは小さく息をつくと、剣の血を払い鞘に収めた。すると後ろから、やや興奮気味の幼い声がかえられた。
    「……お兄ちゃん、すごい……。つよ〜〜いっ!」
     先程まで恐怖に支配されていたはずの少年の顔は、いまや興奮と憧れに輝いていた。
    「すまない。旅の方。おかげで助かった」
    「いえ……」
    「レイ、大丈夫!?」
     婦人が馬車の傍に倒れた人物に駆け寄ると、その人物はゆっくりと身体を起こした。格好から察するに、馬車の御者のようだ。
    「すみません、旦那様。魔物の牙が掠めたようです」
     紳士が駆け寄り、地面に膝を付く。その後にリュカも続き、御者の傷の状態を確かめた。確かに、彼の右肩の部分が赤黒く染まっていた。
    「動かしては駄目です」
     言いながらリュカは膝を付き、肩に引っ掛けたままだった荷物を降ろした。荷物の中からタオルを二枚と、緑色のどろりとしたものが入った小瓶を取り出す。
    「大丈夫。薬草をいくつか混ぜて煮詰めたものです。……殺菌効果があるんですよ」
     御者が不安そうな顔をするので、そう説明しながら、一枚目のタオルに瓶の中身を空け、傷口に押し当てた。そしてその状態のまま、タオルを細長く裂き、包帯代わりに身体に巻きつける。
    「……これで、とりあえずは大丈夫です。けど、応急処置なので、街に入ったらすぐに医者に見せて下さい」
    「分かっている。本当にすまない」
     紳士は頷くと、リュカを見つめた。
    「迷惑をかけどおしですまないが、レイを運ぶのを手伝ってはくれないだろうか。……そして、我が家に寄って欲しい。ぜひともお礼がしたい」
    「もちろん、運ぶのはお手伝いします。けど……僕は、たまたま通りかかっただけで……」
    「そんな事言わずに。わたくしからもお願い申し上げますわ」
     婦人まで頭を下げてくるので、リュカは慌ててしまった。
    「え!? ……いや」
    「お兄ちゃん! うちに来てよ〜。僕、お兄ちゃんとお話したいし……それに、ほら。雨が降りそうだよ?」
     少年の言葉に、リュカは反射的に空を見上げた。いつのまにか、空は灰色の雲で覆われていた。
    「ね?」
     そう言って笑う少年の目が、きらきらと輝いている。これを断るのは忍びなかった。
    「……それでは、お言葉に甘えて……」
     そうして御者の脇に手を入れ、立ち上がらせるとティールズの街へ向かった。
     これが、すべての始まりだったのだ。

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