「……そういえば、ソフィア。ここでの暮らしには慣れまして?」
そう言って首を傾げるアデルに、ソフィアはにこりと笑顔を向けた。
「はい。おかげ様で、快適に過ごさせていただいてます〜」
ソフィアのその言葉に反応したのは質問したアデルではなく、クレムの方だった。きらりと目が光った気がする。
「本当に?」
「え……? はい」
「誰かに苛められたり、悪口言われたりしてない?」
その言葉に、ソフィアは内心ぎくりとした。つっと視線を外しかけ、ウィルに嘘が下手だと言われたことを思い出す。
多分、ここで視線を外してしまうからいけないのだ。そんな自覚はあったから、視線の位置を気にしつつ、ソフィアは微笑む。
「……大丈夫ですよ」
「本当に? 私も、ここに来た当初は結構言われたのよねぇ。もちろん言わせっぱなしじゃなかったけど」
その言葉に、ソフィアは目を瞬いた。
「え? クレメンテ様も、ですか?」
「クレムでいいって言ってるのに。……それにしてもクレメンテ様もってことは……やっぱし何か言われてるのね!?」
「ああっ!? や、やっちゃいました……!」
ソフィアはがくりと落ち込んだ。せっかく頑張って嘘をついたのに。努力も水の泡だ。
「……言われてますのね」
アデルがきゅっと眉をしかめる。その表情にあるのは確かな怒気だ。
ソフィアは曖昧な笑みを浮かべながら、美人さんは怒っても美人さんだなぁと随分気の抜けた感想を思い浮かべたりしていた。
「何笑っていますの、ソフィア。悔しくないんですの?」
陰口の内容を聞いてこない辺り、ソフィアが何を言われているのか、アデルにも見当がついているらしい。ここ数十年でだいぶマシにはなったものの、この国には未だ身分に固執する輩も多いのだ。
そんな場所に、一般人のしかもその複雑な生い立ちゆえに出自を公に出来ず、身分も出身も不明としかいいようのないソフィアがウィルの友人として滞在しているのだ。陰口の対象にならないわけがなかった。
「悔しい、というより・・・…申し訳ない、ですね」
「あら、何で?」
クレムの疑問に、ソフィアはしばし考え込んだ。言葉にするのが若干難しい。
「私は、いいんです。……出自も不明の不審者であることは確かですし。だから、私がある程度何かを言われることは仕方がないかなって思ってましたし、多分言われるだろうなとも思っていました。……けど、私がいることで、ウィルさんまで……」
そう。自分に対してなら何を言われても気にならなかった。元々、故郷であるエアリアルでも異端視されていた身だ。慣れている、とは言わないが耐性はあるし、覚悟だって出来ていた。
むしろ、ウィルをはじめ、彼の家族にもよくしてもらっていて、自分は果報者だと思っているくらいだ。
けれど、ソフィアをここに滞在させることで、その友人であり身分証の後見人でもあるウィルまで悪く言われるなんて思ってもみなかった。
自分なら、自分だけならまだいい。けれど、自分の身を心配してここに置いてくれたあの人の立場を悪くしてしまうこと、そのことが心苦しく、辛い。
しかも、彼は唯の人ではない。この国――ガジェストールの第二王子だ。この国の中枢たる人の一人の心象を自分が悪くしてるのかと思うと、彼の力になるどころか足手まといにしかならない自分が嫌になってくる。
だから、気が急いてしまう。魔力の暴走を抑える方法を見つけて、早く彼の元を去らなければ、と。
けれどそれと同時に願うことは、その思いとは相反するもので。我侭な自分にさらに嫌気がさした。
これだけ迷惑をかけどおしで、それでも少しでも傍にいたい、だなんて――。
「……そんなにウィルのことを気にしてくれるなら、本当にお嫁さんになってくれればいいのに」
ソフィアの思考をとめたのは、クレムのそんな一言だった。
「う、えええっ!? な、何でそうなるんですかぁっ!?」
暗い表情から一転、頬を真っ赤に染めるソフィアに、クレムは真顔で言い募る。
「あら。私、本気よ? あの子の母親としてはあの子のことを想ってくれる人と一緒になって欲しいし。あの子もソフィアが好きなはずだし。…・・・ソフィアさえよければいつでもオッケーよ、私は!」
「ウィ、ウィルさんが私を好きとかないですー! 私、迷惑ばっかりかけてるんですから!! ……それに、ウィルさんにはもっと相応しい方がいらっしゃるはずです」
ソフィアは、そう言って一瞬だけアデルを見た。ウィルの初恋の人である女性を。
綺麗で、頭も良くて、ついでに身分も高い。ウィルを支えていけるのはそんな女性なはずだ。――自分では、ない。
それを思えば微かに胸の奥が痛んだが、ソフィアはそれを押し殺した。
彼が、仲間達が幸せで、笑顔であって欲しいと思う。それが、ソフィアの一番の願いだ。
そんなことを考えていたソフィアは、クレムの「分かってないわねぇ」という呟きを聞き逃した。
「……何かおっしゃいました?」
「……いいえ? あら、もうすぐ三時だわ」
「え? わわ、本当です! すみません、私、もう行きますね」
ソフィアは慌てて頭を下げると、クレムとアデルの前から立ち去った。それを見送って、クレムとアデルは息をつく。同時に。
「私は、ウィルに必要なのは、王子のウィルも素のウィルも受け入れてくれるような、そんな女性だと思いますわ。ウィルを、精神的に支えられるような、そんな女性が。……それに、政治的なことを言ってしまえば、国民はむしろ喜びそうな気もしますわね。開かれた王室を印象づけられますから」
「同感よ。だから、ソフィアは分かってないのよ。ソフィアが思うほど、私たちとっては身分はたいして問題にしてないわ。あの子が王族という身分を受け入れられるか、の方がよっぽど大事ね。……ウィルから行動を起こせばいいんでしょうけど……あの子は私が色々やられてるのを見てるから……動かないでしょうねぇ」
クレムは苦い笑みを浮かべた。庶民出身という異質の王妃。当時、今以上にひどい身分至上主義の中で、悔しさに枕を濡らした事だって数え切れないほどだ。そして、その白羽の矢は彼女の二人の子供にも立てられた。――卑しい血の混じった子供だと。
多分、ウィルはソフィアがそんな目にあうことを恐れている。トラウマになっているのだろう。無理もないが。
「王族としての責務もありますしね……。でも、ソフィアもあの様子では、なかなか難しいですわね……」
クレムとアデルはそう言って再び同時に息をつく。前途多難である。
「でも私は諦めないわよっ!!」
「その息ですわ! お義母様!!」
二人が王城の片隅でそんな風に息巻いているなど、もちろん当人たちが知る由などなかったのだった。