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    記憶のうた 番外編:はちみつミルク(4)


     控えめなノック音が、夜の部屋に響く。それからゆっくりと戸が開けられ、ソフィアが木の椀とマグカップが載ったお盆を片手に部屋に入ってきた。
    「お待たせしました」
     お盆をサイドテーブルに置き、木の椀を手に取る。中には乳白色の液体が並々と注がれていた。
    「レガルノの実をすり潰して、煮立てたものです」
     そう言って渡されたものの生臭さに、ウィルは思わず顔をしかめる。
    「すっげーにおい……」
    「はい……。あの、お医者さんの話によるとですね。……味も……」
     言いづらそうに言葉を濁すソフィアに、ウィルは嘆息した。においから味も想像がつく。すっと息を吸い覚悟を決めると、乳白色の液体を一気に飲み干した。
    「だ、大丈夫ですか?」
    「……まっず」
     むせ返りそうになるのを何とか堪え、薬湯を飲み干したウィルは、はーっと息をついて俯く。ふと、今度はほんのりと甘い匂いを感じて、顔を上げた。
     ソフィアがマグカップを差し出している。
    「薬湯のお口直し、です」
     差し出されたそのカップの中には、やはり乳白色の液体が注がれている。仄かな甘い匂いはそこからたちあがっていた。どこか懐かしい香りだ。
    「……ホットミルク?」
    「いいえ。はちみつミルク、です。お口直しにはちみつミルクを飲むのが風習なんですって」
    「へぇ。……それは知らなかったな」
    「本当ですか? えへへ……ウィルさんに情報で初めて勝ちましたっ」
    「勝ちって……いつ、勝負したんだよ」
     苦笑いを浮かべながらもカップに口をつける。たちのぼる甘い香りと同じく柔らかな甘さが口に広がる。あまり甘い飲み物を好まないウィルだが、これは素直に美味しいと思った。
    「……たまにはこういうのもいいかもな」
    「お気に召しました?」
    「まぁ、な……」
     体の奥から温まるような感覚と共に、顔が徐々に火照りはじめるのが分かった。特効薬の名は伊達ではないらしい。早速効果が現れ始めたようだった。
    「すごい。……即効性が高いんですね……」
    「みたいだな……」
     小さく頷いて、はちみつミルクを飲み干すと、ソフィアがそのカップを引き取って、微笑んだ。
    「……ゆっくり休んで下さいね。ウィルさん」
     そんな風に促されてしまえば、ウィルはベッドに横になるしかない。実際、安堵したせいか薬の効能か胃を暖めたからか、急にひどい睡魔に襲われているのも事実だ。
    「……ソフィア。あんま……気にすんじゃねぇぞ?」
     まどろみながらも、言わなくてはいけないと思っていたことを口にすれば、ソフィアの苦笑する気配がした。
    「無理ですよ。……ウィルさんだって、私には無理だって分かって言ってるでしょう?」
     ウィルは小さく苦笑する。ソフィアの言うとおりだったから。彼女はそういう人間なのだと、知っている。
     けれど、彼女がとった行動は、ウィルの予想の範疇を超えていた。ソフィアならまっさきに謝りにくるかと思ったのに。
    「でも……だから、自分に出来ることをしようって、思ったんです。迷惑をかけてしまったなら、きちんと返そうって。……謝るだけじゃ、何も解決しないから」
     そう言ってソフィアが微笑んだのが、気配で分かった。ウィルはまぶたの重みに耐え切れず、瞳を閉じる。
    「教えて下さったのは、きっとウィルさんです。……ありがとうございます」
     ふわりと、ウィルの左手を温かいものが包んだ。それを感じながら。ウィルの意識は穏やかな闇に落ちたのだった。

    「……いっや〜ん。ラブラブ〜。甘酸っぱーい」
     いい年をした男の碌でもない言葉に、ウィルは目を開く。熱は完全に引いたらしく、節々の痛みもない。
    「ユート! てめぇ、人の起き抜けに、何を……」
     そこで、言葉を切らざるを得なかった。ウィルの左手を握ったまま、ベッドの端に頭を乗せてすよすよと眠るソフィアの姿を見つけてしまったからには。
    「……何……してんだ、こいつは……」
     この部屋は他の部屋よりの冷えていたはずだ。そんなとこにこんな薄着で、しかも無理な体勢で寝て風邪がぶり返したらどうするんだ。というかそれ以前に、昏倒してたとはいえ男と二人きりで無防備に寝るな。
     と頭の中で色々な思考が渦巻いているウィルの様子を見て、ユートがにやりと笑った。
    「若いって……いいねぇ」
    「何歳だ、お前はっ」
     反射的に切り返すウィルに、ユートは楽しげに笑う。
    「お、御大本調子だね〜。お姫の苦労もむくわれたんでない?」
     これはもしかして、心配して様子を見に来たのだろうかとウィルは目を見張るが、その後に続いたユートの言葉に脱力した。
    「俺様も面白いものが見れてラッキー。早起きは三文の徳って本当だねぇ〜」
     ウィルははーっと息を吐くと、相変わらずにやにやと笑ったままのユートを見た。
    「……昨日の夜は、悪かったな」
    「何のことかなぁ? ……まぁ、お姫が顔から地面にダイブしなくてよかったよ」
     やっぱり魔術は暴走気味だったらしい。
     こいつならやりかねないと呆れ気味にソフィアに視線を移すウィルの眼差しがほんの少しだけ和らいだのを見て、ユートは小さく笑うと、背を向けた。
    「お邪魔虫は退散、退散っ! 御大、お大事に〜」
     そして、ウィルが口を開く間も与えずに、部屋から出て行ってしまう。
     朝から疲れたな、とウィルは息を吐いて苦笑した。そして、空いている右手を伸ばし、ソフィアの肩に触れる。
     手を繋いだこの状態のまま起こしたら、ソフィアはどんな反応をするだろうか。
     少しだけ意地の悪い笑みを口元に浮かべて。
     ウィルは、そっとソフィアの肩を揺らしたのだった。

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