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    記憶のうた 番外編:はちみつミルク(3)


     夜の帳が降りた村を、ソフィアは全速力で駆け抜ける。目指すは村の裏手にある崖だ。ソフィアは村と崖の間にある林の中に躊躇することなく飛び込んだ。
     夕食の途中、席を立った時には、すでに心に決めていた。レガルノの実を絶対手に入れると。リアとリュカには頭を冷やすと言ったが、あの時ソフィアが向かったのは、ウィルを診察した医者の元だった。夜の林は魔物が出て危険だという医者を、自分は魔術師だからと何とか説き伏せ、レガルノの実について詳しく話を聞き、今に至る。
     分かっている。あの時には『シュピーゲル』の開放と使用が最善の手段だったということも。ウィルがこの件でソフィアを責める事はないだろうことも。
     それでも負い目は消えない。だから、自分に出来ることをしようと思った。
     誰にも相談しなかった理由は、正直ソフィアにも分からない。ただただ、ウィルを助けたかった。
     林の中を走りぬけ、崖の下まで到着したソフィアはほっと息を吐く。魔物と遭遇せずに済んだことに安堵した。だが、ここから先が難題だ。この崖の上にあるレガルトの木のところまで行かなければならない。
     ソフィアは杖を構え、息を整えた。口の中で小さく呪文を紡ぎ、魔力を解き放つ。重力の魔術と風の魔術の併用呪文だ。ふわりと体が地面から浮いた、瞬間。突風がソフィアの身体を崖上まで巻き上げる。
     予想外の威力にソフィアは思わず目を閉じた。地面に激突することも覚悟していたのだが、地面から吹き上がるような気流が発生し、ソフィアを取り巻く風を相殺する。
    「わひゃっ!」
     結果、ソフィアは派手に尻餅をついたもののほぼ無傷で崖の上に到着した。
    「うぅ、痛いです〜……レ、レガルノの実はどこですか〜?」
     お尻をさすりながらもよろよろと立ち上がったソフィアは、きょろきょろと辺りを見回す。医者は見ればすぐに分かると言っていたのだが――。
    「……あ」
     ソフィアは目の前の光景に目を奪われた。崖の上にいくつもある木のうち、たった一つだけが、淡い光を帯びている。ゆっくりと近付けば、その木になる実の一つ一つが淡く光を放っているのだと分かった。
    「これが……レガルトの実……。きれい……」
     無意識に呟いていたソフィアは、自分の声にはっと覚醒する。見惚れている場合ではなかった。
    「ひとつだけ、いただきますね」
     誰にともなくぽつりと断り、実に手を触れもぎ取る。両手の中にすっぽりと納まった淡い光にソフィアはほっとしたように微笑んだ。大事そうに実を抱え、崖の淵まで小走りに向かうと、再度呪文を唱える。今度も成功しますようにと祈りながら。

    「……よう。お帰り」
     食堂と二階に続く階段に無造作に腰掛けて。小さな呟きも静寂の中ではよく響く。戸を静かに閉めることに細心の注意を払っていたソフィアは、ウィルの声にびくりと肩を震わせ、振り返った。
    「ウィルさん!? どうして……」
     ソフィアが目を見開き、息を呑んだ気配がする。
    「どっかの誰かが外に行く姿が見えたからな」
    「だからって……寝てなきゃダメですっ」
     慌てて足音を立てないようにしながらもソフィアはウィルに近付いた。ウィルの額に伸ばされた手は、夜の冷気に触れたせいかそれともウィルの体温が高いせいかひんやりと冷たい。額に触れたソフィアの瞳が心配そうに揺れた。
    「大丈夫だろ。……そんな出歩いてるわけじゃないし。さっきまではちゃんとベッドで休んでたし」
     自分でも説得力がないと思う言葉を吐けば、案の定ソフィアは首を横に振った。
    「大丈夫じゃないです! 無理は禁物なんです。お部屋に戻りましょう」
     ウィルの腕を掴んでそう言うソフィアに、ウィルは苦笑を浮かべる。
    「一人で戻れる。……それ、レガルノの実だよな?」
    「え? あ……はい」
    「薬湯作るなら早くしたほうがいいぞ。……時間が経つと効果が薄れるらしいから」
    「ああっ!? そうでした。……本当に、大丈夫ですか?」
    「大丈夫だって」
     ホラ行け、と手を振ればソフィアはこちらを気にしながらも、食堂に隣接する厨房の奥に消えた。
     それを見送ったウィルはふーっと浅く息を吐く。
    「……大丈夫か?」
     唐突にかかった声にも、驚くことはなかった。気配は分からないが、何となくいるような気はしていたのだ。
    「ああ。……悪かったな、ティア。何もなかったか?」
     ウィルの声に応じるように、ティアが階段の影から姿を現す。
    「気にするな。私もソフィアが心配だったからな。……何匹か魔物がいたんだが、ソフィアが全く気付いていなかった。ついて行って正解だった」
    「……まじでか」
     このメンバーの中でも鋭いソフィアが魔物の気配に気付かなかったとなると、相当に焦っていたのだろう。
    「それから……ユートもついて来ていたな。魔術の援護をしたようだ」
     ウィルが微かに目を見開く。さすがにそれは意外だった。
    「……何してんだ、あいつ」
    「さぁ。……あの男は掴みどころがないからな」
    「まったくだ」
     ため息をつきつつ、ウィルは階段を昇る。
    「手を貸そうか?」
    「いらねーよ。……対処さえきちんとしてれば、特効薬がなくてもそんなに怖い病気じゃねーんだよ、これは。……俺の場合が、ちょっと特殊だっただけで」
    「それは仕方がないだろう。……私もそろそろ休む。ウィルもきちんと休め」
    「ああ。……どーもな」
     ウィルを追い越して、自分の部屋に戻るティアを見送り、ウィルは自分に与えられた部屋に戻った。
      

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