記憶のうた 番外編:ハジマリのはじまり
この国では生まれた瞬間から、全ての者達の生き方が神によって定められる。
そんな国で彼女の存在は、どちらかといえば異端だった。
「……――ソフィアさん!」
呼びかけられたソフィアは振り向くとにこりと微笑んだ。
「あ、こんにちは」
ソフィアに声をかけた天使の女性は、微かに首を傾げながらソフィアに近づいてくる。
「何でこんな場所に……もしかして、またあの施設に行くの? 地上の様子ってそんなに面白い?」
「はい!」
笑顔で頷くソフィアに、しかし目の前の女性は訝しげな視線を向ける。
「ふぅん? ……物好きねぇ。神の定めた運命も見ることが出来ない人間の様子を見るなんて」
その声には、隠し切れない人間への蔑みの感情が、確かに含まれている。それを敏感に感じ取ったソフィアは、笑みを悲しげなものへと変える。
天使と較べれば魔力も乏しく『翼』を受け入れられる器も持たず、結果寿命も短い人間を見下している天使は、実のところ結構多い。
自分達は神に選ばれた者達なのだという誇りと、選民意識も強いのだろうと思う。
ソフィアはといえば、神の定めが見えない分自由である彼らを、羨ましく思っていたりするのだけれど。
「……そういえば、今度とうとう会うんですって? 婚約者に」
唐突に話題を変えた女性に、ソフィアは小さく苦笑を浮かべつつ、頷いた。
「はい。……明後日にお会いします。……初めて、会うんです」
「生まれた時から、その人との結婚は決まっていたんですって? 何でも、物凄く優秀な方だとか!」
その言葉に、ソフィアは曖昧に笑う。
嬉しいのか、嬉しくないのかと聞かれれば、正直――……。
「やっぱり力が強いと違うのねぇ。将来の役職も決まっていて、優秀な婚約者もいるんだもの。幸せ者ね、ソフィアさん」
「……ありがとう、ございます」
何とか笑顔を保ってそう応え、ソフィアはその天使とそこで別れた。
そうして、一人歩きながらソフィアは考え込む。
幸せ者だと言われた。確かに自分はこの国でも恵まれている方だと思うし、感謝の気持ちだってある。けれど、幸せだと思えないのはどうしてだろうか。
いや、答えは分かっている。本当は、自分で選びたいからだ。
生まれた時から全てが決まっていた、通う学校も将来の職業も、生涯の伴侶も、生き方さえも。
けれど、それはソフィアの望むものではなくて、周りがソフィアに望む姿だ。
それでも不本意ながら従ってしまっているのは、自分のわがままを貫くために、まだ見ぬ婚約者や周囲の者達に迷惑をかけたくないという思いもあるからで。
自分が我慢すればそれでいいから、諦めてしまうのだろう。
他人事のようにそんなことを考えながらソフィアは白い建物の中に入った。彼女が目指していたこの施設には魔力に反応する水鏡がある。この水鏡は地上の様子を映し出す鏡なのだ。
使用にはそれ相応の魔力を要し、使用する権限は数えられるほどの人数にしか与えられていないという。そして、ソフィアはその権限を与えられた一人だった。
建物の中に他の天使の姿はない。それもそうだろう。使用者が限られている上、好んで地上の様子を見ようとする者など、皆無だ。……ソフィア以外は。
ソフィアは、ここで地上の様子を見るのが好きだった。憧れていた。あの大地で生きられたら、と叶わぬ夢を抱いて、ここに来る。
すっと屈み、水面に指先をつける。そして、集中した。それだけで、水面が揺らぎ映像を結ぶ。
ソフィアがここで地上を見る時は、特に場所を特定しない。どこかに繋がるように、それだけを思って魔力を放つから、時たま人々の生活が垣間見えることがある。
それは覗き見のようで、少し罪悪感を覚えたけれども。
銀髪に翠の瞳の青年が、彼とよく似た容姿だが彼よりも穏やかな雰囲気を持つ男性と金髪に金の瞳の綺麗な女性が一緒にいる姿を複雑そうに眉をしかめながら眺めているのを見て、何があったのだろうと気になったり。
栗色のふわふわした髪の少女が、彼女の姉と思わしき人物に花の冠をプレゼントして笑いあう姿を見て微笑ましく思い、自分も自然と笑顔になったり。
太陽のような少年と月の女神のような女性が、甘味処でどうやら全種類制覇を目指しているらしい場面に行き当たって思わず終わりまで見守ってしまったりした。
確かに、彼らの命はソフィア達よりも短くて。定かでない未来に怯えることもあるのだろう。けれど、彼らの瞳はこの国で見る誰の瞳よりも生気に溢れているように見えて、その瞳に焦がれて、この施設に通ってしまうのだ。
今日もどこと念じることなく、地上に映像を繋げた。だから、その映像がソフィアの目に飛び込んだのは、本当に偶然だったのだ。
深い深い森の中で、幼い子供が二人、肩を寄せ合って震えていた。映像越しにソフィアの目は、彼らの運命を知ってしまい、息を呑む。
慌てて映像の範囲を拡大させれば、魔物の群れが彼らに近づいていた。
それを感じているのか、それとも森から抜け出す希望が見出せないのか、彼らはぼろぼろと泣き続ける。
恐怖と不安と絶望と。けれど、それでも生きたいという願いがその表情からは読み取れて。
震える声で紡がれた「助けて」という言葉に、ソフィアはすくっと立ち上がった。
感情で動いてしまうのは、自分の悪い癖だ。学校でも教師に注意を受けていた。周りをよく見て、冷静に動けと。
けれど、この状況ならたとえ冷静だったとしても、ソフィアは同じ決断を下しただろう。
この国において、神に反する行為は、大罪。つまり、死の運命にある彼らを救うことは罪だ。けれど、それもソフィアの意思を惑わすようなことはなかった。
ソフィアには力があった。地上まで移動する術も、魔物を退ける術も。彼らに手を伸ばせば、届くのだ。救う手段があるなら、最善を尽くしたい、出来ることをしたい。
だから、ソフィアは紡ぐ。
己を地上へと送り、そして全てのはじまりとなる――古代のうたを。