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    記憶のうた 番外編:ガラスの靴はないけれど(2)


    「……どうぞ。お口に合うかは分かりませんけど」
     差し出したシチューに、青年は満面の笑みを浮かべスプーンを口に運ぶ。そしてぱあっと表情を輝かせた。
    「美味しいよ。ああ、身体が暖まるなぁ」
    「それは良かったです」
     青年の言葉に笑顔で応じながら、変な貴族だわと思う。貴族らしくない。偉ぶったところが全くない。何だか変な気分だ。
    「私はリチャード。君は?」
     シチューを綺麗に平らげ、スプーンを行儀よく置いた青年は、そう名乗った。
    「クレムです。クレメンテ=オルコット」
    「クレムはこの宿屋を一人でやってるの? さっきから他の人を見ないけど」
     リチャードの言葉に、クレムは肩を竦める。
    「まさか。私、まだ十七ですよ? 一人でお店なんて持てるわけないじゃないですか。この宿は両親のものです。今は繁忙期ではないので……ほぼ私一人で切り盛りしてるんですよ。父は、工場で働いてます。母は貴族の家で奉公のパートです」
     その言葉に、リチャードの表情が曇る。
    「そっか。……物凄く、失礼な事を聞くけれど……これが、庶民の当たり前、なのかな?」
     同情されるのは嫌だった。そんな感情を向けるくらいなら、この国の現状を変えてくれと切に思う。いくら働いても楽にならない、貴族ばかりが優遇され底辺は切り捨てられていくこの国の仕組みを変えてくれと。
     けれど、リチャードの瞳に同情の色はなかった。面白がるような色も、蔑むような色も。
    「……そうです。あなたには遠い世界かもしれませんが、これがこの国に生きる大半の人達の現実です。子供だって働かなきゃ生きていけない。これが当たり前なんです」
    「国の法で、義務教育が定められているのに」
    「そんなの守ってるの貴族だけですよ。庶民は学校行ってたら、家族全員食いっぱぐれますから。読み書きそろばんくらいまで習ったら、学校なんて行きませんよ」
     それでも、そこまで学べたクレムはまだ幸運なほうだ。中には、一度も学校に行けなかった人もいる。
     そこでクレムははっと我に返った。辛うじて丁寧な言葉は保っているものの、言い方はかなりぞんざいになってしまった。客に対して使う言葉遣いではない。身分以前の話だ。
    「すみません。失礼な物言いでした」
     そう言って頭を下げると、リチャードはきょとんとした表情をした後、笑う。
    「気にしてないよ? 私が聞いたことに、答えてくれただけじゃないか。率直な言葉が聞けて嬉しい」
     悪い人ではないのだろうが、やっぱり変な人だ。
     そう思いつつ、クレムは壁掛けの時計に視線を向ける。
    「……ごめんなさい、お客様。私、夕飯の仕込みをしなきゃいけないんです」
    「リチャードだってば。私、今夜ここに泊まろうかな。部屋空いてる?」
    「はぁ!?」
     リチャードの突拍子もない言葉に、クレムは取り繕うことも忘れて振り返る。
     やはり、変な貴族だ。こんな安い宿に好んで泊まろうとするなんて。
    「何をわざわざ好き好んでこんな安宿に……」
    「だってクレムの料理、美味しかったから」
     にっこりと笑って言うリチャードの言葉に、クレムは反射的に頬を赤らめた。
    「べ、別にごく普通の味気ないシチューです! そんな見え透いたお世辞なんて入りませんっ!」
    「お世辞じゃないよ。本当に、美味しかったんだ。あんなに温かい料理は久しぶりで」
     宿にお金が入るのは嬉しい。だが、この貴族の青年を泊めるのにはやはり抵抗がある。
    「それに、もっとクレムと話してみたい。何の気負いもなく話してくれた人、久しぶりなんだ」
     そう言って微笑むリチャードの表情は微かに悲しみを帯びていて、クレムは思わず黙り込んでしまう。
    「……分かりました。お好きになさって下さい。ただし、ベッドが固いとか、毛布がぼろいとかそういう苦情は受け付けませんからねっ!」
     その言葉に、リチャードの表情が輝いた。

     それから何日間か、リチャードはクレムの宿に滞在した。
     そして、昼下がりの人が殆どいない時間に、クレムと言葉を交わす。
     彼は、クレムに色々な事を聞いてきた。庶民の暮らしの事。不満に思っている事。この国についての様々な事を。
     クレムは時に感情を爆発させつつも、率直な意見をリチャードに述べる。貴族に庶民の現状が少しでも伝われば、この国は少しでも変化するのではないか――そんな期待を抱いていないといえば嘘になる。
     だが、クレムにはリチャードの真意は掴めない。彼の事も何一つ知らない。
     そのまま、さらに数日間が過ぎ。リチャードは台所で包丁を握るクレムに唐突に告げた。
    「……今日、帰ろうと思う」
    「……そーですか」
     何とか動揺を表に出さずに返事をしたものの、クレムの心には見過ごせない程度には漣が立っていた。
     明日から、この青年と話すことはない。それがこんなに寂しいなんて思ってもみなかったのだ。
    「……今日の夕飯、何だったの?」
    「ぶり大根です。ぶりが特売で安かったので」
     そう言うクレムの前のまな板にはぶりがどんっと乗っかっている。
    「美味しそうだね。……うう。食べたいなぁ。でも、もう家も空けてられないし」
    「随分長く滞在されてましたからね〜」
     そう言いつつ、動揺を押し殺すようにぶりに包丁を入れた。ぶりが真っ二つになった、瞬間。
    「ねえ、クレム。この国の王妃にならない?」
     放たれた言葉は、まるで現実感がなくて。こいつ馬鹿だと思いながら、クレムは半眼でリチャードを見つめた。
    「は? 何言ってるんですか? 寝言は寝て言って下さいね、リチャード様」
    「うわぁ、目がこいつ馬鹿? って言ってるよ〜。いや、本気。本気だって」
    「本気? この国の王妃にならないって言葉が? 意味分からないですよ。なりたくてなれるもんでもないでしょう。第一どうやってなるって言うんです」
     クレムのその言葉に、リチャードはにっこりと笑う。
    「私の、お嫁さんになって」
     その言葉に動揺したクレムの包丁がまな板に突き刺さったが、クレムはそれに気付かずにリチャードを凝視した。
    「はあぁっ!?」
    「……クレム、それ危ない」
    「今、何て……。リチャード様、何か変な物食べました!? 拾い食いとかしてませんか!?」
    「ひ、拾い食いって……君、私を何だと思ってるんだ。……私は正気だよ。クレム。……クレメンテ=オルコット」
     フルネームを呼ばれて、クレムの肩がびくりとはねる。その様子に、リチャードは淡い笑みを浮かべた。
    「私、リチャード=バークレイ=ラディスラス=ガジェストは君に正式に結婚を申し込むよ」
    「……何で」
    「私が貴族だと分かっていても、君は率直に私に意見を言った。それが凄く嬉しくて……僕が王族の端くれだって分かっても、変わらないでいてくれるんじゃないかって思ったんだ」
    「王族の端くれって……。何で王妃とか言うんです……」
    「今の王は私の叔父だからね。今のところ継承権はないけど……近々、私はクーデターを起こす。この腐った国を変える。ずっと迷っていたけれど、君を見ていて決心がついたんだ。……どうか、隣でこの国を支えて欲しい。率直な意見を言ってくれる、君が必要なんだ」
     真剣な翠の眼差しに、くらりとした。逃れられない。そう感じた。
    「……リチャード様って、物好きですよね。本当に。趣味悪いんじゃないですか」
     ぽつりと呟かれたクレムの言葉に、リチャードは苦笑を浮かべる。
    「そんな人に付き合える人もいないでしょうから、付き合ってあげます。……私の得意料理のぶり大根も食べていただいてないですし」
     その言葉に、リチャードは晴れやかな笑みを浮かべたのだった。

     思い出せばきりがない出来事に、クレムは苦笑を浮かべる。苦労がなかったといえば嘘になるが、料理を美味しそうに食べるリチャードを見ていればクレムも幸せだったから、何だかんだで後悔はしていない。
     押し黙ってしまったクレムの様子に、ソフィアとリアが顔を見合わせて首を傾げる。
     その可愛らしい様子に、クレムは微笑んだ。

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